久しぶりに常滑に行ってきた。
うちで使っている急須で何度かほうじ茶を淹れてしまい、緑茶がおいしく出なくなってしまったから。
常滑に行くといってもいつも同じところに行っているので、常滑に行くというよりも急須を買いに行くといった感覚。
ずいぶんと長いこと、同じ陶芸家の急須を使っているので、その作家さん以外の急須だとなんとなくしっくりこない。ということは、その作家さんの急須はそれほど使い心地がいいということ。
お名前は甚秋さん。宮内庁御用達でもあり、我が家になくてはならない急須を作り出す。
常滑の町は大通りから一本入るとこちょこちょとした道がまっすぐにも斜めにも走っていて、とてもじゃないけど人に道順を説明することなんてできなさそうな町並みだ。
父の運転する車は、あっちを右斜めに入り、こっちをカーブして何でもない家に見えるところでとまった。
知らないで通れば、この中に工房があるなんてわからないで通り過ぎてしまいそうだ。
でも、よく見れば開け放たれた部屋にいくつもの出来上がった急須が並ぶギャラリーがあり、真ん中にはどっしりとしたテーブルもある。
母はいつも同じタイプの急須を欲しがる、ということを甚秋さんも奥さんも知っていて、いくつか大きさの違うものを出してくれる。
一見どれも似たような形に見えるけど、一つ一つ手に取るとどれも大きさが違い、形が違い、色が違う。
私は今回一緒に来ることができなかった母のために、いくつか選ぶ。私のもひとつ。
いくつも目の前に並ぶと、こっちのほうが大きさがいい、とか、これのほうが注ぎやすそうだ、とか、なんだかんだと思ってしまって選ぶのに少し時間がかかる。
でも、これが楽しくて来るんだ。
結局4つ選んだ。
急須は自分で焼き物をしているときにも、それほど数を作らなかった。だって、難しいんだ。特に注ぎ口が。形のせいなのか、注ぎ口の大きさのせいなのか、出来上がって使ってみるとたいてい注いだ後に1滴2滴こぼれる。
そこで、工房を覗かせてもらってるときに甚秋さんに聞いてみた。
すると、答えはいたって簡単。注ぎ口の薄さのせいじゃないかという。でも、薄くするために土を選ばなくちゃいけない。
な~るほど。
粘土質の強いものなら薄くしやすいけど、目の粗い土だと薄くしにくい。そうかぁ。土がネックだったんだ。形じゃないのね。
てっきり、本体から出ている部分の形のせいなんだと思ってた。
でも確かに、その形によって、お茶を注ぎ終えたとき急須を縦に戻す動作でお茶が急須の中に引き込まれるらしい。・・・・じゃ、やっぱり形も必要なんじゃん・・・。その形が難しいって話だ。
まぁ、急須を作るのは簡単ではないぞ、と。
最後に「これ、ビールカップなんですがどうぞ」と甚秋さん作のビールカップをくださった。
おぉっ、私の顔は見ただけでビール好きだってわかりますか??しかも3つも・・・。ありがとうございます。
ずいぶんと久しぶりに人と陶芸の話をした気がする。
甚秋さんはとても気さくな方で、工房も見せてくださるし、この部分が難しいなんて言うとどういう風にするといいかなんてことも気軽に話してくださる。
「ほら、これ持ってみて」なんて、まだ湿度のある状態の形成中の急須を渡されたときには、私のほうが驚いてしまう。うわっ、私指輪してるのにっ。
でも、その湿度の感触は、私の手にとても久しぶりの感触で、しばらく私の中で冬眠させていた土への想いの温度を少しだけ上がらせた気がする。
私はいつかどこかで窯を持ちたいのだ。いつになるか全くわかんないけど。
甚秋さんありがとうございま~す。
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