2011/05/29

新幹線から富士山

先日東京から帰ってくるときに、新幹線の中から富士山が見えた。
特に晴れた日でもないのに頂上部分だけきれいに雲から出ていて、なんだか少し幻想的。


このあたりに住む人・・・このあたりは小田原くらいだった気がするけど・・・は毎日とは言わないまでも、頻繁にこういう風景が見えるんだなぁ、なんて思ったら、ちょっとうらやましい。

日本に帰っているときにはちょこちょこ新幹線に乗るけど、毎回富士山が見られるわけじゃない。
やっぱり富士山が見られると、ちょっと気分もいいし、いい事がありそうな気もする。どんないいことかなぁ。

2011/05/27

携帯電話でアクセスしてください

最近でこそ本屋で文庫本を買う、ということが少なくなった。図書館を使う、という節約方法を取ってみたり、うちに転がっている本を読んでみたり・・・挙句には日本にいなかったり・・・。

で、久しぶりに・・・・なんだか最近この「久しぶりに」という言葉を頻繁に使っているような気がするけど・・・とにかく、久しぶりに文庫本を買った。

角川文庫。
帯に何か応募できるようなことが書いてある。
そういえば昔、新潮文庫のカバーのかどっちょを集めてマグカップをもらったことがあるなぁ、なんて思ってちょっと興味をそそられる。
どれどれ・・・。やっぱりマグカップだのトーとバッグだのをもらえるらしい。
さらに、どれどれ・・・。携帯電話からドコソコにアクセスして・・・。いやいや、私携帯電話持ってないからこの方法は無理よね。ほかの方法は・・・?

・・・ない。

なに?この応募は携帯電話を持っていないと出来ないということ?

そういえば、以前もコンタクトレンズを買うのに「携帯電話からこのサイトにアクセスしてもらうだけで、割引になります」っていわれたことがある。しかもパソコンからではだめらしい。

こういうことが私の周りにすらあるということは、社会現象として携帯電話は必携・・・・?
もうココまで来ると、それが便利なのか不便なのかよくわからない。
もちろん日本以外で私のいる国でもたいていの人は携帯電話を持っていて、うまく使いこなしている人が多い。でも、少なくともWolleと私はそこからかなり遠く離れたところにいるみたいだ。

実際に友達に会うときなんかも、私が電話持ってないっていうと、すごく困ったように見える。仕方がないからそういうときには父や祖母の携帯電話を一時的に借りているのだけれど。
困った社会になったもんだなぁ、と言っている私が周りの人から見て、実は「困った人」なのかもしれないんだよね。

2011/05/26

東京の節電

先週東京に出かけてきました。数日ほど。
久しぶりに会えた友達などなどとても楽しかった。

でも、実はしょ~もないことに初日にビックリしてきた。
東京、街がしっかり節電してる・・・。

私がいる愛知県では町が節電しているのはほとんど見かけない。・・・これって、市によって差があるのかもしれないんだけど。
弟のところに泊まりにいって聞いたところ、いや、最近はかなり明るいよ、町中・・・って。さらにびっくり。
電車の中も、あえて蛍光灯がはずしてしまってあるようなところもあるし、スーパーなんかも部分的に薄暗いし・・・。

もちろんこれは、東京電力の管轄内か中部電力の管轄内かによっての差なのかもしれないけど。
それにしても、これは「意識の差」ともいえるんじゃないかなんて、思ってしまう。
で、もって、実際に部分的に薄暗いからと言ってそれほど不便をしているわけではなく「要は慣れだよ」なんて話だ。

浜岡の原発が停止したら、うちの辺りも一時的にはこういう状態になるのかなぁ。私としては、それはそれで無駄がなくていいんじゃないかとも思うけど。
私は日本にいないときなんかは特に、電飾ピカピカのところにいるわけでもなく、比較的原始的な暮らしをしているから、むしろ「慣れだよ」という言葉にうなずいてしまいそうだけど・・・。
でも・・・PC使えなくなったら支障が出るなぁ、とは思う。・・・携帯電話はなくても問題ないけど、PCはつながらないと困る気がする。

関東圏の人たちは、うちの辺りにいる人よりも今の状況をしっかりと体で把握しているのかもしれないな、なんて思う。

2011/05/11

小説「八日目の蝉」

はい、うるさいようですが、また小説です。
これもまた映画化されている作品「八日目の蝉」。
そして、これもまた、うちの階段にありました。

すでに小説を読んだ人にはわかっているかと思うんですが、前半と後半の表現学的な違いもいい。視点、語り部・・・言い方古い?・・・なんていうのかな、こういうの・・・その転換も悪くない。

ただ、それを知らないと、途中で「早く先に進もうよ。」って思えて、ちょっとじれてくる。
はっきり「前編」「後編」って分けてあったら、それを気にしないで読めたかもしれない。欲を言えば・・・だけどね。

これは、先日の「プリンセス・トヨトミ」とは逆に、帯で永作博美の顔が出ていたのがよかったような気もする。・・・というか、まぁ、私にとってわかった顔が彼女だけだったんだけど。若い人のほうは誰なのか知らないので・・・。
・・・と、いうことは、前回に書いたことを直後に翻すような発言だけど、文庫本の帯も悪くないじゃ~ん、ということですね。
この女優さんが演じるということが年頭に来るだけで、その人物のイメージがよくなったりもする。すごいね、映像って。

映画は今のところ直近で見る予定はありません。どなたか、映画で見た人、どうだったか教えてください。
小説はいい作品でした。重すぎもせず、かといって軽すぎもせず、気持ちが柔軟な状態で読むのには適した小説かと思います。

小説「プリンセス・トヨトミ」

またまた小説です。
今度映画化された「プリンセス・トヨトミ」。
読んでみました。またうちの2階の階段においてあったので。

なんだか読むのにすごく時間がかかった。
小説にするよりも、最初から映画の脚本として書いたらよかったんじゃないかな、と思えるような作品でした。
行間部分に必要な想像力を使わないで読める小説。
・・・比較的、私が読みにくいと感じる小説でした。

だから、逆にとらえれば、そのまま映画化されたら面白いんじゃないかと思う。
映画自体をまだ見ていないからなんともいえないけど、これをそのまま映画にしたら面白いんじゃないかな。撮影のコマを小説どおりにしたらいいんじゃないかと・・・・。ただ、アイスクリームを食べるシーンが多い人物がいるので、その人を演じる・・・おそらく堤真一が私のようにアイスクリームが好きじゃなかったら、彼はかわいそうかも・・・。というか、演技が大変かも・・・。でも、堤真一、演技はうまそうだから大丈夫なのかな、そんないらない心配をしなくても・・・。

ただ、私が読んだ文庫本みたいに、帯に「大阪全停止。」を先に読んでしまうと、小説の面白さが半減する。
どうして、映画の広告文句って、そういう風になっっちゃうんだろう。
もしかしたら、この小説の映画化に際して、この部分を強調して作ったのかもしれないけど、そうしたら、この映画の面白さは半減するはず。

それなりに面白い小説だった。
映画化されるから読んだ、って言うわけでもない私としてはそんな風に思ってしまうなぁ。

人によって、小説の読み方って違うと思うから、私が感じることを誰もが感じるわけじゃないと思う。でも、帯に書いてあることって、映画化した人が、あるいは関係者が、あるいはそうなったことでこの本を売ろうとしている出版社の人が作る文句だから、それに惹かれて読む読者とは感じ方が違うはず。
そういえば、私が書いた本の帯の文句も出版社の人が作ってくれた。初めて見たときには「おいおい・・・。」って思った記憶がある。今となっては、その文句にも慣れてしまったけど・・・。

もしこれから読む気があるようだったら、あの文句はみない振りをしてください。あれがないほうがこの小説が面白く読めるはず。

映画「ブラック・スワン」 Black Swan

そうだそうだ。
映画といえば、この前日本に帰ってくるとき、飛行機の中で見た映画。「Black swan」がすごくよかった。
・・・と思っていたら、アカデミー賞主演女優賞をナタリーポートマンが取っていた。

私は海外にいるときに、テレビで映画を見ていることが多い。日本で劇場公開するよりも海外のテレビで先に見ることのほうが、あるいは今回のように飛行機の中で見ることが多い。

この映画「ブラック・スワン」はバレエの白鳥の湖の役者の話。

ナタリー・ポートマンといえば、どうしても「レオン」を思い浮かべてしまうのは、きっと私と同じくらいの年齢の人かもしれない。
まだ幼い、でも将来必ずや決定的な美人になることを約束されたような顔立ちの少女、ナタリー・ポートマンが初出演したのがジャン・レノと共演の「レオン」だ。しかも、そのころから光るような演技をした。

ブラック・スワンは宣伝文句に「狂気」という言葉を使っている。けれども、その境目が映画の中では定かではなく、そのきわどい境目の部分をナタリー・ポートマンが、悲しみをたたえた表情で輝くように演技している。
もちろん映画というのは、女優さん、男優さんの演技だけではどうにもならず、たとえばスタントマンのような人が必要になってくることが多いはずだ。でも、それを出来るだけ自分で演技しようという、撮影前の心構えも演技には響いてくると思う。
体重の増減、技術、その人物への理解度、等々。

この映画を経て、この女優さんがこれからどれくらい飛躍するのか、とても楽しみでもある。

興味のある方は、以下のウェブサイトへどうぞ。
ブラック・スワン 公式サイト

一般用ゴミ袋

先日、買い物籠を下げて「買い物行ってくるねぇ!」と玄関を出るときに、母が「ゴミ袋買って来て~!」。

それを買ってきた後に、母が一言。
どうして、捨てるために買ってこなくちゃいけないんだろうね、ゴミ袋・・・。

・・・確かに。
おぉ!確かにそうだ。
このゴミ袋、新しいまま捨てられるために買ってくるんだ。
そんなバカバカしいほど当たり前のことに、母に言われるまで気がつかなかった。

うちにある、いらないビニール袋、紙袋を捨てるために使うというのだったらわかる。でも、捨てるものを入れ、それ自体も捨てるためにゴミ袋を買うって、物凄くあほくさいことをしているんじゃないかな、私達。

もちろん、統制を取るため、規則のため。
いろんな理由はあるんだと思う。でも、母の言うように、主婦は、捨てるためにゴミ袋を買っている。

どうしてただの袋じゃだめなの?どうせ白濁色で中身なんか見えないんだから、せめて、一般ごみ・・・なんというの・・・可燃物、燃えるごみ??・・・そういうのだけは、どんな袋でもいい、ってしてくれたらいいのに。
いちいち買う必要もないし、資源自体の無駄もないと思うんだけどなぁ。
それって、無理なこと?

映画「神々と男たち」 Des hommes et des Dieux

久しぶりにフランス語の映画を見ました。
今劇場で上映中の「神々と男たち」。劇場に行ってから選んだ映画で、内容もキャストも全く知らないで見た。
こんなことを言ってはいけない気もするんだけど、「まだ見てない洋画」を選んだことになる。しかも、ポスターもちゃんと読まずに・・・。

そんな状態で始まった映画。
まず最初に「あれ・・・これ、フランス語じゃん。」
次に「あれ・・・でもこれ、フランスじゃないじゃん。」

まず雰囲気からして、アルジェリアかナイジェリアだろうと思いながら見てました。興味のある方へ・・・これはアルジェリアの話です。しかも実話でした。

何の期待も持たずに見たのがよかったのか、私にとってはかなり高得点の出る作品でした。それもそのはずで、後から確認したら、フランスで大絶賛の、しかもそこかしこの賞を総なめ。

一人一人の役者が物凄くよかった。年配の男優がほとんどのせいかもしれないけれど、どの人も、顔だけでこれだけ演技というのは出来るものなんだなぁ、と感心するほど。苦悩も喜びも瞳だけで表せるんですねぇ。

ただ、やはりちょっと残念なのは、宗教というものについて、私がそれほど理解していないというところ。もしもそれを解する心があればもっといい作品に感じることが出来るのかもしれない。
BGMをそれほど使わずに、聖歌をうまく使ってあります。私は教会で聞くこういう歌が比較的好きなので、いやな印象は受けませんでした。きっとここは好き嫌いがあるはず。

でも、そう私が感じていても、二つとなりに座っていたおじさんからは鼾が聞こえていたので、本当にさまざまなんだと思う。

ジャンルを問わずに映画を沢山見ている人にはおススメできます。

公式サイトを載せておきます。
神々と男たち 公式サイト

小説「雷桜」と、映画「雷桜」

宇江佐真理という作家の本を、ここ5,6年の間に時々読んでいた。
母が時代物の小説を手当たり次第に読むので、その中から見つけた作家さん。ただ、この方の作品はそれほど深みがなかったというか、重みがなかった。時代背景とか、設定なんかも最初のころの作品はかなりあいまいで、掘り下げていないように感じてた。

それが「雷桜」辺りからは「おもしろいね」と素直に言えるようになっていたと思う。ただ、内容なんてすぐに忘れてしまう私達・・・私と母です・・・は、単行本で読んでいるにもかかわらず、しばらくして文庫本が出ると新刊だと思って買ってきてしまう。
今回もまたやってしまいました。
2階の階段付近にあった本を手に取ると「雷桜」。あら、新刊だわ、と読んでみました。しばらくして以前読んだことがあることに気づく・・・すぐに気づかないところが少し悲しいけど・・・。
でも、まぁ、楽しめる本なら何度読んでもいいわけで。
「この人の作品、少し重みが出てきたねぇ。」などとまたぞろ同じ感想を母に伝えてみたりもする。

で、これもまた母と、ビデオを借りに行ったとき、映画化された「雷桜」がビデオになっているのを発見。
いいんじゃな~い、と借りてみる。

と。
これはひどい。
ここまで小説と内容を異にするなら、いっそタイトルを変えてあげればいいのに。小説の面白いところも、感動的な場面も、全てカット。なんだかわけのわからない、時代劇風へなちょこ恋愛映画みたいになってる。

ここまでいくと、作者に失礼なんじゃないかと思う。
作者だって、映画化されるなんて喜ばしいことだと、最初は思うにしたって、出来上がりがこれでは怒りすらわいても不思議じゃない。
雷桜、という名前と、その奇異な樹木のイメージを使いたいと思っただけのようなストーリー。せっかく以前は書ききれなかった重さを作者が描いて見せられるようになったというのに、そのよさを全て削ってしまったかのよう。

せっかくのいい作品がもったいないことになるなぁ。
概して、小説や原作を先に読むと、映画が面白くないとは言うけれど、この小説と映画はそんなレベルではなかった。タイトルが同じだけの、全く違う作品だと思えばいいかもしれない。

でも、小説のほうはよかったです。
ストーリーの奇異性は好みがあるかもしれないけれど、その分多くの人に受け入れやすいのではないかとも思う。
どちらか一方をお考えの方、是非小説にしてください。

この作品の一般的な情報です。
雷桜 by Wikipedia

2011/05/06

こどもの日特別企画

5月5日、こどもの日。
私は日本にいるときに姪や甥と接する時間がほぼ毎日ある。でも、私の接し方というのは、ご飯を作る、とか、洗濯をする、とかいう間接的な方法が多い。
だって、遊んであげたり、遊びに連れて行ってあげたり、そういうことは私よりも私の両親や彼らの両親のほうがずっと上手だから。

そこで、なにか私くらいしかしないようなことを、たまにはしてあげたくて、じゃじゃ~ん「こどもの日特別企画」を。
ただ、これ、一番上の子しか連れて行けない。
普段、バスで時間をかけて通っている自分の小学校へ「歩いていこう」というもの。

この小学校は私も通っていたところで、岡崎市内のいろんなところから通ってくる子がいる。ちなみにうちは岡崎のはずれ。小学校は岡崎のほぼ中心。
大人の足で歩いたら・・・2時間半から3時間・・・くらい・・・かな?
そこを小学校1年生になりたての彼女と一緒に歩く。

はじめにちょっと冗談交じりに言ってみたら、すごい勢いでその話に飛びついてきた。
お弁当を持って、水筒を持って・・・。

さて、どれくらい時間のかかるものなのか想像もつかないまま出発。
3つ年下、今年年少さんのぼうずには「のちち(私は彼のことをこう呼ぶ)が1年生になったら、二人で一緒に行こうね」と約束をして、今日はガマンしてもらった。よく我慢が出来ました、エライゾ、のちち。

さて出かける前に1枚。なんと信じられないことに、彼女はフリフリのワンピースを着てきた。そしてパンダの顔のついたキャップ・・・。どこかのオマケでもらったようなポケモンの、リュックとは言いがたいような袋・・・。そして、履き古したスニーカー。
間違っていないのはスニーカーだけに見える。全身のコーディネイトは全くちぐはぐで、これだけ見たら、どこに何をしに行くのか誰にも想像はつかない・・・。歩き始めて15分。
出かけるときから、背中の袋に入れた水筒の位置が気になってた彼女。早速言い出した。「これ重い」・・・。
歩き始めて15分って、要するにうちから大きな通りに出て、その角を曲っただけのところ。
無理やり重いものを持たせて、余計に時間のかかってしまうのも困るし、せっかくなのに彼女が楽しめないのも面白くない。
仕方なしに彼女の水筒を私のリュックへ移動させる。

そして、数分歩く・・・。と、今度は「ねぇ、これ邪魔」・・・と、ポケモンの袋を私に渡す。
・・・・・。
確かにこの袋はとてもじゃないけど、長時間背負っていられるものではない。だったら、自分で持てるものを持ってくるのが「用意」というものです~~~。わかっているのか1年生!!・・・と言いたいところだけど、わかってるわけない。仕方がないから、私はその袋を体の前にぶら下げて歩いた。
しばらく歩いていると・・・。
「ねぇ、ぼん(私のことを彼女はこう呼ぶ)。その袋、そうやって持つの恥ずかしいから、リュックに入れてよ。」
な~~~に~~~??
もう、ただでさえ、私と彼女の格好は釣り合っておらず、なんとなくジロジロと見られる視線を感じ、なんとなく決まりの悪い思いもしているというのに。
こら!こんなことになっているのは、全てあなたが今日の特別企画に全く沿わない格好をしてきたことが原因なんだぞ!!

何も荷物のなくなった彼女は、ママに書いてもらった地図を、私のリュックのポケットから時々引っ張り出しながら「今はどこ」を連発。
ママが書いてくれた、目立つ、目印になるような建物をチェックポイントにしながらのんびり進む。

この写真のこのポーズ。
彼女の態度が突然大きくなると、このポーズが出る。最初は人の後ろに隠れてしまうことが多いのに、何のタイミングを以てしてか突如として気が大きくなるらしい。その起因は全く持って不明。そして、そういうときにはたいてい威張っている。
このときには、もしかしたらチェックポイントの郵便局に到着したことがうれしくて、突然偉くなってしまったのかも・・・。
「ぼん!暑いから日陰探して!」

「暑い」を連発しながら、それでも一所懸命歩く彼女を鼓舞し、たまには騙し騙し、とうとう、中間地点直前の附属中学校へ到着。
最初から、ココでお弁当を食べることに決めていた。
事務室でそう話をしようと思っていたら、今日はどの扉も閉まっていました。そうよね、祝日だもんね。

と、いうことで、ベンチでお弁当を広げる。
久しぶりに来た中学校。どこに顔を向けてもいくつものシーンが頭をよぎる。
そういえば、この写真のベンチの前辺りで、体育の先生にしかられたこともあります。 こんな水道の蛇口だけでなつかし~~~。

こんなもの、学校でしか見ないよね。



これはすごい。太陽光エネルギーが何だとか説明書きがしてあったけど、トイレです。これは普段生徒も使ってるんでしょうか。
さて、休憩を終えて再度出発。
このマーク、市内の歩道でよく見かける。私よりも一緒に歩いている背の低いちびっ子の目を引くらしい。ちゃんと目的は果たされているようです。 さて、そろそろ終盤。
川を越えた辺りからは、もう疲れすぎて物凄くハイパーになってしまっている1年生。
このあたりの坂なんて、踊るように歩いてました。おそらく自分が何をしているのかわからなくなりそうだったのでは・・・。
この小道。私と同じ学校に通った人ならなんとなくどこなのか想像がつくかも。
そう、学校の裏手です。今ではぐるっとフェンスで囲まれてしまっている学校。それでも、裏手の小道の雰囲気は変わっていませんでした。
ちょっとうれしい。 とうとう到着。
かかった時間は5時間半。 自分の教室をのぞきこむ。
毎日来ている学校なのに、彼女はすごくうれしそうに走り回ってました。
疲れてるけど、止まらない・・・ような。
この遊具。私が小学生のころには、隣の養護学校の敷地内にあった。場所が違っても同じ遊具が残ってるなんてうれしい。


いらした先生に声をかけて、教室の中にも入れてもらいました。私はこの教室を使ったことはないけど、こんなちっちゃないすに座っていたこともあるんですよね・・・。
先日、この学級文庫の中に私の名前が書かれている貸し出しカードを見つけたという話。それを私に見せたかったみたいなんだけど。
今日は見つかりませんでした。でもなぜか威張ってしまっていますね、彼女。


走り回る彼女を説得し、帰路へ。
帰りはバスで帰ることに。
調子に乗りすぎて「帰りも歩きたい。」なぞとほざくのを尻目に、ほらバス来たよ!!

うちに帰ったら、のちちがふてくされていました。
1年生になったら、今度はのちちと二人で行こうね。

1年生。お疲れ様でした。5時間半もよく歩いた。
達成感が大きかったみたいで、その夜はもう大人の仲間入りのような顔をしてました。

もちろん翌日は足が痛かったです・・・。

2011/05/01

ゴールデンウィーク恒例の飲み会

今年もまたありました。GWに年1回だけ顔を合わせる飲み会。
実は前日に体調を崩して、当日までいけるかどうかわからなかったんだけど、1年に1回しかみられない顔、と思ってどうにか体調を持ち直した。
今年は、9人。
どうしてこの顔ぶれなのかいまひとつわからないような顔ぶれだけど、一緒にいてすごく楽しい。

一緒に制服を着ていたころは、もちろん一緒にお酒を飲むなんてことなかったけど、お酒を一緒に飲んでも楽しいなんて、なおさら素敵だ。
東北応援とキャッチフレーズのついた地酒を飲むふたり。

ヨウちゃん、ちっちゃいのによく飲む!









去年のこの飲み会ですごく久しぶりに会った矢野君。一緒に浪人もしたせいか、私にとってはすごく懐かしくて、それでも話をするのが一番自然。
私の気分では矢野君はなんとなくお兄ちゃんみたいな人。 このメンバーはラグビー部に所属していた人が多いせいか、未だに体をくっつけることが自然なことなんだろうか・・・。


子供が二人くらいいる人が多い。最高年齢の子供は、すでに高校生とか・・・私たちが出会ったころじゃ~ん!!
独身組は肩身が狭い・・・とは言いつつ、結婚してしまうと、女の子は夜出かけにくいので、これはこれで、未婚者のメリット。たまには未婚のほうがいいこともあるのだ。

話が髪の話や、体力の話になることもある。「もう年取ったなぁ」なんて。
そういいながら、腰が曲がってしまうくらいまで、こうやって集まれるといいね。

帰り。
みんな、ちょっと酔っ払ってたのかな。
また来年も会おうね~。