2012/12/28

2012年12月26日

2004年12月26日にピピ島を津波が襲ってから、8年が経った。

人が生きている時間の長さを考えたら、8年なんてさして長い年数でもないのかもしれない。でも、私にとっては長い8年だった。
毎年この日になると、あの日からの時間を考えてしまう。

去年あたりから、津波のセレモニーは徐々に派手になっている。
テレビカメラや新聞記者が取材に来ていたりする。
8年も経った今では、ピピ島以外にセレモニーを行うところがないから、というのが理由らしい。

今年、8年目にして初めて、派手になりすぎたセレモニーに出席をするのではなくて、バルコニーから、私があの時いたビーチと海を眺めてすごすことにした。

12月26日は8年間、1度も曇ったり雨が降ったりしない。
今年も前日までの悪天候を考えると、驚くほどいい天気だった。それまで数日間、毎日ぼやっとした曇り空。時折雨もぱらつき、風邪も強かった。
それがこの日は真っ青な空に、雲ひとつない。

そういえば、波から這い上がった直後に、血だらけ泥だらけで座り込んでいたときに見上げた空もこんな風に青かった。


去年までセレモニーに出席していて、徐々に出席者が減っていくのを「悲しむのをやめた人々が増えたのだ」という風に思っていた。

今年、バンガローのバルコニーからロ・ダラム湾を見ながら、私もそんな人の仲間には入れたのかな、なんて思った。
セレモニーが終わるころに会場に行ってみると、まだたくさんの人。
ビーチにある大きな木の前に今年もたくさんの写真と花が飾られている。

それを目の前にすると、まだ少しこみ上げてくるものはある。
でも、私たち、もう十分に悲しんで苦しんだから、少しは楽になってもいいよね。

今年は12月26日にダイビングにも行った。
午後からのダイブで、普段潜る朝とはダイブ雰囲気が違う。
それにしても水中で忙しいくらい見るものがたくさんあって、すごく素敵なダイブだった。

今まで26日はどんなに忙しくても絶対に休むと決めていたけれど、これからは、出かけることにしようかな。

2012/12/22

ニューエイジヒッピー

先日ビザランに出かけて知り合った人たちと話をしているとき。

ピピ島の話になった。
いやね、最近はパーティ以外にお金を使うのを嫌がる若い人が増えてね。・・・なんてそんな話をしていた。
アイルランド人のブライアンが
「そういう人たちを、ニューエイジヒッピーって呼ぶんだよ。」と教えてくれた。

Love and Peaceの昔のヒッピーとは違うらしい。

ピアスとか、タトゥーをたくさんしていて、ちょっとだらけた感じの、パーティ以外に旅行中ほとんど何もしなくて、しかも常にi Phoneなどを常に持っている、と。
これが定義らしい。
なるほど。
そういえば私の周りにも時々いるなぁ。
「私、ピピ島にもうずいぶん長くいるのよね。もう3ヶ月!」
みたいなことをはじめてピピ島に来た旅行者に自慢げに話しているのは時々見かける。
まぁ、これに関しては昔のバックパーッカーも「どれくらい長く旅行をしているか」自慢なんかがあったから似ているのかな。
正直に言うと、そういう人たちばっかりがピピ島に来るのは、あんまりうれしくない。パーティといっても、ビーチバーで飲んで、ビーチが汚れるばっかりだし、夜はうるさいし、おまけに彼らはダイビングに行かないと来てる。
ちっともありがたくない。

でも、「ニューエイジヒッピー」なんて名前がつくと、そんな人たちを見るたびにちょっと、くすっと笑ってしまう。
彼らを見ていやな気分になることがなくなったよ、ブライアン。
面白い言葉を教えてくれてありがとう。

2012/12/17

ビザラン友達

今年もビザランシーズン。・・・シーズンかな。でも、この時期に1年に1度だけだから・・・。

ここ数年毎回出かけてるビエンチャンへ。
初めてのところでもなし、わくわくすることでもなし。なんとなく「じゃ、行ってくるね~。」と。

プーケットからウドン・ターニへ飛行機で行く。そこからはバスを乗り継ぎながらビエンチャンへ。

大体、ビザランに出かけると、同じような目的の人がなんとなく集まる。
プーケットからわざわざウドン・ターニまで飛行機に乗ってビエンチャンに行こうなんていう人はほとんどがビザ目的だ。

でも、今回飛行機から降りて同じミニバスに乗り込んだのはたったの3人。
バスの中で話していると、やっぱり大使館近くに泊まるという。ことで、一緒に部屋を探すことにした。

アイルランド人のおじさんとドイツ人のお兄さん。そして私。
この奇妙な組み合わせがなぜうまくマッチしたのかわからないけど、今回は3人で3日間すごく楽しいビザランになった。
一緒にご飯を食べに行き、一緒に飲みに行き、一緒にビザを受け取る。

普段、ミニバスに数人集まると、私はたいていが一人アジア人のせいか、仲間はずれになってしまう。最初から知っている顔ならまだ話もするけど、初めて会った人は私には話しかけてこない。
それが、今回は3人という人数のせいか、仲良くなった。

どうやら、アイルランド人のおじさんブライアンは私のことを知っていたよう。
プーケットの釣り仲間のレストランやバーでたむろしていたり、トーナメントに出ているのを見ていたとのこと。
私のほうは、みんな似たり寄ったりの不良親父なので今までブライアンには気がつかなかった。
きっと私はその釣り仲間の中にいると目立つんだろうけど。
ブライアンの顔は強面だし、しっかりアイリッシュ英語・・・って言うのかな・・・なので、最初はすごく聞き取りにくかった。


2日目にブライアンが一言。
「こんなにたくさん笑ったのはすごく久しぶりだ。」

こんな一言って、ちょっとうれしくなるもの。
確かに、ドイツ人のトーマスはしっかりしていそうで、それなのになんとなく頼りなさそうな、ユニークなタイプだったから、実は私たち、笑いっぱなしだった。

別れ際、お互いに「Nice to meet you」と。
本当にそうだ。
普段つまらないだけの3日間のビザラン。
今回はすごく楽しませてもらった。
しかも、ブライアンにはプーケットに行けば会える。トーマスとも連絡先を交換した。

次回会えるのはいつだろう。
わからないけど、また絶対一緒にビールで乾杯したい。

2012/12/09

12月26日を思う

今日、新しいウェブサイトからの問い合わせでファンダイブのリクエストがあった。
12月24日到着。その後2,3日潜りたいとのこと。

私の予定表を見ると・・・空いてる。
もちろん返信は、即OK!

で、夜になってから気づいた。
12月26日にOKを出してしまった。

12月26日。
忘れたいけど忘れられない、私にとって刻印のように刻まれている日。

今ここにいるピピ島で2004年に津波のあった日。

津波の2年後にこの島に帰ってきてから、何があってもその日だけは絶対に何もしないと決めていた。店がどれだけ忙しくても、どれだけリクエストが入っていても、絶対に仕事をしないと。

それが、今日、気づいたら予約を入れていた。

自分でそのことに気づいたとき、ひとりで衝撃を受けた。


「私はあの日を忘れてしまったの?」


いや、どうしたら忘れることができよう。
感傷こそ薄れてはいるものの、あの日に亡くなった友達、あの日に消えてしまった、そしてもう二度と戻ることはないものを忘れ去るなんてことは到底できない。

でも、それでも、私はあの日から8年、毎日生きてる。

そう。8年も経った。
人生の長さを考えたらたったの8年。
それでも、この8年は、「津波」というひとつのことだけを考えたら、とてつもなく長かった。

今年、勢いで12月26日に予約を入れてしまった。
もしかしたら、これは、この日を「特別な日」と思わずにすごせるようになる第1段階かも。

まだ、その日のことを考えるとこらえきれないものはある。
それでも、私は「あの日」を私の人生の一部として受け入れながら生きていかなければならない。

その形を、そろそろ変えてもいい頃じゃないかとも思う。

こんな風に、少しずつ、私の中で風化させていかなければ、いつもいつも「あの日」に後ろから引っ張られながら生きていかなければならない。

もう少し前へ進もう。

一歩じゃなくてもいいから。半歩でもいいから。

今年は、12月26日、海へ出ます。
1日笑って過ごします。

それは決してあの日を忘れてしまったのではなくて、私自身のため。

「この島が悲しい歴史を持っているということを、新しくこの島に来る人たちが変えてくれるんだよ」っていうアンジェロの言葉を信じて。

2012/12/07

ドイツ語でコースを教える

ピピ島に戻って、しばらく。
数日後には日本人のお客さんの予約が入ってるなぁ、なんて思っていたら 店のスタッフがドイツ語でオープンウォーターコース(ダイビングの最初のライセンスが取得できるコース)を予約してしまった。


英語しゃべれるけど、ドイツ語でとりたいんだって、・・・・だって。
「だって」じゃないよ、何を薦めたの、一体?

コースの始まる朝、生徒さんと初めて会う。
明らかに緊張している様子、しかも私が挨拶すると不振そうな顔・・・。

そうだよね、そうだよね。
わかるよその気持ち。
ただでさえ初めてのことで不安なのに、出てきたインストラクターがアジア人で自分よりもふた回りくらい小さいときてる。しかも、ドイツ語のコースを申し込んだはずなのに、そのインストラクターのドイツ語はなんとなくおぼつかない。
そりゃ、不安になるよね。

今でこそ、英語でのコースはこんなことはなくなったけど、英語で教え始めた最初のころにも、やっぱりこんなことはよくあった。
言語に対する自信のなさが、表に出てるんだろうか・・・?


そんな風に始まったコース。
初日の教室での学科。
2章の後半になってやっとAndreの笑顔が見られた。
どうやら、ドイツ語は心もとないけど、ダイビングの知識に関しては大丈夫そうだ、と踏んだんだろう。

午後に浅瀬でスキルの練習をしてからは、冗談も出るようになって来た。
そうそう、私たちにとって、水に沈めてしまうのが一番手っ取り早く信頼を得る方法。
水中では私が差し出す手を真剣に握っていなければ、安定もしていられないし、安心もできないんだから。

最初は気が重いけど、実はこういう生徒はかわいくて仕方ない。

3日間のコースが終わるころには、Andreはしゃべりっぱなし。
ちょっと待った、ちょっと待った。
私そんなに弾丸のようにジョークを飛ばされても、早すぎて理解できないよー。


コース終了してから2日目。コース中も一緒に潜っていた友達と「明日ダイビングに行きたい」と店に来た。
でも私は日本人のお客さんは行ってるから、私が一緒かどうかわかんないけど、いい?
って、聞くと、
「えっ??ほかの人?」
このとき彼は、噴出してしまったほど困った顔をした。
私以外の人と行くことを想定していなかったらしい。

結局マネージャーと話をして、一緒にいけることになったときの笑顔も噴出してしまったけど。


なんとなく、こそこそとドイツ語を話せるようになっているとはいえ、やっぱりコースの学科を教えるのはなかなかハードなものがある。
大体、ドイツ語って、レギュレーター(水中で呼吸に使うホース類)ひとつとっても、英語とは違う言葉があるし、しかも長い。
そういうドイツ語の単語を全部わかってるわけじゃないから、自然説明も時間がかかる。

それでもなんとかやっているのは、教える内容はどの言語でも一緒だから。
そして、「教える」ということは生徒さんが「理解しようとして聞いてくれる」から。

生徒さんにはホントにありがたや~、だ。

もう少しドイツ語上手になって、ダイビング用語も覚えて、生徒さんも私も共にストレスの少ないコースができるようになったらいいな、と思う。
いつになることやら・・・。