2011/03/24

帰国しました

21日ピピ島から日本へ帰国しました。
20日のお昼にバンガローを出て、日本の実家についたのが21日午後2時ごろ。ピピ島から実家までストレートで帰ってくるとやっぱりかなり疲れる。しかも島を出るときにやんや、やんやでプーケットに付くまでに5本もビールを空けてしまったし。
座ってる時間も長いはずだし、今回はむしろバンコクー成田間は3席使って横になることもできたのに・・・。疲れた・・・。

そうそう、バンコクー成田間の日本航空は恐ろしく空いていました。実は28日の同じフライトをキャンセル待ちしていて、結局取れなかったんだけど、どうして20日のフライトにこれだけ空席があるのに28日は、あるいはその前後も満席なんでしょう。
しかも私の乗ったフライトはほかの航空会社と共同だったし。

今現在日本に向かう人が少ないということなんだけどね。ピピ島の私の友達も「しばらく帰ってくるな」と家族に言われて、もう1ヶ月帰国を延ばした、って言ってた。


さて、帰国したはいいけど。
これからどうしましょう、というはなし。

帰国直前までは仙台にボランティアに出掛けるつもりでいたんだけど、放射能の問題が深刻になってきてからうちの家族から大々的な反対があり、今現在は思いとどまっている状態。
ただ、いつまで留まっていても腐っていくだけのような気がするので、何かしなければと気だけあせる。

実際に海外で流れている情報量というのは外国人が見て報告しているものなので、日本のテレビで見る報道とは内容が全く違う。ただし、日本のテレビを深刻に見ているよりは客観的な情報が入っていた気がする。日本では逆に情報量が多すぎて自分の中でスクリーンにかけないと混乱が生じてしまう。

今のところ、具体的に何をしよう、という案はまとまっていないんだけど、何かをしなくちゃいけないなぁ、と、のんきにではなく真剣に思ってる。
で、どうしましょう。

2011/03/12

三陸沖地震を思う

今日の午後、海から帰ってきてすぐにじしんのニュースがテレビで流れた。
私がお客さんと話をしているときに、店のスタッフと近所の人たちが「Yas!! Yas!!」ってテレビの前から呼んだ。
どうしたの?って聞くまもなくニュースの映像。

体のどこなのかわからないけど、すごく痛くて苦しくて、そんな映像は見ていられない。それでも、町中のテレビがその映像を流している。

日本にいる皆さん、無事ですか。周りの環境は問題ないですか。

あと1週間で日本に帰るこのときに、こんなことが起こるなんて当然想像もしてなかった。
6年前にピピ島で被災したときに心配して何度もメールをくれた友達、普段連絡をまめにしているわけでもないけれど遠くにいる大切な友達、そんな友達が今どこに住んでいるかも知らないなんて実は恥ずかしい話かもしれない。
でも、ここのニュースを見ている限り首都圏にもあるいは海岸があるどの県にも影響がありそうで、今こんなところにいる自分自身が少しもどかしい。

どうか、悲しむ人がひとりでも少なく済みますように。
被害が最小限で済みますように。
心を痛める人がこれもまた最小限で済みますように。

何もできなくて、力になれないほど遠くから思っています。