2017/09/24

大切な誕生日

日本国外に住んでいて、いまだに何となく慣れず、ちょいちょい驚かされる出来事のひとつに誕生日がある。

ダイビングの仕事をしていたころは、「明日僕の誕生日だから、仕事終わったらあそこのバーに行くよー」なんていうことがよくあった。それは「いつもより騒ぐぞー」という掛け声にも聞こえ、言われたこっちも「よし、飲みに行くぞー」なんて気持ちで、パーティの翌日のスケジュール調整なんかもしてた。
さて、ここで。すでに日本と違う習慣がひとつ。
誕生日パーティは誕生日を祝ってもらう本人が企画するもの。

なに?本人が企画?そんな・・・こんな歳になってそんなこっぱずかしいこと・・・なんて、ちょっぴり思う私はまだまだ生粋の日本人。
そう。日本では、誕生日パーティなんて子供の頃のお誕生日会か、友達とちょこっと飲みに行く程度。あるいは、お付き合いをしている彼、彼女と。そうそうあっちの友達からこっちの友達まで呼んで盛大に祝うことはない。
もちろん家族の習慣の違いもあるはずだけれど、日本の家庭で、誕生日の本人がケーキを用意することはほとんどないんじゃないだろうか。家族の誰かがケーキを用意しておいてくれる、友達の誰かが飲み会のセッティングをしてくれる。 こんな風習じゃないだろうかと思う。

私がダイビングの仕事をしていたのは、いつもどこかの小さな島。ほかのダイバー仲間も含め、それぞれ家族は自分の国にいる。そして、仕事柄か、やたらと常に一緒にくっついている習慣だった。
最初のうちは勘違いしていた。
水中と睡眠中以外ずっと一緒にいるから誕生日も一緒に祝うのだ、と。
それでも、ちょっとだけ疑問には思っていた。私の誕生日に何をするのか、どうして私に聞くんだろう、と。
この疑問は、ドイツに住むようになってから、なぁるほど、と一度に解ける。

欧米人にとって、誕生日というものはとても大切な日なのだ。
言われてみれば、その通り。
この世に存在するために、あるいはこの家族、この招待する友達に出会うために私が生を受けた大切な日だ。 もう何度も、毎年誕生日を繰り返してきて、飽きた、なんてことは言ってはいけない。1年にたった1度しかない私の日じゃないか。周りの人に盛大に祝ってもらおうではないか・・・とでも言おうか。

この姿勢はいくつになっても変わらないようだ。特に10歳、20歳、30歳、40歳などの10年ごとの誕生日は特別扱いさえされている。町に売られている誕生日カードなど、各0のつく誕生日のために「70歳おめでとう」なんてカードもよく見る。まぁ、70歳なら高齢だからなんとなくわからないでもないけど、40歳おめでとう、なんていうのを見ると「日本にはないなぁ」なんて感じたりもする。
ちなみに私の40歳のパーティには数十人集まり、ブラスバンドまで登場した。
そして、毎年大きな誕生日パーティをすることができない人ですら、0のつく歳の誕生日には、店を貸し切りにしたりする。貸し切り!団体ではなくて、個人で店を貸し切りにすることなど、結婚式の2次会をのぞいたら日本ではそうそうあることではないと思う。これは、どれほど誕生日パーティが重要なのか理解する基準にもなるんじゃないかと思う。少なくとも私は初めてそれを聞いたとき衝撃を受けた。


日本の歳の数え方に「数え年」というものがある。
生まれた時にすでに1歳。そして、お正月を迎えるごとに1歳ずつ年を取っていく。
生まれた時にすでに1歳ということは、大晦日に生まれた子供は翌日にはすでに2歳になってしまうことになる。 一方、お正月に生まれた子供は丸々1年間1歳のままだ。
この数え方は未だに韓国では使われているようで、いつも韓国人友達の年齢が判然としない。

もしかしたら、日本で誕生日がドイツほど重要視されないのはこの数え年が原因じゃないかと思う。
みんながみんな、一斉にお正月に年を取るわけだから、ドイツの誕生日のように自分だけの特別な日にはならない。その代わり、日本のお正月は欧米の国よりも特別な祝い方がされるんじゃないだろうか。


もうひとつ、誕生日に関して感覚の違うことをここ何年かで発見した。
ドイツ人が・・・あるいは、私の周りのドイツ人がいくらパーティ好きとは言え、日曜日の夜に大きなパーティをするよりも、できたら金曜か土曜の夜に大騒ぎをしたい。酔いつぶれても翌日ゆっくり寝ていられる。
ところが例えば誕生日が日曜の場合。こんな時には土曜日にReinfeiernというパーティを開く。土曜からパーティを始め、日曜、要するに誕生日当日の0時以降までパーティは続く。
reinというのは純粋な、という意味で、feiernというのは祝う、とかパーティを楽しむとかいう意味がある。これがくっついてどうして誕生日の前夜パーティになるのかわからないけれど、このパーティの名前は誕生日パーティではない。
各々持ってきた誕生日プレゼントは夜中の0時になるまで渡さない。そして、「誕生日おめでとう」という言葉もそれまでかけてはいけない。誕生日当日になる前に祝うことは凶兆とさえされている。
これが効してか、誕生日が平日だった場合、当日や当日直後ではなく、1ヵ月も後から行われることもある。
日本的な感覚だと、当日を過ぎてしまった誕生日にお祝いを言うのは、なんだか忘れていたようで失礼というか、失敗してしまった感があるような気がするのは私だけだろうか。

私はドイツのことしか細かいことはわからないけれど、世界各国誕生日の重さ、祝い方には違いがあるんじゃないかと思う。
随分前の話だけれど、タイ人の友達に「僕は生まれてから一度も誕生日おめでとうっていう言葉を誰かからかけてもらったことはないんだ。今日、僕の誕生日なんだけど、おめでとう、って言ってもらえるかな」なんてことを言われたことがある。今でこそタイでもみんながみんな誕生日を祝うけれど、きっと昔はそんな習慣はなかったんだろうと思う。


自分の国でどんな風習を持つにせよ、誰かに何かを祝ってもらうのはとてもうれしいこと。
昨今Facebookが流行り、友達の誕生日の日には「祝ってあげましょう」なんていうメッセージが届く。私はこれに関してはちょっと懐疑的で、祝ってあげたいのはあげたいんだけれど、強制されているようでなんだかちょっと引っかかりがある。
そんな風に喚起されないでも、誰かの誕生日を自分自身で覚えていてメッセージを送れたらいいな、なんて思う。

かくいう今週末も誕生日パーティがあった。49歳になる友達。庭でバーベキューをして、しこたま飲む。独身男の彼は、招待した女友達の何人かに、サラダを作ってきてなんて頼んではいたものの・・・これはごく普通のこと・・・飲み物もお肉も、庭のパーティ会場もすべて自分で用意した。
そして、どの誕生日パーティもとても楽しい。祝うのも祝われるのもうれしいことだ。
こういうところを見ると、日本人と比べると、ドイツ人のほうが日常の簡単な楽しみ方を知っているなぁ、なんて思ってしまう。
うれしいことを分かち合うのはうれしいことだよね。

参考
数え年