2009/05/30

台北 その5  おいし~い

台北にいる4日間でとにかく沢山食べた。
麺類、肉まん類、蒸し物類、餃子類。一つ一つ名前はあるみたいなんだけど、いちいち覚えきらないほど。餃子だって、形も味も違うものが沢山ある。
食べる店によっても質も味も全く違う。

概して、メニューを見ても、どれがどのような形状で来るのか、あるいはどんな味をしているのか想像するのが難しい。だいたいどんな食べ物があるのかすらそれほど知っているわけじゃない。
注文するときもおおよその見当で頼んでいるので、おいしいものが来るとなおうれしい。

特に気に入ったのは小龍包。特に最後の日のお昼にホテルで食べたのは、ほかと比べてスープが沢山入っていておいしかった。


お茶もおいしいものが多かった。うちの家族は毎日かなりの量のお茶を飲む。そして種類もさまざま。時々中国茶も飲むけれど、そんな風にうちで飲んでいるお茶よりも格段においしかった。

お茶屋さんにお茶を買いに行くと、たいてい試飲をさせてくれる。そこで飲み比べて、気に入ったものを買うことができる。



でも、あんまりに沢山試飲させてくれるので、空腹時には注意が必要みたいだ。

ちょっとしたおやつなんかも、甘いものだけじゃなくて小さなミートパイみたなものもあった。

最後の最後のお昼で、すごくおいしい餃子を食べた。一皿分の餃子が間にカリカリがついていてひとつにまとまってる。
こういうのって、絶対にカリカリがおいしいんだよね。


しかもこのときのデザート。いつも特にデザートを食べる習慣がないので、自分で頼んだわけじゃない。この時間帯のサービスだとかで・・・。
二つのうちから選べた。ひとつは蒸しパンのようなもの。もうひとつが「ゴマスープ」。
ゴマスープ??デザートで??
これは頼まなければ。
そして、これがおいしかったのなんの、って。甘くてすごくこってりしてるんだけど、口に残る感触がくどくない。黒ゴマをすって、何かと混ぜてあるんだと思うけど、その「なにか」は食べているのにわからない。


ひとつひとつ、名前がよくわからないのが悔しい。漢字はわかっても、日本語で読めないから覚えられない・・・。
でも、日本ではあんまり見つからないようなものもあるんだろうから、次回またいつか台北に行ったときのお楽しみ。

いや~。おいしい旅行でした。
帰る頃になって気づいたことがある。
たった数日の間に私のジーンズは縮んだようである。

台北 その3 マッサージ

やっぱり台湾といえば楽しみの一つにマッサージが入る。
足の裏のマッサージや、マッサージャーが天井近くの竹の棒に摑まって全身に体重をかけていくマッサージ・・・これのことを一般には台湾マッサージっていうのかなぁ・・・。

実は私はどちらも苦手。全身を踏まれて呼吸ができなくて、途中でマーっサージを放棄したこともある。足裏は、翌日になるとすねのつぼに痣ができるという始末。
それでも、足裏のマッサージは弱くもんでもらえばすごく気持ちがいい。

と、いうことで4日のうち3日、マッサージショップに通った。通ったって言っても毎回違うお店だったけど。

通りをぶらぶらしてると、とにかくどこにでもマッサージのお店はある。でも大抵は日本語のメニューも出ていて、日本人観光客にマッサージがどれほどの人気があるかを語ってる。

2日目に入ったお店。
たまたま歩き回っていた辺りが日本人の多い地域だったみたい。日本食の店も沢山あるし、看板も日本語が多い。
中山北路一段と南京東路一段の交差点近くの天津街というとおりの間。天津街と中山北路一段の間にある。
このお兄さんはちょっと話すだけだと日本人??って思うような自然な日本語を話す。取ってつけたような日本語を聞きなれ始めていたせいか、それほど流暢に話ができるわけでもないのにすごく流暢に聞こえた。
http://www.foot.idv.tw/chan/long.htm

足裏マッサージ1000元/hも一般的な値段。
弱めにしてね、っていうリクエストもちゃんと守ってくれた。
実はこの「弱めでお願い」っていうのが、力のコントロールが難しいみたいで、大抵ははじめ弱くてもだんだん強くなる。でもこのお兄さんは最初から最後まで一定の、弱めのマッサージをしてくれた。


3日目。
チェックアウトするまでにマッサージをしようということで、急いで出かけた。
何もリラックスするために急がなくてもいいのに・・・、と思う。でも、っていうことはそれくらい気持ちがいいってことだ。
初日に出かけた行天宮近くにマッサージショップが並んでいるのを見かけた。そこに行こう。
行天宮の交差点の反対側に4,5軒。入り口に書かれているメニューを見ながら選ぶ。あんまり強引に呼び込みをされるとなんとなく逆に入りづらいのはどんな人間心理なんだ。
とにかく私たちは歩いている私たちに一番興味を示さなかった店に入った。
入ってみて納得。一応メニューは日本語のものも用意されているけれど、スタッフがだ~れも日本語も英語も話さない。
コミュニケーションは筆談ですすむ。う~ん。やっぱりこの方が簡単な気がする。「我」とか「請」とか必要最低限の中国語の字を知っていればスムーズにすすむんだ。
2日目のさっき書いたお店でもそうだったけど、ソファの前に備え付けの足浴用洗面台みたいなのがついていて、その中には薬草みたいなものが入った袋が浮かんでる。足浴をしている間に肩と首のマッサージ、そしてお茶がついてくる。
このお茶が甘苦くておいしい。
どんなお茶なのか聞いてみると「中薬茶」という答え。聞いたことないなぁ、って、当たり前。よく聞いてみると普通のお茶じゃなくて「養生茶」という類のものらしく、お茶屋さんでは売ってないらしい。

ここのお姉さんも弱めにマッサージしてくれた。


そうそう。
マッサージとは少し違うんだけど、このマッサージショップの近くの地下道に占い横丁なるところがある。地下道の両端に占いをしてくれるお店が並んでる。
で、その占い屋さんの列を結ぶ地下道の部分に、おばちゃんが何人か座ってる。
産毛取りの専門のおばちゃんたち。
う~ん。いいか悪いかわからないけど、そんなのしたことないからしてみようか。
顔にお粉をはたいて、よじった糸を使って顔中の産毛を抜く。糸の片端はおばちゃんがくわえ、もう片端を手に持って、間の糸はねじられている。そのねじれを使って産毛をはさんでいる様子。
ちょっと太目の産毛を抜くときにははっきりと抜かれている感触がある。時々痛い。
でも終わった後ははっきり前と違う。ほっぺなんかもするりんとしてる。
この産毛取りは夜市でも見た。台湾人の人たちがみんなこれをしているとは思えないけど、かみそりで剃るよりも、こっちのほうが好き、っていう人はいるだろうなぁ。

台北 その4 故宮博物院・夜市

私が10年前くらいに台湾に来たときの印象は、一番面白いのはやっぱり台北かな、ということ。そしてその中でも印象的だったのが故宮博物院と夜市。

故宮博物院は、博物館・美術館等にあまり興味のない私が丸一日楽しむことができた。エアコンがすごく利いていた記憶もある。
今回行ったときは、前のときよりも人が多かった気がする。にぎやかだった気もする。そう。一般に博物院なんていうとし~んとした冷たい雰囲気があるところが多いけど、ここは観光客が多いせいか、団体が多いせいかずいぶんとにぎやか。
解説を聞くヘッドフォンをしたまましゃべる人が多いので、自然声も大きくなる。





今回楽しみだったのがやっぱり夜市。
1日目。一番にぎやかな夜市と言われている支林夜市に出かけた。
到着してびっくり。人がいるわ、いるわ。
一番にぎやかって言われてるんだから、そんなこと当たり前なんだけど。しかも若い子がすごく多い。両親くらいの年齢の人なんてほとんどいない。

それほど広くない通りの両端に屋台のような店がずらりと並ぶ。もちろん小売店の前には出店はないから、出店だけで固まっている区域ができる。当然なのか、そうじゃないのか、そこが一番混み合っていて数歩すすむのも大変。
母なんか、迷子になっては大変、と私の手を握り締めたまますすむ。そんな雑踏の中で手をつないでいたら歩きにくいことこの上ないけれど、本当に迷子になっちゃったら本当に大変なことになりそうなので、私も母の手をしっかり握る。

市場と言っても、広場を使っているわけじゃない。その区域全体をそう呼ぶだけなんだと思う。通りもまっすぐなわけではなく、曲がっているので自分がどっちを向いているのかよくわからなくなる。何回か通りを曲がっているうちに、自分がどっちにすすんでるのかなんてどうでもよくなってきた。


とにかくあっちこっちにおいしそうなものが山になってる。
餃子。肉まん。お茶。果物。カキ氷。
私たちはひとつのものを沢山食べないように気をつけて食べた。だって、違う種類のもの沢山食べたい。
それでも、そう何種類も食べないうちにおなかはいっぱいになってくる。
最後は、どうしても食べたいけど今は無理、ってことでホテルに持ち帰った。


もう1日、夜市に行った。
今度は饒河街観光夜市というところ。何度がんばっても、名前を覚えきることができない。
私たち3人にとって、こっちの夜市のほうが支林夜市よりも気に入った。たぶん・・・食べ物の出店がこっちのほうが多い気がするから・・・?


ここではやっと、杏仁豆腐を見つけた。どこに行ってもこれがなかなか見つからなくて、実は探してた。
ここでは金魚屋さんもある。ってことは、ここにくればいつでも金魚すくいができるってことだ。売ってるだけじゃない。
一口で食べられそうな餃子。ほかに胡椒餅なんていうのもある。店の前でおばちゃんが握っているのを焼いてすぐに食べられるんだから、ゼイタク。

前日のお昼に食べた小龍包がおいしくて、探していたらあった。
常設に近いような形のお店だ。でも通りで蒸篭が湯気を立てている。私たちの中で小龍包はすごく人気で、数日の間に3回も食べた。いつも違うところでだけど。これはそのうちの一回。

台北の3大お楽しみのひとつ夜市は、おなかいっぱい、持ち帰りいっぱいで終わった。
これだけの楽しみのために、また台北に来てもいいなぁ、と思うくらいおいしい。

台北 その2  町の日本語

ただ面白いというだけなんだけど、こんなのがあった。これはとおりを歩いていて見つけたもの。ただ見るだけだと「ちょっとした間違い」に見えるんだけど、声に出すと面白い。
もしかしてこれは字を間違ったんじゃなくて、日本のある地方で日本語を勉強した台湾人が、発音をそのまま書いたんじゃないか、なんて思っちゃう。

これは、ホテル内のレストランのメニュー。
鶏肉もえびも、運ばれてきたときにぐつぐつと音を立てていそうなメニュー。
mmmm・・・。きっと、私が何かを英訳したらこんなことになるんだろうなぁ。間違ってるわけじゃないけど、メニューとして正しくないというか・・・。

もうひとつ。日本語じゃないけど面白くて思わず写真に撮ったものがある。
歩行者用の信号。
青のとき、テクテクと人が歩く。しかも残りの時間が30秒をきると、テクテクが早くなる。あんまりかわいくて、何度も見入ってしまったよ。

台北 その1

台北で今回泊まったのは、圓山大飯店というホテル。旅行代理店で「どこか雰囲気のあるところを・・・。」ってお願いしたらここを紹介してくれた。

ホテルに着く前から遠くに見えるその建物は、際立っていて、迫力がある。もちろん近くで見ればもっと迫力がある。


外見も見ごたえはあるけど、中もずいぶんと立派だ。

それもそのはず。
かつての台湾神宮の跡地に建てられ、歴史的にも有名なところらしい。台北の数あるホテルの中でも老舗だ。こんなことを知らずに泊まりにいったなんて失礼な話だと思うけど・・・。

特にバルコニーはゆったりと作られ、欄干というか、柵というかは中華風のデザインで赤で塗られている。部屋の中の調度品なんかも中華風であつらえてあって、確かにものすごく雰囲気がある。

日本語を話すスタッフも大勢いるようんだけど、そこは今ひとつ。必要最低限のことを話すことはできるのだけど、こっちがいうことはほとんど理解してない、とか、会話はできない、という程度。かといって、英語を話すわけでもないので、コミュニケーションには時間がかかる。
一緒に行った両親は、相手が少しでも日本語らしきものを話すと「この人は日本語を話す」と理解して、何でもかんでも日本語で言う。でも相手には伝わらない、というおかしな図も多々あった。

ホテルだけではなく、町に出ても同じ。観光業に携わる人のほとんどが、かたことの日本語を話すのだが、話ができるレベルまでは会話力がないので、やたらと時間がかかる。
私が、全く日本語も英語も話さない人と筆談をするのとさほど変わらないほどの時間がかかるとすれば、理解しにくいものに頭を悩ませるよりも、相手に理解してもらうために筆談を使ったほうが私としては楽な気もする。

国際的に有名なホテルであるとはいっても、そこはやはり中華圏だからだろうか。フロントもレストランも順番とか、サービスとかスタッフの態度とか、思いっきり中華圏独特のものがある。
これでサービスがインターナショナルだったら、このホテルはものすごい人気を博すことになるんだろうなぁ、と人事ながら思う。
フランチャイズであっても、国際的な水準を持とうとするホテルが人気があるのはさもありなん。

でも、建物があれだけ素敵だとほかの事はたいてい許されるのかもしれない。

ただいま帰りました~

ただいまぁ~です。
いや~、台北暑かったです~、と言いたいところなんだけど、3日間曇ってて、今朝初めて太陽を見た次第です。でも、雨は数滴しか感じなかったので、逆に暑くなくて楽チンだったのかもしれない。

なんだかんだと言って、あれこれ食べ、しっかり体重は増えて帰ってきたはず。だって、昨日くらいからジーンズきついもん。

写真等々、明日からアップしま~す。

2009/05/21

台北行き

突然台北に行くことになった。両親と。来週。
毎度毎度だが、旅行会社の方に驚かれるほど近日の予定を組む。

26日から台北。
なんと短い3泊4日。たまにはみじかい旅行もいい。
台湾は10年近く前にぐるっと一周して以来。台湾の中ではやっぱり台北が面白かった。
ちなみに私にとって台湾といえば、今までで一番やすい宿に泊まったことがある国。お金を払って泊まるという意味で・・・。台中でその頃円に換算して50円というとんでもない宿に泊まった。まぁ、宿という名前だけで、物置もびっくり位の広さだったけど。でも個室だった。
と、言っても今回はそんな宿に泊まるわけではない。

故宮博物館に、いくつものマーケット。
楽しみ、楽しみ。

おいしいもの何があるかな~。
台北でオススメってどこがあるんだろう??

麦秋


季節は麦秋。
車で走っているときに気がついた。もうそんな時期だ。
田舎道を走るとき、景色の大半が黄金色に輝いている。・・・なんて言うと聞こえはいいけど、もちろん写真のように、隣にビニールハウスも並ぶ・・・。

私はこの「麦秋」という言葉が大好きだ。
麦の穂が、秋に稲穂が作り出す色と同じ色を作り出す。輝いているわけでもないのに、黄金色だ。
お米を作る文化ならではの、しかも一年に一度だけ収穫する地域にできた言葉だと思う。誰が作った言葉だろう。
春には春の、秋には秋のイメージがはっきりと固定しているからこそ、この時期の名前を秋じゃないのに秋と呼べる。
実はきっと、こんな風にしっかりと四季がある国というのは沢山あるわけではない。こういう言葉に接すると、自分の生まれた国が四季の豊かな国でよかったと思う。

2009/05/20

常滑の焼き物

久しぶりに常滑に行ってきた。
うちで使っている急須で何度かほうじ茶を淹れてしまい、緑茶がおいしく出なくなってしまったから。

常滑に行くといってもいつも同じところに行っているので、常滑に行くというよりも急須を買いに行くといった感覚。
ずいぶんと長いこと、同じ陶芸家の急須を使っているので、その作家さん以外の急須だとなんとなくしっくりこない。ということは、その作家さんの急須はそれほど使い心地がいいということ。
お名前は甚秋さん。宮内庁御用達でもあり、我が家になくてはならない急須を作り出す。


常滑の町は大通りから一本入るとこちょこちょとした道がまっすぐにも斜めにも走っていて、とてもじゃないけど人に道順を説明することなんてできなさそうな町並みだ。
父の運転する車は、あっちを右斜めに入り、こっちをカーブして何でもない家に見えるところでとまった。
知らないで通れば、この中に工房があるなんてわからないで通り過ぎてしまいそうだ。

でも、よく見れば開け放たれた部屋にいくつもの出来上がった急須が並ぶギャラリーがあり、真ん中にはどっしりとしたテーブルもある。

母はいつも同じタイプの急須を欲しがる、ということを甚秋さんも奥さんも知っていて、いくつか大きさの違うものを出してくれる。
一見どれも似たような形に見えるけど、一つ一つ手に取るとどれも大きさが違い、形が違い、色が違う。
私は今回一緒に来ることができなかった母のために、いくつか選ぶ。私のもひとつ。

いくつも目の前に並ぶと、こっちのほうが大きさがいい、とか、これのほうが注ぎやすそうだ、とか、なんだかんだと思ってしまって選ぶのに少し時間がかかる。
でも、これが楽しくて来るんだ。
結局4つ選んだ。




急須は自分で焼き物をしているときにも、それほど数を作らなかった。だって、難しいんだ。特に注ぎ口が。形のせいなのか、注ぎ口の大きさのせいなのか、出来上がって使ってみるとたいてい注いだ後に1滴2滴こぼれる。
そこで、工房を覗かせてもらってるときに甚秋さんに聞いてみた。
すると、答えはいたって簡単。注ぎ口の薄さのせいじゃないかという。でも、薄くするために土を選ばなくちゃいけない。
な~るほど。
粘土質の強いものなら薄くしやすいけど、目の粗い土だと薄くしにくい。そうかぁ。土がネックだったんだ。形じゃないのね。
てっきり、本体から出ている部分の形のせいなんだと思ってた。
でも確かに、その形によって、お茶を注ぎ終えたとき急須を縦に戻す動作でお茶が急須の中に引き込まれるらしい。・・・・じゃ、やっぱり形も必要なんじゃん・・・。その形が難しいって話だ。
まぁ、急須を作るのは簡単ではないぞ、と。

最後に「これ、ビールカップなんですがどうぞ」と甚秋さん作のビールカップをくださった。
おぉっ、私の顔は見ただけでビール好きだってわかりますか??しかも3つも・・・。ありがとうございます。


ずいぶんと久しぶりに人と陶芸の話をした気がする。
甚秋さんはとても気さくな方で、工房も見せてくださるし、この部分が難しいなんて言うとどういう風にするといいかなんてことも気軽に話してくださる。
「ほら、これ持ってみて」なんて、まだ湿度のある状態の形成中の急須を渡されたときには、私のほうが驚いてしまう。うわっ、私指輪してるのにっ。
でも、その湿度の感触は、私の手にとても久しぶりの感触で、しばらく私の中で冬眠させていた土への想いの温度を少しだけ上がらせた気がする。
私はいつかどこかで窯を持ちたいのだ。いつになるか全くわかんないけど。

甚秋さんありがとうございま~す。

2009/05/18

スタッフビデオの編集

昨日今日とかけて先シーズンのモスキートダイビングのスタッフビデオの編集をしてみた。
一番最初に時間がかかるのが曲を選ぶこと。
だけど、今回は以前Johanが「これにしてよ」ってコピーしてくれたI can see clearly nowにした。
別のバージョンは別で作ればいい。今回はとりあえずでもこれで作った。

持ってるキャプチャーの中からみんなのいい顔をしてるのを選ぶ。
それを3分くらいの音楽に合わせてカットしてつなげていく。

前にもJohan画帰る前に頼まれたビデオでスタッフの部分を編集したけど、今回改めて気がついたことがある。
各スタッフによって、それぞれ特徴があって、使いやすいキャプチャーを撮らせてくれるスタッフと、その日のお客さんを前に前に出したりして、自分はあまりビデオの前にしゃしゃり出てこないスタッフがいる。 今回スタッフビデオを作っているときにいくつものショットに出てこないスタッフでも、実は私が毎日作るビデオに、あるいはDVDの売り上げにとても貢献しているスタッフもいる。
いづれにしても、みんなありがとう。私のカメラの前で笑ってくれて。

毎日のビデオの編集では、ほとんどカットなしでつなげて、音楽をつけるというのが主流にしている方法だ。時間もないし、お客さんに見せる時間まで完成させていないといけないし。しかも、実はこれが一番大きな理由なんだけど、私、こういうの初心者だし。

でも、テレビや特にこだわった映像なんかの編集には1分に1時間かける、っていうのが当たり前らしい。
今回、使っているソフトウェアが比較的単純なものだったけど、デイリーのビデオよりも時間がかかった。音楽を1曲って決めてたから。その中に入れなくちゃいけない。

まぁ、ソフトウェアが単純な分、凝ろうと思ってもうまくいかない部分が沢山あるけど。私の好きな、もう少し複雑なことができるソフトウェアは、今どういうわけか私のコンピューターの中で使えないのでやむを得ず今回のを使った。
mmmm。そろそろ、コンピューターも整理しないといけない。

変な体勢で2日もコンピューターの前にいたおかげで、肩が凝りました。

2009/05/15

睡眠暁をおぼえず・・・

今日目が覚めて驚いた。
時計が1時半を指してる。

しかも目が覚めた理由は、母が呼んだから。
一人だったら一体いつまで夢の中にいたことやら・・・。

しかも、寝足りてない気分。
時計が間違ってるんじゃないかと思って他の時計を見ても同じ時間をさしてる。

ぼんやりしながら階下へ降りていくと「調子が悪いの?」と、心配そうな母。
いや~。そんなつもりは全くないんだけど。昨日は12時には寝たんだけどねぇ。って、ことは、13時間半もぐっすり寝てたことになる。
なんともはや・・・春でもないのに。

よく眠れるのはいいことだ、なんていうレベルは超えてる。


私は、頻繁ではないものの、こういうことが時々ある。自分では1日を無駄にした気がしてずっと、すごく嫌だった。
前回ピピにいたときにも、自分でもどうかしちゃったんじゃないかと思うくらい寝たことがあった。
そういうときには必ず起きたときに不機嫌の極みにいる。なぜかって、さっきも書いたけど、時間を無駄にしたような気分になるから。
そのときに、あんまりに不機嫌な顔をしてる私に恐れおののいてか、機嫌をとろうとでも思ったのか、Wolleが言った。
体のどこかが無意識にすごく疲れてるから眠るんだよ。君じゃなくて、体が満足するまで寝かせてあげれば?さぁ、ベッドに戻りなさい。
おぉっ。そうなのか。私は疲れていたのね。知らなかったけど。じゃぁ、もう一度ベッドへ。
とそのときはまたすぐ寝てしまった。だって、私疲れてるみたいだも~ん。

でも、そう言われて気分はとてもよく、その後しばらく寝て起きたときにも嫌な気分じゃなかった。

こんなことは、365連休の私にだからなせる業だ。でも、なぁ~にもしなくてもいい状態だったら、私みたいに今日は眠いから寝る、っていう時間をとる事は誰にでも必要な時間なんじゃないかな、とも思う。

それがどこか一部分にせよ、体が疲れているのに気づかずに、時間だから起きなくてはいけないという習慣を体に押し付けてるんじゃないかと思う。
体が必要としていないのに、ごろごろといつも寝ていると、それはそれで今度は精神面を腐食していくとは思うけど。

Wolleにそう言われてから、私は沢山寝た時「あ、私今疲れてるのね」って思うようになった。
実際自分が肉体的であれ、精神的であれ「疲れている」と意識できることって、疲れていることが習慣になってしまうとなかなか気がつかないものだ。だからきっと過労なんてことが起こる。
こんなことに気がついてしまった私は絶対に過労死なんてしない。

眠りたいときには眠りましょう。疲れているのです。
今日の一言。
~いつも「お姉ちゃんはよく寝る」と笑う弟へ~

2009/05/14

ブログ

自分でブログを書くようになって、友人が「私のブログ」なんていうと、ちょっと気になるようになった。

まぁ、自分で自分を思うに、わがままで、概して人に興味がないので、自分に興味のないことを人が話していても聞いてないし、ふぅ~ん、なんていって聞き流してしまうことが多い。
そのせいか、自分がブログなるモノを書き始めるまではコミュニティなんかで人が何を書こうが一向に読む気にもならなかった。・・・なんて言ったら、むむっって思う友達もいるんだろうけど・・・ゴメンネ;)

ところがいざ自分で書き始めると、ふ~む、みんなよく書いてるなぁ、というのが実感。
友達全員の書いてることを全部チェックできるわけではないので、もちろん私の興味をそそられるモノだけであることは確かだけど。

最近私のブログをブックマークに入れてもいいかというメッセージをもらった。
なに??ブックマーク??
なんだい、それは。

彼女のブログをたどると・・・ははぁ、これだ。

そういえばこういう、クリックするだけでそこに飛べるようにリンクされているのはよく見かける。これがブックマークね。

じゃぁ、私のブログにもそういうことができるんじゃないの?
ってことで、最近ブックマークなるものを私のブログにも取り入れてみた。

今、3つ。
ひとつはモルディブで一緒に働いていた日本語教師の。今はカナダにいるはず。
彼女はいつも、何に対してでもとてもポジティブで、おぉっって思わされることがよくある。しかも、存在自体がキュートで誰がこの人を憎むなんていうことができるだろう、と思わせる。
真剣に話しても面白い。からかっても面白い。一緒にいて面白い。
彼女を彼女にしたら(?)さぞかし毎日楽しいだろうと思われるぞ、男性諸君。って、あれ?彼いるんだっけ?しばらく会ってないからそんな細かい話は知らない。男性諸君、ごめんなさい・・・かも。

一人はモスキートのお客さんだった。
その頃彼は自転車で世界一周をそろそろ終える頃だったんじゃないかと思う。今現在はブラジル辺りにいる模様。でも今は自転車じゃないらしい。
ピピ島にいた間も、あっち向いたりこっち向いたりしてて、何にでも興味を示すひとだった。でも話をするとたいていのことは深くまで話せるタイプで。私としては珍しくも興味をそそられることをしているタイプの人。

もうひとり。
私の小、中学校の同級生。
どうしてもクラスの中で比較的目立つ存在だった彼は、私にとってはとても人間味を感じる人で、「今どうしてるの」なんていう話でも、実は20年近く会ってなくとも身近な存在として話をできる人。
最近クラス会、同窓会を通して連絡を取り、その後も時間をとって、久しぶりにゆっくり話すことができた。
生きていることの機微を話し合うこともできる、ふざけたことも言える、私にとっては大切な友人。
しかも最近、カフェをオープンしたらしい。ウェブサイトには華やかなスウィーツの写真が沢山載っていて、mmm、これはあいつが考案したんだろうか、なんて疑ったりしてる。



本当は、私が知らないだけでもっともっと沢山の友人たちがブログを書いているんだと思う。
ただそれは私が知らないだけ。
なんと言ったって、私の周りにはとんでもないくらい素敵な人たちが沢山いる。みんながみんなブログなんて書き出したら、読むだけで時間が足りないだろうから、そういうのを書かない友達にもありがとう、だ。

でも本当は、自分が何かを外に向かって公開することに満足してるだけなのかな、とも思う。
やっぱり「元気にしてる?」なんていう個人の気持ちを書いたものって、公開っていう形じゃなくて個人的にメッセージが来るとうれしい。
と、いいながら、実はそれがマメにできないからこういうことを始めたんでもあるんだけどね。

大切な友達には、ちゃんと連絡をしましょう。思っているだけじゃなくて。・・・今日の反省・・・??今になって・・・??

マンタ・ジンベエ 乱舞 ~ヒン・デン/ヒン・ムアン~

ピピ島からデイトリップで行くことのできるヒン・デン、ヒン・ムアンで最近マンタとジンベエが乱舞してるらしい。

Toyoさんはこの前マンタとジンベエを同時に見た、なんて言ってた。

この前のハイシーズンはそれほどでもなかったのにぃ~。どうして人の少ないこの時期に出るんだっ。

なんといっても、この二つはダイバーにとって夢。
サイズをとっても、美しさをとっても、ほかにない魅力がある。
ジンベエをみて、マンタをみて、「つまらないから他のものを見せろ」なんて心の底からいえる人は、経験ダイバーにだって少ないはず。

私も見られるんだったら見たいもののふたつだ。
ただ、見たことないわけじゃないから、それにかぶりつくほどではないということ。今まで見たことないウツボのほうがきっと興奮する。
ということは、マンタ、ジンベエを見たことないダイバーにとっては、とてつもなく興奮できるダイブになる。


私はビデオでその二つを撮ったことはない。
マンタ、ジンベエでいい映像が撮りたいなぁ。なんて、思うけど、出たのにうまく撮れなかったどうする?って思うと、正直自信がないのでちょっと怖い。
だってぇ~。世界中にはマンタもジンベエもいい映像いっぱいあるんだも~ん。
ただ、私の仕事はダイバーが一緒に映ってるっていうのが大切なところだから、マンタを美しく撮る必要性はナショナルジオグラフィックなどのヴィデオグラファーに任せればいい。
とはいっても、やっぱりマンタの、ジンベエのいい映像が撮りたいとは思う。

では、何がちょっと怖いといって、お客さんのダイバーが見て、私がそこにいなかったとき。
だって、私水中でいつもお客さんと一緒にいられるわけじゃないから。
私一人だけ見るならいい。でも、お客さんみんなが見て、私が見られなかったら大変なことになる。

mmmm・・・。
これは実は先シーズン通してのちょっとした心配事だったんだけど。先シーズンは何もなくて済んだ。
来シーズンは??
なんて、心配しても全くせんのないことなのでここで止めましょう。

私が見てもないマンタとジンベエのニュースは毎日ピピから送られてくる。

そういえば、それほど気にしてないとはいえ、私もジンベエしばらく見てないかも。最後に水中で会ったのはいつ?
おそらくモルディブ。
ってことは・・・ひぇ~、5年??
月日が経つのは光陰のごとく・・・。
マンタは??最後がバリだ。・・・ということは・・・1年前?
OK。それならちょっと許す。
でも、ジンベエは許されざる年月が経ってるようにも思う。
そろそろジンベエにあっておいてもいい頃だ。ボートの上からはフィッシングでも見かけることがあるので水中だ。
よし。来シーズン。
ジンベエいきましょう。

な~んて意気込んでも、私の意志じゃないんだけどね。

取材の新聞記事

先日インタビューしてもらったものが記事になるのはいつになるかわからないと聞いていた。

一刻を争う記事じゃないから、スペースに空きが出たときに載せるってことだったんだと思う。
それが昨日新聞に載ってた。
インタビューの翌日なんて、すごい速さだ。きっとこうやって毎日めまぐるしく動くのが新聞の世界なんだろうと思う。
しかも、西三河版ではなくて県内版に出てた。
きっとこの日愛知県はとてつもなく平和な日だったんだろう。

思っていたよりもずっと大きな記事で、少しびっくり。
こんなに大きく写真を使うんだったら、こんなに顔を大きく撮らなくてもよかったんじゃないかと思うくらい、他の写真と比べて顔のインパクトがある。あるいは、それも予期しないほど県内が平和な日だったせいだろうか。

本の編集を担当してくださった方に、問い合わせ先を頼んだので、電話でお話をしたらとても喜んでくださった。うちの広告よりも大きい、なんていうリアクションでちょっと笑った。
そうか、宣伝効果を考えたら記事の大きさってすごく大事なことだよね。
本を紹介してくださった方、記者の方、重ね重ね、ありがとうございます。

2009/05/12

新聞記者のお仕事 の一部

ちょっとおもしろいことがあった。

母の店に来てくださる方が、私の本を紹介してくださり、中日新聞という新聞の地方版に本の紹介記事が出ることになった。
で、インタビューを受けるために新聞記者の方と会った。

その記者の方は市役所の記者室なるところにいつもいるそうだ。インタビューをどこでするかという話になったときに、私がそこまでいくことにした。
もちろん今までそんなところなんて覗いたこともない。インタビューなんてものも受けたこともない上に記者室なんて名前のついたところに行くなんてことだけで十分面白そうだ。

記者室は、というと、なんだか閑散としていて思っていたほど面白そうなところでもなかった。もっといろんな人がいるのかと思った。
でも窓からの景色はすごくよくて気持ちのよさそうなところでした。

なんて、そんな部屋のことはどうでもいいよね。

今回インタビューをしてくださるのは一人かと思っていたらふたり。
中日新聞と東海愛知新聞のかたがた。

部屋の入り口で「うかいです」というと、なんだか面白そうな人が出てきた。
だって、靴はいてない。
あ、ここもしかして土足じゃないの?って、思ってもう一人を見ると履いてる。あ、土足でいいんだよね。

ご自身の職場のせいかリラックスしているんだろう。そうなると逆になんだか私が緊張気味だ。

もしかしたら厳しい質問なんかもあるかもしれないなぁ、なんても思っていたんだけど、気を使ってくださっているのかそれほどでもない。
記者の方が唯一笑顔らしきものを見せてくれたのは、私が本でジャーナリストのことを書いている部分の話をしているとき。
いやいやどうもすみません、書きたいこと書いて。まさかジャーナリストの方とこんな風に差し向かいで本の話をすることになるとは思いもよらなかったので・・・。なんて思うけど、ジャーナリストの中にはそういう人もいるでしょう、ということで、今となっては腹が立ったことさえ記憶の彼方だ。


自分の本のことを、それを知らない人に客観的に説明するというのは意外と難しいことだった。自分では判っていてもらえているという前提で話をしていたからかもしれない。
本の内容と、本自体のこととは全く別物だっていうことが、私自身わかっていなくて、しかもそこには時差まであるし・・・。

記者の方には全く要領を得ないよううな話をしていたのかもしれないなぁ、と反省。


何を主題にして新聞の記事ができるのかを模索するのがインタビューや取材というものだということに気づいた頃にはすでに取材は終わりかけていた。

ご迷惑をおかけしました。と、インタビューをしてくださったお二方には思う。


しかも、写真を撮るなんて思ってなかった。でもよく考えたら撮って当たり前だよね。
自分で人にカメラを向けるばかりで、ひとにレンズを向けられる機会の少ない私にとっては、恥ずかしいやら緊張するやら・・・。
いやいや、たまにはこういうこともして、レンズを向けられる人の気持ちを考えましょう。


この出来事は概して楽しかった。
初めてのことでもあるし、今まで全く知らなかったことでもある。
こうやって私の本なんかも扱ってくださるんだから、ジャーナリストは嫌いなんて無下に言ってはいけない。
どうもありがとうございました。

2009/05/09

祖母の着物

祖母が自分が持っている着物を処分しようとしていた。
もう着ることもないし、たんすの中いっぱいでどうしようもないから。

ずいぶん前に一度着物を全部見せてもらったことがある。確かに相当な量で、まさにたんすの肥やしだ。
でもそれ全部捨てちゃうの~??

ってことで、着られるわけじゃないけど私が全部いただいちゃうことにした。孫娘は私一人なので誰に気兼ねも要らない。
で、前回祖母のうちに行ったときに、いくつかの段ボール箱にそのままごっそり入れて郵送した。

祖母は、この処置に至極満足な様子。お嫁に来たときに親が用意してくれた着物を大切に保管していたんだから、捨ててしまうのは悲しかったんだろう。それが、どんな形であれ孫が引き取ってくれるというんだから。なんていい孫だ。

ただ、それをここのうちでどうするのか、っていうのが実は問題。このうちだってそんなにゆったりといらないものを収納しておくスペースがあるわけでもないんだけど、もらってきちゃったんだからしょうがない。

祖母は呆れるほど沢山の樟脳を着物の間に挟んで保管していた。
ダンボールがうちについたとたん、箱を開けてもないのにすでに樟脳くさい。
今時樟脳の匂いなんてよっぽどじゃないと嗅ぐことなんてない。匂いのない防虫剤を使うのが一般的だ。
だけど、祖母はにおいがしないと効果がないような気がするのか、毎年のように樟脳をたんすの中に足していたようだ。

mmmmm・・・。
どこにしまうにしても、この樟脳の匂いを取ってからじゃないとうち中がにおう。

じゃあ、着物を干して匂いを取りましょう、ってことになったんだけど、一度に全部の着物を干すのも大変だしそんなことをしたら一日中、いやきっとその後までうちから樟脳のにおいが取れないんじゃないかということで、2枚ずつ干している。
2階の廊下側を締め切って、各部屋の間のドアを全部開いて風を通す。

数時間も風を通すと樟脳の匂いは消える。
それをたたんでいく。
この着物をたたむという作業がめんどくさいけど。特になぜか、私は羽織をたたむのが嫌い。

祖母の着物は数もあるからだろうけど、思わず見とれてしまうような素敵な柄のものが沢山ある。まぁ、それを知っていたからもらってきたんだけど。
これ、私の着物に作り直せたらいいのになぁ、なんて思う柄もいくつも。
当然なんだけど、「和」のいい味がにじみ出るようなものばかり。これを「素敵だねぇ。」って思うのは私が日本人だからだろうか、それとも外国人が見ても素敵なものは素敵なんだろうか。

さて、この着物たち一体どうなるんでしょう。
羽織なんて綿を入れたらそのままちゃんちゃんこになるんじゃないの?なんて思うのは素人だから?

個人的には着物をリサイクルにしたブラウスなんかは趣味が悪いように見えるんだけど、布はいいものなんだからデザインをどうにかすれば素敵なものになるのかもしれない。
ただ、流行物の形で作ってしまうと、長いこときられないという欠点はあるかも。
じゃあ、暖簾なんてどう?
mmm。いいような気もするけど、こんな素敵ながらで暖簾作っちゃうの・・・?
いい案はなかなか浮かばない。

さて、どうしたものか。

2009/05/08

ドイツ行き その後

諸々の事情があり、ドイツ行きが遅れてる。
最初は前にも書いたように5月はじめ、要は今頃にはドイツに飛ぶ予定だった。

今予定しているのは6月頭。
チケットの手配やら何やらで、結局そんな日まで伸びた。

まぁ、ドイツに行ったとて何をするわけでもなく、きっと学校に行くのは8月くらいだろうから、そう急がなくてもいいんだけど。

前にブログ内で書いた「ドイツ行き」を見て、電話してくれたり、会おうとしてくれたりする友達も沢山いるんだけど、ごめんねーーー、予定が変わりました~。

どうも日本にいると・・・・というと、日本にいるときだけみたいに聞こえるかもしれないけど、実はどこにいても・・・ダラダラしがち。

私はしなくちゃいけないことをすぐ忘れるので、いつもリストにして持ち歩いてる。
それが、今日のこと。短期的にしなくちゃいけないこと。多少長引いてもいいこと。って、いろいろあるのに、全部同じリストに入っているからいけない。
ピピのダイブショップのプロモーションビデオを編集する、も、タコのぬいぐるみを洗う、も同じように並んでる。

日本にいるうちにしなくちゃいけないこともあるはずなんだけど、まだいいじゃん、なんて思ってて、なかなか手をつけない。
リストも短期的なものは削除されるのに、長期的なものは何度リストを作り直しても、まだリストに入ってる。
しかも当たり前だけど、リストは減るだけではなく増えもする。

日本から出る前にこのリスト全部消えてなくちゃいけないと思うと、少し頭が痛い。
でも、後1ヶ月弱のうちに何とかしなくては・・・。

と、書きながら、きっとこれを公開するボタンをクリックした直後には、リストには入れたこともない「本を読む」っていう行動を起こすんだろうなぁ、と想像できる・・・。

源氏物語 その4

いったん源氏物語読み終わったものの、もう一度読み直したくて、また桐壺から読み始めた。

最初に読んだときよりも身を入れて読んでる気がして面白い。
前には気にならなかった箇所も気になるし。
でも、集中しないと面白くなくて、気が散るときには読みにくい。ほぼ半日本に向かっているのに、まだまだ時間が欲しい。

今まだ夕顔。

でもやっぱり、宇治の部分とは大分違う気がする。
なんて言っても、物語に引き込まれてて比較を感じるには客観性の薄い状態で読んでると思うけど。もしかしたら、調子に乗って他の訳者のものまで読んでいったら違いがはっきりするのかもしれないけど。今のところはこの人の役を読むのに精一杯。

どうする。このまま面白すぎてこれにはまってしまったら。
研究対象にすらなるようなものにはまるなんて、今からじゃ遅すぎるんじゃない?

ま、いいか。私どうせ何してるわけでもないし。

2009/05/06

源氏物語 その3

宇治十帖終わりました。

なんだか最後は、これが終わりなのか、終わりじゃなくて次があるのかわからない感触だったけど。
もしかして紫式部、完結する前に死んじゃったんじゃないの?本当はもっと書きたかったんじゃないの??
だって、このあと、なんかたくさんあるでしょう??って、感じの終わり方だったから。


紫式部は、この五四帖・・・・だっけ?を書き上げるのにどれくらいの時間を要したんだろう。
というのが、率直で単純な感想。
十年、あるいはもっと要したんじゃないかと思う。
物語を書き始めた時期と、最後辺りの時期では、同じ年代の女性が書いたとはとても思えない部分が多々ある。
その何年もの間に、紫式部自身が人生経験をつんで、恋の数もつんで、悲しい出来事の数も増え、仏に対する気持ちも変わり・・・・それが最後の辺りの物語になっているんじゃないかと思う。

しかも、浮舟が発見されたところなんて、周りの反響で付け足された感じもする。人気が出た漫画が、なかなか終われないのと同じだ。

人によっては「源氏物語は薫君が主人公だ」なんていうみたいだけど、最初のころより終わりに近づくにつれて物語の吸引力みたいなものがぐんと増す。


源氏物語最初のころの桐壺、箒木、空蝉・・・その辺りと比べると、宇治十帖あたりは内容の濃さや話の進み具合が格段に違う。
浮舟の人物想定なんて、すごくはっきりしていて、細かい心理描写まで交えているのに、例えば夕顔の君なんて、外側からの人物描写きり。だから、夕顔が魅力的だろうと想像はできるけど、浮舟のように人間味が感じられない幽霊みたいだ。

さらりと書かれていた最初の頃は光源氏の一点絞りで面白いと思う。でも、宇治の話の辺りは一体誰が主人公なのかわからなくなるときもある。それくらい一人ひとりの人物像が細やかにつづられている。
おそらく薫君が主人公なのだろうけど、匂い宮のほうが魅力的に書かれている箇所だってある。実際に浮舟は匂い宮に傾いているんだから。実際に高く評価を受けているらしい「浮舟」の章に薫君はほとんど登場しない。
当時の読者に匂い君が人気あったんだろうか・・・。


まぁ、だから、高校の古文の教科書なんかには夕顔の辺りとか、若紫のあたりだけが載っているんだろうけど。
誰だって一度は高校の古文の教科書で触れてある辺り「いぬきが雀の子を逃がしてしまったの。」なんていう、後の紫の上の初登場場面は、かすかながら覚えていると思う。
そんなところはこの源氏物語のごくごくさわりの部分で、この物語の究極的にいい部分はあまりにも人間くさ過ぎて教科書には適さないということだろうか。

男女の「情」の部分が当時の生活様式と相まって、それこそ理想的に、しかもエグく書かれている面白さは、現代の小説では味わえない「想像力を掻き立てる」という意味で、こんなに引き込まれる物語はどれほどあるだろう、と思われる。

現代の常識を交えて読めば「そんなことしないで、こうすればいいのに」なんて思ってしまう箇所も、当時の常識では物語の内容のほうが当然の処しかただと想像できる。そういう意味では、ただの物語じゃなくて参考文献なんかにもなるんだろうなぁ。

それでも、著者が女性・・・紫式部はどう考えても女性だと思われる・・・だと思えば、そこで言わなでもの台詞を「思ったこと」として書かれているのが、人物の表と裏を同時に読むことができて、私自身が女性なので、至極面白く読むすすむことができる。

これが、読者が男性の場合にはとんでもなく違う読み方になるんだろうか。

髪のコンディショナー

うちのひと達は髪の毛を私の作った石けんで洗っている。

髪を石けんで洗うというのを初めて聞く人にはゾッとするかもしれない。きっとみんな、一度は普通の石けんで髪を洗った経験があるんじゃないかと思う。
シャンプーが切れてて、とか、違いを知らないで小さなころに・・・、とか。

私の髪を切ってくれるお姉さんにも、初めて話をしたときにどんなシャンプーを使っているのか聞かれ、「石けん」と答えたときに「えぇぇっっ!!??」って言われた。

でも、石けんに入っている保湿成分のせいか、私の石けんで髪を洗っても何も問題はない。むしろ、あの私の嫌いなすすいだ後にも残るねちょねちょ感がなくてさっぱりしている。キシキシもしない。ばさばさにもならない。

今私の髪は短いので石けんで洗うだけで十分。
ただ、髪が長かったころはコンディショナーを使っていた。長い髪をさらさらにするのに、お酢のコンディショナーを作っている。
「お酢」ってきくと、それを髪につけるなんて、と、これまたぎょっとするかもしれない。でも、匂いが残るわけでもなく、もちろん痛んだりしない。

母は髪が短いけれど、常にそのコンディショナーを使っている。
髪が柔らかくなるので、すっきりまとまるらしい。

コンディショナーを作るといってもいたって簡単。お酢にドライハーブを漬け込むだけ。それが2週間もすればお酢のにおいもマイルドになり、ただのお酢よりも使ったときに鼻につく匂いが減る。しかもそれをなお長いことつけていればよりマイルドになる、と。それだけのことだ。
それにグリセリンを加えるというのも聞いたことあるけど、そうしたらさらに髪のボリュームが少なく見えるような気がしてうちでは入れてない。

聞く話によると、弱アルカリ性に出来上がる石けんの残りかすを、酢酸で中性にしているとのこと。髪もさらさらになるのはどういうわけかわからないけど、本当に効果があるのは髪の根っこの部分らしい。そこに石けんのすすぎ残りなんかがあると、髪によくないとか・・・。

使い方もいたって簡単。
洗面器1杯のお湯にお猪口で2,3杯分のコンディショナーを入れて混ぜ、髪をすすぐ。それからまたお湯で髪をすすぐ。


そんなこんなで、石けんを作るようになってから、お風呂場に乱立するボトルがなくなってすっきりしていていい。

方言

最近幼稚園で覚えてきているのか、ほのぼんが三河弁を話す。
書いてみたらきっと同じ言葉なのだろうと思われる言葉もイントネーションが明らかに三河弁特有のものが混ざっている。

そして、祖母の家に行くと、もちろん家族みんなでその地域のイントネーションや方言で話している。

今回ラッキーなことに日本にいる間に、中学、高校のクラス会みたいなものにも行けた。そこでも、大抵は三河弁で話がすすむ。


私はごくごく小さなころ、祖母の家で育つ時間が多かった。そして、母は三河弁を知らなかった。今でこそ、母の言葉の中にも三河弁が端々に聞けるようになったとはいうものの、強い方言ではない。
小学校から高校まで三河にいたのに、小さなころに聞きなれなかったせいか、私はちゃんとした三河弁が話せない。
かといって、大学に東京に出たときには「関西出身??」と、三河弁も関西弁も区別のつかないクラスメイトに聞かれたこともある。要はイントネーションが関東とは違うということだろう。


日本語だけじゃなくて、英語だってひとつの国の中で習ったわけじゃないから、アメリカ英語でも英国英語でも、オーストラリア英語でもない。逆に「癖がないね」とは言われるけど、それがいいのか悪いのかさっぱりわからない。時々、分析しようとするお節介さんもいるけど。

私の話す言葉はどこに行ってもただの「日本語」であり「英語」だ。

もしかしたらフランス語はケベック訛りのフランス語かもしれないけど・・・。それは少しもうれしくない・・・。どうせだったらフレンチフレンチがよかったなぁ、と今になっては思うけど・・・。

ドイツ語はどうなるんだろう。
ちょっと前ドイツ語の発音のはなしになったとき、私のドイツ語発音は・・・・といってもまともに話せてるわけじゃないけど、どこの地域のイントネーションもなく、ニュースで使うような発音だといわれた。
きっとまだ、どこででも習ってなくて文章を自分で読んで発音記号のとおりに発音してるからだと思う。


こんなわけで、言葉のことだけを考えると、どこにいても疎外感を感じてしまうときがある。
私の話す言葉に合わせてくれて、方言を消してくれようとする人もいるみたいなんだけど、そうするとどうしても彼らにとっては最後まで打ち解けられない感が残るのは仕方のないことなんだろうか。

ただしゃべっている、んじゃなくて、どこにいても相手にも自分にもしっくり来る言葉で話せたらいいのになぁ、と思う。

2009/05/02

ほのぼんとママの藍染体験

何日か前から藍染をはじめてみた。

藍染に必要ないくつかのものを用意して、白手ぬぐいを手に入れて、バケツを用意して・・・。と、必要なものさえあれば、小さなものを染めるのはいたって簡単。

藍に染める溶液は日にちが経ってしまうと染まらなくなるようなので、今日はほのぼんも体験してみることになった。
ママも一緒。

とは言っても、溶液の中で手ぬぐいをモミモミしてもらうのはちょっと怖いので、模様を作る部分だけ。

白手ぬぐいを輪ゴムでくりくり縛る。
本格的にするには糸を使うんだろうけど、うちでするくらいならこれでも十分みたい。
自分で何をしてるのか、わかっているようなわかっていないようなほのぼんは結構うまくアドバイスを取り入れて斬新なのができた様子。
ママは、どうしようかなぁ、なんて感じでいくつか巻いていたけど、どうなるんでしょう。

一応頭の中でどんな柄になるのか、考えながら輪ゴムを巻くのだけど、出来上がると思っていたのと少し違ってたりして結構この部分が楽しい。


そして、用意していたバケツの中へ・・・。
今日私の用意していたゴム手袋はどこかに穴があいていたらしく、溶液から出したころには私の指もしっかり染まってた。

これはほのぼんが巻いた手ぬぐい。




大柄ないい模様ができた。


これはママの。
溶液から出したばっかりの時にはきれいな黄緑色をしてる。空気に触れて酸化すると藍色に変わる。

これは私の。
いくつもくりくりしなくちゃならないけど、前回もいい感じだったのでもう一度。


ぼくだって、手ぬぐい触ったり、輪ゴム手ぬぐいの上においてみたり、いろいろしてみたけど・・・。でも、ぼんの写真は撮ってるぞ。

さて、まず干して、その後水ですすいで、お湯ですすいで、乾かして。今度は色落ちを防ぐための溶液につけて、、最後に乾燥させる。

できました!!