2011/04/28

ふるさとを感じる

石巻にいた最後の2日、同じお宅の清掃をした。
1日目は、門から玄関まで、ざっと歩く道を作る。そして、屋内の片付け、泥だし、家具や畳の撤去。
2日目は、1日目に終わらなかった屋内の作業の残り、そして屋外、要は庭の片付け、ヘドロの撤去等々。

この2日目、前日訪問・見学させていただいた湊小学校に集まっていたボランティアの方々が、作業を手伝いに来てくれた。
もともと、このお宅の片付け、湊小学校に拠点を置いている自転車修理のボランティアの方が個人的に持ってきた話。ちょうどその日に雨が降り、石巻ボランティアセンターからは作業がもらえなかったのをいいことに、有志だけで始めた作業。

それを聞きつけて1日目から作業を手伝ってくれた方もいた。その方が2日目に10人ほどの手の空いているボランティアの方を連れてきてくれたのだ。

これはとてもうれしい驚きだった。
2日目は初日8人いた仲間が、5人に減っていたところ。
庭の瓦礫やヘドロは、物置を壊すときに業者に一緒にさらってもらうのがいいんじゃないか、という案が出ていたところ。
それが、10人増え、しかもその10人は石巻に着いたばかり、あるいは泥だし作業が初めての、まだ体力が十分ある人たち。庭の泥や瓦礫は見る見る片付いていった。

彼らの腕には一様に「愛知ボランティアセンター」の腕章。
私は愛知県出身とはいえ、小さなころは埼玉の祖父母の家にいたし、県内も転々としている。そのためか、私のふるさと、と言えるはっきりとした場所も意識も無い。
それなのに、普段何も感じない「愛知県」という腕章がとてもとても、うれしかった。
どうしてだろう。
理由なんてわからない。知らない地にいるというだけで、そんな気分になってしまったのかもしれない。

とにかく、初めて味わった気分。
悪いものでもなかった。

2011/04/26

ボランティアで一緒だった人々

今回2週間に石巻に行って、いろんな人と出会いました。
活動中、カメラを持っているわけにはいかないので、なかなか写真を撮れるときばかりではなかったけれど、そんななかでもちょこちょこと撮った写真があります。

まず、最初に出てきてしまって、ちょっとびっくりですが、作業終了直後の私も写っている写真です。
こんな格好で作業をしている、と。
合羽を着ていないと、泥だらけになるので、うえには合羽。そして堅い補強がしてある長靴。軍手の上に、また強い手袋。マスクと、作業によってはゴーグル。
汗が目に入らないように、頭にやっぱりタオルがほしかった。

作業中は、マスクとゴーグル、タオル等で、顔なんか実は見えません。体の大きさとか、動きとか、合羽の色で誰なのか見分けてる、という感じですね。


左の男の子二人は、石巻市出身。
一人は実際に津波の真ん中に取り残されて翌日まで救助を待った、という話をしながら、作業に参加。一緒に作業をするのに、とてもしやすい二人でした。
一緒に話をしていても楽しいし、話すとしっかりした意見も返ってくるし・・・。「どうして、俺らは彼女できないんでしょう?」なんていうおかしな質問には本当に困りました。
これを読んでいるみなさん、この二人彼女募集中ですよ~。
こんな二人のような人が石巻に沢山いるんだとしたら、石巻はすぐに復興します。心配は要りません。 依頼主の方も自ら手を貸してくださいます。
奥に写っているのは、私が車に便乗させていただいたコージさん。私達の中ではリーダーのような存在でした。 カメラを向けているから、一瞬笑っているけれど、この畳出しの作業、本当に大変なんです。
私はこのとき、畳出ししかないお宅へ伺ったので、何もすることが無く、カメラを出したしだいです。

この畳、一見何の変哲も無いものに見えますが、実はマックスまで泥を吸い込んでいるんです。それが10枚単位で待っていたら・・・。ひざも腰も萎えます。 毎朝、ニーズ票をもらって、そこに書いてある作業をしに住所どおりにお宅へ伺います。

住所、作業内容、必要な道具、人数等が書き込まれていますが、コージさんはいつも実際人数よりも多い必要人数の作業をもらってきます。それでも間違うと午前中くらいに作業が終了してしまう。

ここで問題です。どうしてこの様なことが起こるのでしょう。
1、ニーズ票が違っている。
2、コージさんの率いる数人が平均以上の動きをする。
3、毎日似た顔ぶれのせいでチームワークがいい。
さて、どれが正解でしょう。

正解は、おそらく全部です。 毎晩溜まっているテントの管理人、ハコザキさん。
背中のガムテープにある「大きな声であいさつします」はモットーでしょうか。とにかくよく動く人で、コージさんとハコザキさんがいるとあわせて3人分以上になるといわれていました。
しかもこの人の何がすごいって、日中の作業だけじゃなくて、ボランティアが寝泊りしている大学のキャンパスの仮設トイレの掃除や給水までしていたこと。

26日までは石巻にいると言っていたので、会いたい方、是非石巻まで。まだ間に合います。
とても素敵な人ですが、聞いているとお一人のようなので、これを読んでいるあなたにもチャンスはあるかも!! 作業の休憩中。
ボランティアなどと偉そうに言っても、実はこういう作業に素人の人が多い・・・もちろん玄人もいるけど。

そのために、協会からは「1時間に10分休憩」というルールが作られている。もちろん作業の進度によって休憩の有無は変わってくるけど、だいたいそれくらいの休憩が入る。
この10分は腰にとてもよく効く。 私が参加した初日の夜。
常に出入りのある個人ボランティアが有志で集まっているテントなので、顔ぶれも毎日変わる。こんな盛り上がりは、初日だけと言ってもいいほどでした。
ちなみに近隣のテントから苦情が出た。
「あなた達!何しに来てるんですかっ!!!」って。漫画チックなほど、ヒステリーなお姉さんでしたが・・・。
でも確かに、絶対に、うるさかったと思う。
この写真はおそらく上の写真の2週間後くらいでしょう。
たぶん「そこのくさい3人、写真撮るよ~。」とか言って、シャッターを押した記憶がある。 地面から冷えてくる寒さには。そして何人も一緒に食べておいしいのは。

やっぱりお鍋です。
毎日違う味で1週間くらいはお鍋でした。

ハコザキさんと。
本当は丸いマスクを頭に上げて「山伏」のような状態でツーショット、なんて、不謹慎なこと言っていたんですが・・・それは叶わず・・・。

沢山の方にお世話になりました。
仲良くなるためにする、どうでもいいような話をする時間がそれほど無かったことがちょっと残念です。でも、まぁ、おいおい・・・。

みんな個人で参加しているだけあって、かなり個性の強い人もいます。でも、そんな人同士だからこそ、こんなところで出会えるわけで、そういう機会があったことも、うれしいことのひとつです。

芸能人の能力

石巻にいた2週間の間に、同市を本当に沢山の芸能人が訪れた・・・らしい。
毎日そんな話をボランティア仲間から聞く。

で、どの芸能人もこぞって炊き出しをする。
堂々たるテントを張って、誰かが作ったご飯を列をなす被災者の人々に渡す、という作業。

私はテレビねたに極端に弱いので、名前を言われてもわからない人がほとんど。それでも、テレビで取り上げられたり、ボランティア仲間が騒いでいるのを見ると、どれくらいのオオモノが来ているのか想像がつく。

作業に行く前、行った後、車についているテレビを見て、ちょっと思う。
「どうして、地味で体力使う作業しているうちのチームは見過ごされて、笑ってご飯を手渡すだけで、彼らは注目されるのよ」

でも、何日もそんなニュースを見ているうちに見方が変わってきた。
彼ら、彼女たちがご飯を「手渡す」事によって、笑顔を作ることが出来る人がいるんだ、と。その芸能人に会うことで、今いる生活から一瞬だけ抜け出ることが出来るんだろうと思う。
それが、芸能人の力だ。
私が手渡すご飯じゃ、夢の世界まで飛ぶことは出来ない。でもそれがテレビで夢に見る芸能人なら、そのご飯は苦しみを、一瞬忘れることの出来るクスリになりうる。

これはすごい力だ。
自分でそれをわかっているところもすごい。だから彼らは泥だしではなく、炊き出しをするんだ。

最初全く理解できなかったボランティアの形も2週間もいるうちにちょっと、システムがわかるような気になってきた。

誰かが言ったらしい。
金のあるやつは、金を出せばいい。
その通りだ。

自分の持っているものしか出すことは出来ないんだから。
私は時間があったから、ボランティアという形で私の時間を提供した・・・お金は無いからね。
私の母は、時間のある娘がいるから、その娘が出かけていくことをがんばって提供した・・・津波で被災したことのある娘を、津波の被災地に送ることは、彼女にとって楽なことではなかったはずです。
私の姪は、自分達兄弟の持つ絵本の中から、絵本を4冊「贈ってもいい」と選り分けてくれた。私にキティちゃんの小型の毛布も貸してくれました。

それぞれが、自分に出来ることを。それが小さなことだって、十分なはず。
芸能人ほど、沢山の人を喜ばすことはできないけれど。だから、いまさら気づくなんて遅いのかもしれないけど、芸能人ってすごいなぁ、です。

2011/04/25

心と体の疲れを取る方法

家に帰って2日目。
一晩寝た今日は少し両手の痛みも、むくみもよくなっているかと思ったのに、な~んにも変わらない。ただただ疲れていて、とてもベッドから出る気にすらならない。

昨夜、夕食のころなんかにも、本当は家族にももう少しにこやかに接したくて、がんばってみたんだけど、これがまた疲れるってなんて。
リラックスするためにがんばるなんておかしな話だ。イライラしている方が後になって自分が疲れてしまうんだってわかっているんだけど、そのイライラがとまらない。
ど~すればいいの~!!

お風呂も朝と夜しっかり入った。昼寝もしたし、夕食は私の大好物の春の山菜の天ぷらだった・・・しかも天ぷらは母の料理なので私はお手伝いなし。
今朝は目が覚めてからベッドを出るまでに2時間半もかけたし、朝ごはんも鯛の炊き込みご飯とアサリのおみお付けなんていう贅沢なもの。

それでも。こんなに疲れているのはどうして??
思い切ってこんな昼間から・・・ちなみに午前中・・・ワインを飲んでみました。私が出かけている間に友達から何かのお礼として届いたもの。昨日夕食のときに封を開けて1杯飲んだあと、そのまま冷蔵庫に入ってた。
そうしたら・・・それが白ワインだったせいか、あるいは今私がすごく弱っているせいか。とても効きました。だから、こうやって何か書いていられる、何か考えていられる。
右手のグーも出来るようになりかけてます。

きっと、このワインのおかげで、もう少ししたらお昼寝、ということになるんでしょうが。少し気分が晴れただけでも、とても気持ちがいいです。
ありがと~、フミさん。きっとこのブログ読んでないと思うけど。そして、きっと、こんなことを想定して白ワインを送ってくれたわけじゃないと思うけど。でも、効果バツグンです。

と、いうことで、書き始めたときに考えていたこととは全く違うことを書き連ねることになりました。書き始めたときには「どうすればいいんですか」って、誰かに聞きたかった。
いや、今でもほかの方法があれば聞きたいんだけど。

今はちょっといい感じにほぐれ始めました。

でも、この白ワインっていう以外に何か方法はないんでしょうか。
毎回フミさんがワインを送ってくれるわけではないと思う。・・・思う。

寝る、お風呂に入る。それくらいじゃ効かないようなパンチを喰らってしまったからだと心に何かいい対処法を知っている人はいませんか~~~?

2011/04/24

石巻からうちに帰る

2週間ぶりに家に戻りました。

土曜日に作業を終え、そのまま支度をして帰路へ。
私は車に乗っているだけなんだけど、運転はコージさん一人・・・。申し訳ないことに私は車に乗るとすぐに眠たくなる・・・まぁ、要は酔い始めてるんだけど。

途中仮眠を取りながら今朝、8時半に岡崎インターへ到着。

運転中も眠ったとはいえ、2週間マックスの体力を使ってきたせいで、体中が痛いし、むくむし、ふらふらです。
ゆっくりお風呂も入ったし、さらにさっきまで昼寝もしたんだけど、まだ回復しきっていません。家族とゆっくり話が出来るのも回復後になりそう・・・。

この2週間のことはおいおい書いていこうと思います。いい話も良くない話沢山ありました。

2011/04/19

ピンクのリボン

石巻市のあちこちに、ピンク色のリボン状のものが結ばれている。

作業初日、私よりもだいぶ前からボランティアに参加している知り合いが、車の中からそれを指差して言った。
「あのピンクのリボンはご遺体が見つかった場所です。」

町で折り重なっている数え切れないほどの車のワイパーに、時には2本、3本とリボンが揺れる。工事現場の柵には数十センチごとにリボンの結ばれている。
これを写真に撮るのは不謹慎といわれるでしょうか。それは一人ひとり考え方が違うと思うのでなんともいえない。


そこにリボンを結んだ人の気持ちは想像しかできない。遺体を発見した人が結んだのか、遺族が結んだのか、遺体を運んだ人が結んだのか。でもその結び目には何かしらの思いがこめられているんだろうな、と思う。

この町に来ていて一つ一つに感情移入をしていると、私の心はもちません。
私はここに、感傷に浸りに来たわけでもなく、好奇心だけで見物に来たわけでもなく、津波というものの恐ろしさを見に来たわけでもない。
私自身の家族や友達に心配をしてもらいながら、わがままだけど、自分の力で自分と似た体験をしてしまった人に、何かができたらいいなぁ、と思ってる。

このピンクのリボンを結ばれるか結ばれないかの境目にいた人は、本当にたくさんいたと思う。
今そのリボンを見て、せめてもと思えることは、その境目にいた人たちが結ばれるリボンにならなくてよかった、ということ。この1本のリボンが2本でなくてよかったと思う。そして、3本でなくてもっとよかったと思う。

でも、もっと思うことは、その1本のリボンを悲しんでいる人々が1日でも多く笑顔を見せられる日が多いといい、ということ。
できるだけたくさんの笑顔が石巻に、日本に、1日でも早く戻りますように。

4月19日 石巻市にて

今日はどんよりとした曇りです。風邪も吹いています。夜には雪も降るような天気予報が出ています。
最高気温8度の予報・・・。

今日は私は災害のためのブログのために時間を取らせてもらうことになりました。電源が限られているので車の中での作業になります。

昨日到着した知り合いグループの女の子が、旅行中から日本国内、ここに来るまでに会った人たちから折り紙の裏にメッセージを書いてもらった束を持っていました。
それを、Carry on Japanのブログに反映させたいと思ってる。今日一日でどれくらいの作業ができるのかわからないけど、できるだけ載せたいと思う。・・・ちょっと無理かなぁ。


ここに来て2日目から始まった筋肉痛は、初めとは違う場所に移動。腕や肩に差気に来た筋肉痛が、今は両手に来てる。きっと、普段握力なんて使わないのに、スコップを持ったり、重いものを握って運んだりしてるからだと思う。
手の次はどこに来るんでしょうか・・・。
実はもう、顔なんかすごいことになっていて、今友達や知り合いに道で出会ってもきっと見過ごされちゃうんじゃないかと思う。家に帰ってすぐには人には会えないかもなぁ・・・。

2011/04/18



石巻のボランティアの拠点になっている専修大学のキャンパスの桜のつぼみが膨らみ始めた。
この町のこんなにたくさんの人が苦しい思いをしているときにでも桜の花は咲き始めるんだ、って思ったら、なんだかほっとする気持ちと同時に、今起こっていることが夢の中の出来事のような気がして、ぼんやりとつぼみを眺めてしまった。
そして、そのつぼみの向こうに見えた青い空が、自分が被災したときに、空ばっかりが青く見えたことを思い出させて、人間と自然の大きさの違いを見せ付けられたような気がした。

2011/04/16

テント吹っ飛ぶ

私たちが拠点にしているのは石巻専修大学のキャンパス。
駐車場の脇、運動場の周辺の芝生にテントを張らせてもらってる。

私がここに到着したとき、ちょうど1週間前、個人のボランティアが仲間になって集うテントを提供してくれた方がいた。それに甘え、毎日作業から帰ってきてはそこで煮炊きをし、話をする場所があった。

それが・・・数日前の突風が続いた日に作業から帰ってくると・・・。
ない。
いや、ないんじゃなくてつぶれてる。

突風でテントの柱になっているポールの2箇所が折れ、テントがつぶれたと。

なんということ。
ラッキーなことにその日は早めに作業が終わり、普段よりも少しだけ早めに帰ってきた。ゆっくりできるかな、と思いきや、更なる撤去作業と物資の運び出し。
一体私たちは何をしているんだ、と思ってしまう日。

ところが、まだ私たちがラッキーだったことには、そのテントの中に6,7人酔うのテントが立てら頭に残っていたこと。
早速テントを作り始めたものの、その日はやっぱり夜も突風続きで、点とは組み立てだけでつぶしておくことにした。

これが新しい小さめのテントがつぶしてある状態。

これがたったのは実は今夜。その写真は後日、また・・・。

石巻市の現状

今宮城県の石巻市に来てる。
ボランティアの作業を始めて6日目。いい加減このブログともうひとつのこの災害のために始めたブログCarry on Japanのアップデートをしなければいけないと言うことで、今日は少し時間をもらった。

石巻はすでにかなり町がきれいになってきていて、車が通れないところが減ってきています。

それでも毎日作業はヘドロ出しがほとんど。
家屋の清掃、って聞くと片づけを想像するけど、実際にはその家屋の泥だしも清掃のうち。水や泥を含んだ家具や畳は想像を超える重さ。女性の私にできない仕事もある。
それでも一緒に石巻に来た仲間は、女性の私を邪魔扱いしたりせずに、同じ作業をさせてくれています。「無理はするなよ」っていう優しい言葉と一緒に。

でも、昨日は私の小さな胸が役に立ちました。ほかの人には入れない、家と塀の間の狭いところの泥だし・・・。あれは大きなおっぱいじゃ入れません。
たまには笑いを提供する以外に私のおっぱいも役に立つんです!

下の写真は石巻市内の少し大きな被害を受けたところが中心です。町中がこんな風になっているわけではありません。
もうひとつのブログ「Carry on Japan」もチェックしてみてください。

2011/04/10

今晩、石巻へ向かって

今晩7時に岡崎の東名インター付近でピックアップしてもらい、石巻へ向かう。

荷物は、一通り用意した。
夜のための防寒具、作業着等昼間の服装、テント類一式、日用品・・・。もうそれだけでバックパック二つ分くらいになる。
さらに、一緒に行くメンバーがコンロなどの日の用意をしてくれるそうなので、私はちょっとした調理器具。そして、ボトルに入っているのを買うにはもったいないような調味料、等々。
現地で消費するものを考えたら、帰りはバックパックに入りきる・・・と思う。

現地には、結構物資がしっかりあるという。必要なのは現金だ、とも言われた。だから、それほど心配しなくてもいいのかもしれないけど、やっぱり、「一体どうなんだろ」というところがある。

いずれにしても、現地に行けば、毎日家のテレビが津波の話や映像を流したり、被災地の話をしているのを聞いているだけよりも、きっと、ずっと落ち着くに違いない。

現地の情報は、このブログでも、あるいはもうひとつのブログ Carry on Japanでも公開していこうと思っている。
もうひとつのブログのほうもチェックしてみてください。できるだけ違う情報を流していこうと思っています。
http://carry-on-japan.blogspot.com/

春、満開 2011

母がまだ寒いうちに植える庭のチューリップがほぼ満開になった。毎年、私が帰ってくるころにしているように植えてくれているらしい。親というものはありがたいものです。そばにいないときにも常に子のことを考えてくれている。 私は日本にいるときにそれほど外へ出掛けないので、近くの公園の桜を少々、くらいしか楽しまないけれど、巷では今週末が一番の見時とか・・・。 我が家では、真ん中のチビスケの入園式でした。式では、お名前を呼ばれて大きなお返事ができたそうです。
・・・実は昨夜、母と「あの子は自分の、本当の名前を知っているのだろうか」と話し合っていたとところ。だって、みんな彼のことを違う名前やニックネームで呼ぶから。ちなみに私は彼を「のちち」と呼んでいる。
さらに、靴箱に書かれた自分の名前を読めるのだろうか・・・?読めないでしょう。誰も教えてないんだから。
「自分の靴のにおいをちゃんとおぼえておけ」と昨日助言しておきました。

今年も春満開。
もう昼間は、家の中にいるよりも、外に出ていたほうが気持ちいい。この気持ちよさって、春独特のものだよね。

2011/04/08

出会ってから20年?会わなくなってから20年?

昨夜6ヶ月ぶりに高校のころ、浪人時代のころの友達に会った。

タイに行く前に飲んだ同じ面子。以前はそれほど頻繁に会えなかったのが、最近はできるだけ会おうとしている。私が日本にいる間に、1回いや数回は会いたいね、っていう事で今回も。
このブログもチョコチョコ見ていてくれるらしく、私が帰国すると連絡が入る。
このブログ、実は家族のためと、そうういう友人のためにはじめたのがきっかけ。と、いうことは少しは役に立っているではないか。ははは~。

昨夜は今回の災害の話や、原発の話、挙句にはエネルギー問題まで話がすすんだ。そして、自分の家族の話、子供の話、両親の話、などなど。
そして、みんなでふと気がつく。

私たちの会話の内容、高校のころとずいぶん変わったね。

あのころは、あの女の子がかわいいだの、ゲームの話だの、いわば「その場限り」話が多かったような記憶がある。おっと・・・私は女の子だから、それを聞いてちゃちゃを入れてるだけのことも多かったけどね。
しかも、飲み屋ではなく、ゲームセンターでたむろしてることが多かった。

このメンバーは浪人も共にしていて、私だけが文系コースを取っている、少しばらつきのあるメンバー。部活も違ったし、クラスも違ったし、共通点があまりないにもかかわらず、なぜか・・・いや、おそらく浪人時代という若いころには「苦かった」1年を一緒に過ごしたから仲がいい、というメンバー。
今では高校のクラスメイト同士で結婚をした仲間が奥さんも一緒に来れるので、なおばらつきがある。そして、それがまたいい。

そのころは、そのころなりに一生懸命だったけど、今とはだいぶ違うことに一生懸命だったと思う。
一人ひとり個性もあって、ちょっと突っ張って、背伸びをしていたころ。
口が悪い、でも仲間をすごく大切にしていたメンバーだった。

昨日は話の端々に「お前大人になったなぁ」なんて言葉も出てきた。
「ヤスコがダイビングのインストラクターになるなんて、一番想像できなかったことのひとつ」なんてことも言われる・・・私、体育の成績はいつも最低ラインだったし、数字がつくものは全て苦手、という典型的な文系の高校生だった。
そのかわり、私の古文と漢文のノートはその仲間内に回ったりもしてたけどね・・・一応自分をかばっておこう。
子供嫌いだった友達が姪っ子の話を嬉しそうにしたり、自分の息子の将来を案じたり・・・。



あれからもう20年かぁ。
って、誰かが言った。
え~、出会ってから20年も経つ?
そうしたらもう一人が
違うだろ。出会ってから3,4年が過ぎて、会わなくなってから20年経つんだよ。

そっか~。
出会ってから20年じゃなくて、毎日当たり前のように合わせていた顔とあわなくなってから20年経つんだ。
そりゃ、少しは会話の内容も変わるさ。変わってなくちゃ情けない。

それでも時々「お前ねぇ、そういうものの言い方全然変わってないねぇ。成長しろよ」なんて言葉も飛び交う。

きっと気がついたら、出会ってから30年になっていて、その少し先は、会わなくなってから30年になるでしょう。
そして、その先は・・・・みんなでおじいちゃんとおばあちゃんになっても、まだ一緒にいようね。
ちゃんと時々日本に帰ってくるから。・・・ブログはいつまで続けられるかわからないけど、ちゃんと連絡するから。

昨日は最後の最後に、再度の大地震のニュースが入って、笑ってバイバイにはなれなかったけど。次回は私がボランティアから帰ってきてから。ドイツに行く前に。

2011/04/07

体重の話

私のベスト体重は47-48キロ。
それ以上だと、自分の体重を支えるのが億劫になるのか、動きが鈍くなる。
それ以下だと、ちょっとハードに動き回っただけでふらふらしてしまう。

ところが、このベスト体重を維持するのが意外と難しい。
たいていは、ピピ島でダイビングをしているシーズンの真ん中あたりと、ドイツにいるころに、この体重になることが多い。

私の体重は毎年、半年ごとに大きく変わる。10月ごろは53キロくらい。3月ごろは45キロくらい。この8キロをいつもいったり来たりしている。

もうひとつ、何が困るかといって服のサイズ。
ピピ島に帰ったときに毎回こまる・・・いや、笑われるのが、ウェットスーツのジッパーが自分で閉められないこと。「ちょっと、ちょっと、ダニエル、後ろ閉めて。」ってなことだ。

半年使わないでいるとウェットスーツは縮んでしまうらしい。しかも、先シーズンの頭に気がついたことだが、毎年その縮む割合が増えているような気がしなくもない。
島ではまぁ、短パンのボタンがひとつ外れていようが、シーズンの最後にその短パンがずり落ちていようが誰もそれほど気にする人はいないので、どうでもいい。


日本だともうちょっと困る。
タイから戻ってきたときに、新しくジーンズなんか買ってしまうと、ドイツから帰ってきたときにはもうボタンが閉まらない。

日本で服のサイズを見ていると、5号から11号近くをいったりきたりしているように感じる。だから、買うときにはできるだけ大き目の7号・・・メーカーによって同じサイズでも大きさって違うよね・・・あるいは小さめの9号を選ぶようにしている。


ところが今年、ピピ島にいたのにそれほど体重が落ちず、ベスト体重で日本に戻ってきた。
これはよい!
と、喜んでいたのもつかの間。たったの2週間ほどしか経っていないのに、すでに体重計は数字を増やし始めている。


私から見ると日本の女性はダイエットに懲りすぎているようにも見える。
痩せていればキレイってもんじゃない。そこそこセクシーさも必要だし、それにはボリュームが必要なんだし。
少しふっくら目くらいがかわいいようにも見える。
が、ふっくらがよく見えるのは他人の話。体重計に乗っているときには、ふっくらしたいなんて思えない。

とみに最近、筋肉が付きにくく、いや落ちやすくなっているのか。あるいは、人間が丸くなり、地球の重力という自然の摂理に従順になってきているのか。体重だけでは良し悪しが言えないようになって来た。

体重。
これは永遠に女性の課題・・・?いや、敵?

石巻へ行く

10日から石巻へボランティアに出掛けることになった。
コージさんというピピ島で会ったことのある、行動力のある知り合いが、すでに石巻にいるという話を聞いて、コージさんを頼りに・・・。
さらに、同じくピピ島で時々インストラクターをしていたリュウさん。

一時的に石巻から大阪に帰っているコージさんに、うちの近くで拾ってもらって10日の夜に石巻に向かう。

で、今日は必要なものをちょっと買いに行った。
必要なものを聞いてみたところごくシンプルな答え。防寒具とヤスコちゃん。できたら合羽と長靴。あと現金。
え・・・そんなんでいいの?
水は?食料は?

実は石巻、すでに物資は通常通りほどあるらしく、水も食料も買えるとのこと。と、いうことは必要なのは現金。

私が少し前にボランティアに行く場所を探していたときには、水も食料も自分の分は持っていくこと、というのが注意書きされていた。
でも、それを防災関係の専門家の方に聞いたところ「何も持たずに気持ちだけを持ってぞろぞろ来られると困ってしまうから、便宜上そういっているだけなのでは?」というお返事だった。
なるほど。
確かに私も、それがネックで行きたいときにいけなかった。でも、確かにその一言は効いたんだね。


石巻でする作業はどろどろになるような、要するに瓦礫の処理らしい。そんなこと、今までしたことないから、一体どれくらい役に立つのかさっぱりわからないけど、とりあえずがんばってみよ~、ということで、作業着を買いに行った。
普段、私はビキニを「作業着」と呼んでいるんだけど、今回はちょっと違う作業着。長袖だし、長いズボンだし。
たまたまうちの近くに作業着屋さんがあって、そこに行ってみる。
そういうところに入るのは初めてで、「女物なんてないよ!」なんて大きな声で言われてしまうんじゃないかと思って、ちょっと緊張。
でも店内には女性の店員さんがいて、すごく丁寧に私のサイズを探してくれた。
一体何をするのかという質問に、ボランティアだというと、店員さんはさらに優しくなって、作業内容に合わせてアドバイスもしてくれた。
役に立つかどうかわからない私の作業着をあんなに丁寧に探してくれてありがとうございます。
合羽も長靴・・・なんと私のサイズがあった!・・・も手に入れ、後は・・・夜寝るときの防寒具。冬用の寝袋は弟が送ってくれた。

はぁ・・・私がボランティアに行くっていうのに、周りの人にこんなに助けてもらわなければ、私はひとりじゃボランティアできないんだなぁ。
全部自分で開拓していくコージさんみたいな人には本当に頭が下がってしまう。

でも、がんばってみよう。
もしかして、もしかしたらちょっとは役に立つことができるかもしれない。・・・そのかわり、せっかく日本に帰ってきてるっていうのに、家の手伝いは何もできなくなっちゃうけど。

2011/04/06

Relaxing day

珍しく家にひとりきり。

ひとりで思いっきりのびのびしよう!!
と思ってはみたものの、さて何をしよう。

考えてみれば、普段から結構のびのびしていて、好きなことをしてる。
ひとりだからって特に普段とすることが違うわけでもなく・・・。特に変えようと思ってできることといったら好きな音楽をかけることくらい・・・?

どっちにしてもしなくちゃいけないことはしなくちゃいけないし、それを好きでしてるんだから、何も今日特別にできることなんてない。
そう考えると、私ってずいぶんと贅沢な生活してるのね。

日向ぼっこでもしようかな。外のほうが気持ちよさそうな陽気だし。

2011/04/04

またしてもお願い!

先日新たなブログを立ち上げました。

その名も「Carry on Japan」。

carry onというのは、がんばり続ける、とか、継続して力を尽くす、とかそんな感じに訳すことができる言葉です。
まぁ、要は「がんばれ、日本」というところでしょうか。

3月11日の災害からもうすでに3週間が経ちました。
今でもまだ、たくさんの人たちが生活に不自由していて、悲しい思いをしていて、それを遠くから何もできずに見ているのはとても苦しいです。

私にできること、せめて、メッセージを送ることくらいかな、と思い、はじめました。
URLです。
http://carry-on-japan.blogspot.com/

です。

まだまだ、メッセージも情報もそれほど載っていません。
これから、できるだけたくさん載せていきたいと思っています。

このブログに反映させたいメッセージ、情報等ありましたらぜひ送ってください。送り先は以下です。

carryonjapan@gmail.com

上記のアドレスに載せたいもの、なんでもかまいません。
メッセージ、写真、情報、詩、あるいはもしかしたら被災地で必要としているもの。


遠くから私たちにできること、そんなにたくさんあるわけではないようで、本当はたくさんあると思います。
祈ること、思うこと、心配すること、涙を流すこと、一緒に悲しむこと。
物理的に何か影響を与えるわけではないけれど、そんな思いはちゃんと、どこかに伝わっていくものだと私は信じています。

これは本当に小さな小さな一歩かもしれません。被災者の皆さんに届くのにとても時間のかかってしまう小さな一歩かもしれません。 でも踏み出さなければ、絶対に前にはすすまないんです。 小さな一歩も、すすみ続ければ大きな一歩と同じ歩幅になるはず。

「がんばってください」そんな、一言メッセージでかまいません。
一言送っていただけたら幸いです。

2011/04/02

お願いします!!

弟の友達のお母様が・・・ずいぶんと離れた関係の方なので直接は存じ上げません・・・こんな呼びかけをしていらっしゃいます。

もしも1冊でも協力ができる方がいらっしゃいましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

http://www.ehonproject.org/iwate/

遠くにいるから、家族がいるから、仕事から離れられないから・・・。みんながみんなそれぞれの理由があります。でも、今何かを感じていることには変わりがないはず。

簡単なことでもいい、何か一歩、半歩踏み出しませんか。

お時間のある方、ボランティア等をお考えの方、連絡をください。紹介に紹介を重ねる形になるかもしれませんが、どなたかがどなたかのお手伝いができるかもしれません。
力のない私を仲介に使ってください。もしかしたらそれくらいはできるかもしれません。