2016/06/20

厳密!右側通行

日本は左側通行である。そしてドイツは右側通行である。

ドイツに来て間もないころ、これに慣れるのにずいぶんと時間がかかった。私が約半年過ごすタイも日本と同じ左側通行。そして私がタイで住んでいるのは車のない島。車に久しぶりになれるのだってちょい時間がかかるのにこれが反対側通行となると・・・。

道路を渡るときに「右見て、左見て、もう一回右見て」の癖がなおらずに、右見て左見て、もう一回右見て、それから最後に左を見て、なんてことを道路を渡るたびにしていると、このブログのどこかにも書いた記憶がある。

さて、ドイツでは自転車も厳密には右側通行を守らなければいけない。
自転車用の道路が車道についているところ歩道についているところ、場所によって違う。けれど、それが歩道についていたとしても、自転車は道路の右側の歩道を走らなくてはいけない。
まぁ、歩道なんだから、どこまで厳密に守らなければいけないのか、というのは個人によって見解が違ってくるはず。
ただ、たった数十メートルだから、と思って反対側を走っていたりすると、まぁまず対向車・・・自転車だけど・・・が来た場合にはにらまれる。そこにお年寄りの特におじいさんがいたりすると、怒鳴られる。ストレスの塊に目鼻がついたような人になるとののしられる。
ただ、一生懸命右側通行を守っていても、若者が逆走してくることはままある。
こうなると、厳守のような、どっちでもいいような・・・。

が、ここは、私は外国人。
私が左側の歩道を走っているのと、ドイツ人の若者が左側を走っているのではわけが違ってきてしまう。悲しいかな、外国人。「外国人のマナーが悪い」「外国人だからルールを知らない」と、常に「外国人だから・・・」と言うのが付きまとってくる。
ただでさえ自分の生まれ育った国よりも住みやすいとは決して言えない外国で、必要以上に自分の生活を複雑にする必要はない。

知っているルールは守りましょう。
ただし、一人でいるときは!
なぁに。隣にWolleがいるときは、彼が守らないルールは守らなくてもどうにかなる。車が来ない時間帯の信号で青信号を待つ必要もないし、ちょろっと左側の歩道だって走っちゃうし。

ただ。Wolleでも時々お年寄りには怒鳴られるらしい。・・・40も半ばの大の男が自転車のルールなんかで路上で怒鳴られるとは・・・。
たとえば、道路を渡るときは自転車は降りなくちゃいけない。ウィンカー代わりに腕でサインを出さなくちゃいけない。サークル状になっている交差点は車道を走らなくてはいけない・・・等々。右側通行だけじゃなくて、自転車にはなかなか驚くほどのルールがある。

ちなみに自転車同士が何かのタイミングですれ違わなくてはいけないとき、必ず相手の右側をすれ違う。これはほかのルールよりも厳密に守られている様子。これを無視して、相手の左側によけようとすると、相手は混乱して慌てて自転車から飛び降りる。これまでに何人に自転車から飛び降りさせたことか・・・。感覚の中に左側通行がしみこんでいるのか、体の反射のせいなのか、私はまず左側に人をよけようとする。

右側通行。このルールになれることは母国語を忘れるくらい難しいんじゃないかと思っていた。小さなころから体に染み付いている習慣だから。
ところが驚くべきことに、徐々にではあるが右側に慣れてきている様子。・・・というか、最初にとにかく左!という感覚が薄れてきた。対向自転車を驚かせることもようよう少なくなってきた。
が!
こんなことに慣れてしまって、日本で車を運転するとどうなるか。
車線がはっきりと分かれている広めの道路はいい。これは感覚だけでなく視覚でも確認できるから。ところが、車線が引かれていない狭い道路になると混乱する。
先日は駐車場を狭い道路に出て、さて進みましょうとしたところに数十メートル先のこれまた駐車場から1台の車が出てきた。
あれ、あれ、道が狭いのに。2台ぎりぎりかな。と、私が車を止めると、相手も車を止めた。
なぜ止まるのだ、おじさんよ。しかもそんなところに止まっては、私のほうも動けないではないか。
すると、おじさん。なんだか困った顔で、そして明らかに「苦笑」という言葉が似つかわしい笑い顔で私の運転する車の脇をゆっくりとすれ違っていった。
すれ違い終わってから気づく。
あ、私道路の右側に車止めてる。右側同士ですれ違おうとしたのだ。
これがあってから、車線の向きをすごく気をつけるようになった。感覚だけで運転しちゃいけないぞ。

ドイツで車の免許を申請しない理由のひとつに車線をあげていた。
だって、混乱するんだもん。危ないじゃん。
でもそろそろ車の免許が必要なときも出てくるようになってきた。どこまでも自転車でかっ飛ばせるわけでもない。私個人の友達が増えてくるにつけ、Wolleにいちいち送り迎えしてもらうのもなんだか面倒な話だ。

まぁ、最終的には感覚が、感覚が、なんて言ってないで気をつければいい、という話ではないかとも思う。


ところで余談だが・・・まぁ、このブログ自体余談以外のことは何も書かれていないけれど。
イギリス人と話をしていたとき。
Which side do you drive a car in Germany?    ドイツは車線どっち側?
Right side.   右
How about in Japan?  日本は?
Left side.  左
Ah, its right left side in Japan too!   ああ、日本も正しい左側なんだね。

よく私たちの中でどちらが正しいのか冗談の言い合いになる。
Left side is right side!  左側が正しいんだよ!
Noooo! Right side is right! Correct!  違うよ!右側が正しいんだよ!

これの何が面白いかと言うと、rightすなわち「右」とright leftすなわち「正しい左」。同じrightという言葉がここでは両方の意味で使われることになる。
すぐ上の会話を誤訳させると・・・。
「左側が右側なんだよ!」
「違うよ!右側が右側なんだよ!」
なんのこっちゃである。


いつも思うのは・・・。
どうして世界中で同じ基準じゃないんですか。
今から変えろとは言わないけど、どこの国も同じだったら混乱が少なくてすむのになぁ。

2016/06/16

もうおいしいんですか!

おいしいという言葉が、当たり前のことだけどドイツ語にもある。
Lecker!
Köstlich!
Schmeckt gut!
どれも「おいしい!」だ。
日本語でおいしい、以外においしいと伝える言葉はあるのかな。
結構なお味です。・・・これはちょっと硬いけど。
うまい!・・・これはまさに。うめえ!も、入るのかな。最近だと、やばい!とかもいうのかな。
まぁ、言い方はいくつもある。このことに関してはどの言語もさして違いはないだろう。

私がドイツ語を習うようになってからすでに数年。Wolleが簡単なドイツ語で私と会話をするようになったころのこと。
Das Essen ist fertig!・・・ごはんだよー。
Ja, ich komme!・・・わかった、今行くー。
そしてキッチンへ。
Oh! Lecker!!! ・・・・・・・・。

Lecker?? 
もうおいしいって言っちゃうの?食べてもないのに??それって、お世辞にも過ぎるんじゃないの?

なんだかもやもやしながら食事をすることになる。

食べもしないうちから「おいしい!」とは何よ。
一口でもいいから食べてから言ってよね。
そんなことをぶつぶつと心の中でつぶやく。まぁ、食べながら連発もするから、ま、いいか。

これの英語バージョンの日もある。
Its ready!!・・・用意できたよー。
Ok, Im comming.・・・わかった、今行くー。
そしてキッチンへ。
Oh, yummy!! ・・・・・。

・・・なんか、おかしい。


さて、ここまで書くと気づく人もいるんではないかと思うが。
ドイツ語のLecker!には「おいしそう!」と言う意味もある。
私はそれを知らなくて、一口も食べる前からその言葉を連発されるとなんだか気持ちが悪かった。そして、ドイツ語のセンスをそのままに英語を話すWolleは英語の「おいしい」yummyを「おいしそう」と言う意味にも使ってしまう。

ある日ふと気がついて聞いてみた。
leckerって、おいしそうに見える、っていう意味もあるの?
あるよぉー。
とのこと。
なによ、それ。同じ単語じゃん。「おいしそう」みたいに「・・・そう」とか何とかつけてよ。紛らわしい!

ちなみに英語のyummyにはそういうニュアンスはない。英語の使い方しか知らなかった私には、食べる前からleckerを連発されることがすごく違和感があった。もうひとつちなみに上記のlecker以外の言い回しには「おいしそう」という意味はない。

ああ言語。
単語を記憶する以外には言い回しというものがある。この「ニュアンス」なるものは、教科書にも載ってないし、説明されることも少ない。
辞書のある単語の項目のごくごく後ろのほうに、おまけのようにちょろりと書かれていることが多い・・・気がする。まるで飛行機の予約チケットの最後のほうに小さな字で書かれている注意事項みたいだ。誰がそんなところまで読みますか!よしんば読んだところで絶対に記憶してない。

小さな疑問から日々あいまいなニュアンスを体得していくしかないんだろうか。
ああ、ドイツ語よ。
 

2016/06/13

鼻・かむかすするか

ドイツに来るようになったばっかりのころ。すでにドイツのことをよく知っていた同じ町に住む日本人女性が言っていた。「ドイツのティッシュって5回鼻かめるらしいですよ」
そんな必要ないでしょう、というのが私たちの一致した意見だった。

なぜ1枚で5回も鼻がかめるかというと、単純に分厚いから。食事の時に使う紙ナプキンを少し柔らかくした程度。これを眺めると、日本の花粉症の時なんかに使う柔らかいティッシュが、ティッシュの神様のように見える。

さて、ドイツ人を見ていると、昔日本のお年寄りが使った鼻紙を丸めてポケットに入れるのと同じ動作をする。昔のおじいちゃんおばあちゃんがポケットから丸まった鼻紙を出して再度使っている光景と同じことを目にする。
ははぁ。なるほど。これが、5回鼻をかめるティッシュの使い方か・・・。日本の鼻紙でもできるんじゃん、なんてことはさておいて。

ティッシュの使い方が・・・今の世代の話だが・・・異なるように、鼻をかむことに関する見解もこれまた違う。
これもまた同じ町に住む女性の話。
「ドイツでは鼻をすすることがすごく恥ずかしいことらしいですよ」
なに?
鼻をすすっちゃいけないの?そりゃあちょっと難しい。風邪引いたときなんかどうするのよ。
そう。すすれなければかむしかないのだ。
これが5回かめるティッシュの実の理由だ。

それが風邪であれ、花粉症であれ、鼻をすするということがどうも見苦しい、あるいは聞き苦しいことらしい。だから、ちょっと鼻が出ただけでもすぐにティッシュが登場する。
ずるずると大量の鼻をかむのでもなければ、1回使っただけのティッシュはそれほどべたべたにもならない。だから、再利用、というわけか。しかもティッシュは厚いときている。2,3度かんだところでティッシュにダメージはないのだ。

日本の感覚で言うと、人前で鼻をかむというのは少々恥ずかしい行為であるような気がする。
あるいは各家庭によるのではないかと思う。

中学校のときに友達の家に遊びに行ってちょっと驚いたことがある。それまでその仲のいい友達と学校に一緒にいるだけでは気づかなかった。
彼女はその彼女の部屋にいるときに「ちょっと鼻かんで来るね」と言って隣の部屋まで行ったのだ。ちょっと鼻かんでくるね・・・?トイレに行くんじゃあるまいし。と、そのときは思った。
我が家では、ちょっと顔を背ける程度で、人前で鼻をかむことはおかしなことではなかったように思う。が、彼女の家庭ではよそ様の面前で鼻をかむことは失礼、あるいは恥ずかしいとされていたんだろうか。
これが、私が鼻をかむことに関する礼が各家庭によって違うんじゃないかと思う理由である。

が、ここはドイツ。
鼻をすすっちゃいけないとなると、風邪を引いているときなんかは日本よりも頻繁に鼻をかむことになる。私の中学校の友達のように、いちいち部屋を出ていたんでは一緒にいる時間よりも鼻をかむために席をはずしている時間のほうが長くなってしまう。
と、そんな理由なのかどうなのかわからないけれど、ドイツ人の皆さん、平気で人に向き合ったまま鼻をかむ。
狭いところで鼻を突き合わせて座っていれば、私の鼻先で彼らは鼻をかむ。ぞぞーっだ、びびーっだ、ぶぶーっだと平気である。
こうなると鼻をすすられるほうがましな気もしないでもない。


私もドイツに通うようになってそこそこの年数が経っている。そして私は外国人。「鼻をすすっちゃだめだよ」と言われれば「私は日本人じゃい」と開き直る理由もなく鼻をかむように心がけてきた。
習慣とは恐ろしいもので、そうこうしているうちに鼻をすするよりも、かむほうが楽になってきた。そしてかんでしまえば次に鼻が出てくるまではすすり続けなくてもいい。
これはもしかしたらより快適なんではないか。そして鼻にもいいはず。

「すする」というのは日本では食事でもするし、お茶もすする。私たち日本人にとってすする音というのは一概に汚いものを想像させるだけではない。
が、ドイツ人のみならず日本人以外の人にとって、すする音というのは存外汚いものを連想させるんじゃないだろうか。
たとえばタイでもスープに入った麺をすすることは行儀が悪いとされている。これは私にとってとても食べにくい料理の一つだが。

鼻が出たらかむ。
これが習慣になってみて気づいたけれど、そんなに悪いものじゃない。ちょっとの鼻でもかんでしまえばすっきりする。
まぁ、日本だって、風邪を引いているからといって一緒にいる相手が常にずるずると鼻をすすっていたら、それほど気持ちのいいものではない。
ドイツに倣え、とは言わないけど、鼻をかむ習慣、悪くないんではないかな。


2016/06/01

お買い物親切アクシデント

ドイツ人は無愛想だという話をよく耳にする。
サービスに笑顔がない。知らない人同士でぶつかったりしてもニコリともしない。
確かに。そんな風に言えなくもない。・・・そう言えるかもしれない。

そういう風に言われるたびに、私が人に話していることをここでひとつ。
確かに、確かに日本と比べると店員のサービスに笑顔が少ない。これは認めよう。私が毎日行くスーパーマーケットのレジにも私にとって怖いおばちゃんが二人ほどいる。笑顔がないなんてもんじゃない。そのおばちゃんたちがレジに座っているときには正直言って出直そうかと思うこともある。
ドイツ語が流暢じゃない私にとって、ドイツ語の数字を聞き取るのはとても難しい。なんてったって、ドイツ語では二ケタの数字を1の位からいう。例えば25だったら5と20という風に並べて言う。6以降の数字が足し算になるフランス語と比べたらなんて事はないのかもしれないけど、とにかく聞き取りにくい。
そして、私の通うスーパーのレジには、利用者の方を向いている値段の表示がない。だから支払う合計額が聞き取れないと、レジの中を覗き込まなくちゃいけない。
あるいは、出したお金が間違っていたり、少なかったりすると、おばちゃんたちはきつく大声で数字を「言い直して」くれる・・・。これが怖いのだ。
そんなに大声で言わなくてもいいじゃん・・・。ただでさえほかの人より小さい私がさらにふた周りくらい縮んでしまう。

だが、この愛想のない店員さんたち。決して怒っているわけじゃない。ただ、普通にしているだけなのだ。だから、よわよわのおばあちゃんなんかには手取り、足取りくらいのサービスを見かけるときもある。
一人でお買い物をしているお年寄りで、小銭がうまく数えられないような人は、お財布を丸ごと預けてその中から支払いに必要な小銭を出してもらったりしてる。

日本でそんな光景を見ることがあるだろうか。少なくとも私は見たことがない。「一人で支払いができないなら買い物なんかするな」と言われそうだ。
この差は何なのか。
店員が働く際の接客サービスにマニュアルがあるかないかの違いではないかと思う。

日本では一般的な客に対してのサービスマニュアルがあり、それをすべて守っていさえすればにこやかな対応でお客様に接し、満足させることができる。それが過剰サービスであれ、店員にとってストレスのたまるサービス方法であれ、そんなことはどうでもいい。マニュアルさえ守っておけば首になることもなければ文句を言われることもない。
が、一般的ではない客がいるとき。こんなときには融通が利かないんじゃないかと思う。小銭が数えられない。言葉が通じない。あるいは極端に急いでいる。等々。
私は急いで買い物をすることが多い。そして、正直言って日本の要らぬサービスに辟易することが多い。


さて。サービスサービスと、店員の話ばかりしてしまった。
今日書きたかったのは店員の話じゃ、実は、ない。

先日。これまたスーパーで。
ひとつのレジしか開いておらず、そのレジには長蛇の列。あ、ちなみにドイツ語でも蛇という言葉を使う。
私はカートを押して最後尾へ。そしてその後ろにおじいちゃんが並ぶ。そのおじいちゃん。せっかちなのか、急いでいるのか・・・。ぶつぶつと文句を言っている。「こんなに長い蛇なんだから、もうひとつレジ開くべきだろう」「何やってんだ店員は」
まぁ、お年寄りというのはどこの国でも文句をたれていることが多い。
私は話を合わせることもあるまいと思って、ちょっとニコッとしただけでそのまま前を向いていた。

すると、突然そのおじいさんに腕をどつかれた。結構な力で。
なになに??何でどつかれるの?
「ほら!隣のレジが開いた。早く早く。割り込まれちゃうよ」
なんと。私がぼんやりしているので、ほかの人に割り込まれないように・・・というか、私たちだって割り込みのような気もするけど・・・私を押してくれている。
おやおや。おじいさん。どいつたり、引っ張ったり、手荒だけど、私のことをぼんやりしたアジア人だと思って手伝ってくれようとしているらしい。
知らないおじいさんだけど、後押しされて、私は堂々と割り込みした。おじいさんと一緒に。

そしてレジのあと。脇のパン売り場へ。
もらったおつりがうまく小銭入れに入らなくてパンの袋を床に落としてしまった。同時に小銭はコロンと小銭入れへ。
私が袋を拾おうと腰をかがめると・・・離れたところからお兄さんが早足で近寄ってきて、袋を拾ってくれる。「どうぞ」。
腰をかがめて落とした袋を拾うくらいなんでもないこと。お兄さんにもなんでもないことだけど、私にだってなんでもないことだ。 でも、そんな風にしてもらえればやっぱりうれしい。

この日、私は特別におしゃれしていたなんてこともないし、その日だけ私がかわいく見えたなんてこともなかろう。
この二つは偶然同じ日に起こっただけ。

でも、こういうのって、親切以外の何ものでもない。
日本でこんなことが起こるかしら。起こりそうだし、あんまり起こらなさそうだし。

ドイツ人は無愛想だと思ってる方。そんなことはありませんよ。いい人たちばっかりだ、なんて嘘はつかないけど、 親切な人もにこやかな人もたくさんいます。しかも、日本よりもサービスがいいときもあるよー。

コンピューター故障

もういい加減に買い換えなくちゃいけないと思いつつすでに1年以上が過ぎている私のコンピューター。
何を機にしてなのかわからないけど、ある日突然電源すら入らなくなった。スイッチを押すと・・・「ぷ・・・ん」というわずかな音とともに電源ボタンが一瞬だけつき、そして、消える。その後はうんでもすんでもない。
ちょっと待ってみたり、ボタンを長押ししてみたり、コンセントを差し替えてみたりと、素人にできそうなことはいくつかしてみたけれど、何の効果もなし。
まぁ、これは完全に壊れたんでしょう。

幸い、私はビデオの編集を仕事にしていたころの習慣でパソコンの中に大切なものを一切入れておかない。大切なものどころか、ほとんど何も入っていない。常にメモリーがほぼ空の状態で使っている。
コンピューターを何に使っているかといえば・・・・このブログを書くことと、カメラから別個のメモリーに写真を移し変える作業。そしてインターネットサーフィン。こんなものだ。
最近ではスマートフォンも持っているからメールすら開くことも少ない。まぁ、長いメールを打つときにはコンピューターを使っていたけれど。

が。
このブログ。
せっかく時々書く習慣が戻りつつあったと思った矢先の出来事。また途切れてしまう前にコンピューターを手に入れたい!
Wolleに、「コンピューター壊れたー」「新しいの買ってー」とごねるも、ここはドイツ。
「ドイツ語のWindowsのコンピューターなら買ってあげられるよ」と・・・。なに?ドイツ語が基盤のコンピューター?それを私に使えと??
mmmmm・・・・・。
英語ですら読むのがめんどくさくてよくわかんないときもあるし。日本語でも専門用語はわかんないし。それがドイツ語ーーー?
「でもね。ドイツ語なら調子が悪いときにすぐになおせる人がいっぱいいるよ、ここには」
この一言で決定。ドイツ語でいいじゃん。ドイツ語上等!

飛行機のチケットにしろ、コンピューターにしろ、とにかく何であれ、選ぶのがめんどくさい私。今回もWolleが私にちょうどよさそうなコンピューターを探すことになった。

ところが。
「Yas・・・なんだか最近Cloudっていうものが台頭してきてるらしくて、僕にはよくわかんないんだ。今度わかるやつに相談して決めよう」とのこと。
ああ、Cloudね。私にも使い方がよくわかんないやつだ。しょうがないね。

って!ええー。すぐにコンピューター手にはいんないの?
私のブログは?どうなるの?・・・・・今まで散々サボってたくせに個々は大声で。

ごにょごにょごねる私に、「2階にある古いコンピューターに日本語入力システム入れれば?」「それくらいできるでしょ」
ああ、そうね。

と、いうことで、ただいま日本語入力が可能になったダイナソーコンピューターでこのブログを書いている。
日本語の入力はできるけど、キーボードに書かれているのはドイツ語用の表記だけで、非常に打ちにくい。ドイツ語のキーボードは、英語とも違っていて、だいたいZとYが逆についてる。自分の名前を打とうとするとZaskoになってしまう。これはドイツ語のときに使いやすいだけで、英語を打つときにはひっっじょうに打ちにくい。
まぁ、ちょっとの間の辛抱だとおもって・・・・。ちょっと・・・だといいな・・・。

さてはて、家でごろごろしており、時間だけはたっぷりとある私。
ブログ更新も頻繁に!がんばりましょう!