2009/03/31

Hair cut

毎回日本に帰ってきて、しばらく放置していた髪を切りに行くのがここ数年の習慣になっている。

それまでは、髪が重くなって結わくのも苦になるほどまでほうっておいて、ばっさりと髪が立たないぎりぎりまで切ってしまうというのがパターンだった。

たまたま知人の紹介で行ったサロンで今までしたことのなかったような髪型にしてから、今の習慣に切り替わった。

どちらかと言うまでもなく、髪型なんかをそれほど気にしないでいた私にとって、日本に帰ってくるたびにサロンに出かけるというのはとても新しい習慣。しかも、それをちょっぴり楽しんでいる自分にもちょっぴり驚いている。
当たり前かもしれないけど、サロンに行った後には少しだけきれいになったような気がして、気分もいい。いちいちこんなこと書かなくても、それを知っている沢山の人たちは、そのためにサロンに通っているのだと思うけど。

そのサロンで初めて髪を切ってもらった後にピピに戻ったとき、日本人ではない人たちに髪型のことを何度か聞かれた。
どうして、海から上がってそのままなのに、そんなに自然に踊るような髪になっているのか、どんな切り方がしてあるのか、等々。

私の髪型の注文が、濡れたまま放置できること、顔に髪がかからないことというものだったのだけど、サロンの方がその条件をこれ以上ないくらいに忠実に、そして簡単にセットできるようにまでしてくれた。
それ以来、毎回お任せで切ってもらうんだけど、一度も外れたことがない。


海外でいろんな人たちの髪型を見るけれど、大抵は長さで髪型を調節しているケースが多い。日本人は比較的どの人も似たような髪をしているのだろうか。黒くてまっすぐ、というのが典型かもしれない。
色を変えたり、パーマをかけたりしないと個性が出ないのか、髪に時間もお金もかけている人が多い気がする。
そのせいで、どの人もみんなおしゃれに見える。
それだけで、気分も生活も華やかになるなら、そんなにいいことはない。
素敵な、気に入った髪形にして、どうでもいい格好をするわけもなく、自然洋服も自分に似合った気に入ったものを着ることになるんだろうと思う。

時々耳にする、「みんな同じような格好をしている。」なんてことはあるけれど、売ってるものがそうなってるんだから仕方がない。その中から、自分に似合う色なり丈なりを選んでるんだから、みんな、十分おしゃれだと思う。

こんな風に思うのも、だんだん「若い子」って言われる年齢から脱出しつつある私の年齢が、何もしなくても「いい感じ」の印象を与えるのにはそろそろ限界なせいなのかもしれない。
私たちの年齢で、自然でいいね、って言われるその影に実は切実な思いや、努力が隠れていたりするケースもあるだろう。

髪型に始まって、少しは見た目を気にするようになってきたのかな、私も。あるいは、もう少し気にしたほうがいいのかもしれないなぁ。

2009/03/28

帰国

先週のことをのろのろと書いているうちに3月も終わりに近づき、帰国の日が迫って、ついに日本に戻ってきた。

カンボジアからピピに帰って、1週間以上もあったのに、翌日からダイビングに出かけ、そのあと器材のメンテナンスをし、なんてしてたらブログを書く時間はなく時間が取れたのは日本に帰った翌日でした。

久しぶりに桜に見られる時期に日本にいるかもーー、なんてちょっとウキウキして帰ってきた。だけど、桜が見られる時期ってことはまだ寒いのよねぇー。そんなことはすっかり忘れてた。
遠くにいるときは、「日本今寒いらしいよ」なんて、リアルタイムな情報を知っているかのように話していたのに、体感すると、そんな情報はどうでもいいくらい寒い、し、しかも自分がそれを感じなければいけないんだ、何てこと忘れてた。
そんなことに気がついて、私は普段ずいぶんとボーっとして過ごしているんだな、って気がつく。コレだから、こう。っていうコレ、まではわかっているのに、こう、って言うところまで思いつかない・・・。

「桜=まだ寒い」っていうのは、今年しっかり頭に刻み込まれた。

それにしても寒い。寒いのに寒い寒いって言ってるからなお寒い。

もの乞う人々

Siem Reapで久しぶりに物乞いの人々に会った。

カンボジア全体はいまだ貧しい国で、Siem Reapだけが観光のためにほかよりも栄えているとなれば、ものを乞う人々が集まっても不思議はない。ただ、そのわりには人数が少なく、それだけでも町全体がよくコントロールされていると思う。

一言で物乞いというと語弊がある。
ある人は本を、ポストカードを売りに来る。カフェでもレストランでもお構いなしにテーブルの脇に来る。手のない人、足のない人は黙って帽子を差し出してくるケースが多い。もちろんそんな中には子供もいる。身なりのいい子はお小遣い稼ぎだろうか。親がとおりで子供たちをコントロールして、子供がレストランやバーに入って物を売るという方法もある。体が不自由でもどうにかして物を売っている人もいる。

物を売っている人まで物乞いの人と呼ぶこと自体もしかしたら語弊があるのかもしれない。でも、「何かを買ってくれ」と乞うていることには違いがないように感じる。私が何か必要なときには、一般的には、売っているところへ行くのだから。野球場で、ビールを売って歩いているお姉さんとは明らかに違う。

正直に言ってしまおう。
私は体が不自由なのに物を売っている人以外の、そういう人々が好きではない。
以前頻繁に旅行をしていたころ、何度もいやな目にあった。出したお金が少ないといって舌打ちされたこともあるし、唾を吐きかけられたこともある。
そんなことが何度かあってから、私はお金を出すことを一切やめた。
はじめからNOと決めていれば、あげようかどうしようか迷う必要もない。出しても唾されるお金なら、出さないほうがいい。はじめからNOなのだから、NOということにためらいもない。

いずれにしても、私の旅行中の資金から出せるお金で、彼らの生活を変えられるわけはない。しかも物価を把握していない私やほかの旅行者が出す金額は、時に彼らの1日分の生活費以上になることだってあるはず。もっとも、逆だってあるから舌打ちされるんだろうけど。
手を出せばお金が手に入る。無駄に汗を流して働く必要はないと、彼らのうちの何人かが思ってしまっても不思議ではない。

旅行者が来るようになってから、その地域の金銭感覚や生活がおかしな方向に変化してしまったケースは世界中にいくつもある。
台湾の高山地域には許可証がないとは入れない地域がある。昔からある部族がそこで生活しているというのがその理由らしいけど、部族を守る、同時に文化を守るというのが正直なところなんじゃないかと思う。そして、それはタイの北部の部族の人たち独自の文化を商売にしてしまっているケースとは反対のケースなんじゃないかと思う。
どっちがいいのかなんて、私には判断がつかないことだけど。それは国の方針によるんだろう。


一緒に旅行していたWolleはというと、時々お金をあげている。
そういう人がいなくちゃ彼らも生活が成り立たないから、彼らにとってWolleみたいな人は必要なんだろう。
お財布とは別に、小銭に近い小さなお金を用意していて、時に差し出された帽子、あるいは手のひらにお金を渡す。
ある日路上で、お互い仲のよさそうな二人のおじいさんが並んで同時に私たちに帽子を差し出した。Wolleは立ち止まってポケットから小さなお金を取り出し、ひとつの帽子にだけお金を入れた。そして残りのお金はまたポケットへ。

あれ?もう一人にはあげないの?隣にいるのに・・・。仲良しだから二人でひとつ?
まぁ、そのおじいさんたちの目の前で聞くのもなんだから、数十メートル離れてから聞いてみる。
ねぇ、どうしてさっきのおじいさんのうち一人にだけお金あげたの?
どうしてって。だって、一人は両足あって、一人は片足だったでしょ?

私はその答えに小さいとはいないようなショックを受けた。
そこまで見てるのか。私はあのおじいさん二人の前を通り過ぎたとき、何を見てたんだ。きっと帽子だけに気を取られてたんだ。

それまで気がつかなかったけど、Wolleは人を見分けてお金をあげてるらしい。で、もっとよく聞くと、絶対に子供にはあげない。
子供はこんな風にお金を稼ぐんじゃなくて、学校に行かなくちゃいけない。路上で学べることなんて学校に行って学べることと比べたらなんでもないことだ。学校に行けば将来、路上で稼ぐよりも大成できるかもしれないってことを、大人が教えなくちゃいけない。ここで少しでも稼げて、味を占めたらずっと物乞いを続けるに違いない。だから、子供には絶対にあげない。
なるほど。
お金はあげるけどいらない物は買わない。だっていらない物はいらないもん。
なるほど。
等々。

どうやらお金を出す基準みたいなものが彼の中で決まっているらしい。
何日か隣でそうやって見ていて、なんだか私は今まで自分で一番楽な方法を取っていたんじゃないかなぁ、と思い出した。

気にしてよく見てると、子供の中にも明らかに違いがある。
こぎれいなワンピースを着て、カップルにバラを売り歩いてる子。
顔もシャツも真っ黒で、しかも毎日同じシャツで、ポストカードを売ってる兄弟。母親は路上でレストランから出てくる子供たちを待ってる。
学校帰りのような格好で、カンボジアの歴史を語る本を売ってる子。そんな子は多少以上の英語を話す。

大人も然り。
明るく寄ってくる人。
体が不自由だけど、ものを「乞う」のではなく「売りたい」旨を書いた板を首から下げている人。
必要以上の距離まで近づいて、無言でいつまでもテーブルの近くに立っている人。
通りすがりの人に、軽く帽子を差し出して、無駄とわかったらすぐ引っ込める人。・・・これは、あわよくば、位なのかとも思うけど・・・。
路上にうずくまって、通る人に両手を合わせている人。

こんなに一人ひとり違ってたら、私自身じゃなかなか基準を作るのが難しい。誰にあげて、誰にあげないのか。
子供に関するWolleの理屈は自分でも今までどうして気づかなかったのかと思うほど納得がいくので、子供に関してはいい。
おとな。
きっと子供がそうしている以上に、物乞いをしている理由があるであろう大人をどう区別すればいいんだろう。


そして、もうひとつ。
この国の事情。
私はカンボジアの歴史に詳しいわけでもないし、なぜその人たちに足がないのか、腕がないのか詳細はわからない。でも、少なくとも、彼らは自分の過ちで足なり腕なりをなくしてしまったわけではないことくらいはわかる。そして、それが割合で言ったら、例えば日本人で腕がない人の割合よりもはるかに多い。
もちろん職業にも制限がつくだろうし、したいことが何でもできるわけじゃないだろう。
でも、同時に、それでも何かしらの職業を得たり、少なくとも得ようとしている人はいるはず。

足がないことを物を乞う理由にしている、ととるか。
足がないことで職が制限されることを不憫に思うか。

考え出すと際限なく疑問がわく。

旅行を始めたころ、お金をあげるかあげないかが私の中で課題だった時期がある。
これは一応ではあるけれど、解決したものだと思っていた。でも、今また新しい課題を見つけてしまった。
一様にあげないほうが楽なことはもうわかっている。
でも、そろそろ目をそらすのはやめようか。

不自然に目をそらしてお金を出さないのではなく、自然に目を開けて見えたものにお金を出す。その見えるものが何なのか、まだ私にはつかめないけど。

2009/03/22

Spa

Siem Reapは、カンボジアの中でも突出して観光化されているいるんだろう。大きなリゾート内をはじめ、そこかしこにSpaがある。
看板を見ると、どうやらクメールマッサージなるものもあるみたい。

Wolleが一人で自転車でお寺に行ってしまったのをいいことに、早速Spaにでかけてみた。
見るところ、リーズナブルなマッサージショップから、中華系の足つぼマッサージ、本格的なSpaまでそろってる。
私の好きなのは雰囲気も整ってるSpa。
情報誌で手ごろなのを見つけた。
Bodia Spa。
私たちの泊まっているOld Market周辺にある中では本格的なSpaらしい・・・情報誌によると。マッサージ屋さんではない。

とりあえずレセプションで雰囲気を見ようと思って一歩はいる。Spa特有ともいえるアロマオイルのいい香り。
レセプションの女性と話をして、トリートメントを選ぶ。
迷ったけど、4Handsのマッサージにしてみた。
今までちょこちょこ名前は見てたけど、今まで頼んだことはない。今日はコレ。

一人の手が二つだから、4Handsマッサージは二人のセラピストがつくことになる。ちょっとゼイタク?
普段2本の手で気持ちいいんだから、4本だったらさぞかし気持ちよかろう・・・。
そんなことを思いながらまずはシャワーを浴びる。

ストレッチから始まるマッサージは、バリのマッサージの応用だ。
でもマッサージしてもらってる感触がバリニーズマッサージとは違う。両足を同時にしてもらってるから。
これは二人のセラピストの息があってないとできない。しかもマッサージの強さのほんの少しのズレが私にしっかり伝わる。こりゃ、セラピストにとっては大変なマッサージだ。技術の高さよりもコンビネーションが。

両腕も両足も気持ちい。
でも、肩と腰を一人ずつが別の動きのマッサージをしてるときが一番「4hands」って気がした。でもどっちも気持ちよくて集中できなーーーい。

いつもなら半分寝てしまうのに、この日は全く寝なかった。
気持ちいいんだけど4handsに慣れていないせいかリラックスしきれなかったのかも・・・。

1時間はものすごく早く過ぎた。

そして夜。
普段のマッサージを4handsっていうダブルで受けたせいか、体中が重たくなった。私には少し刺激が強すぎたのかな。そのときは気持ちよかったんだけど。

Spaのクオリティは悪くなかった。
完全なプライベートの空間とはいえないまでも、リラックスするのには十分。全体の雰囲気も統一されてる。4handsのマッサージも$35と値段も手ごろ。質と値段だけ比較すれば上々だと思う。まぁ、カンボジアの物価を考えると手ごろともいえないかもしれないけど。

4handsもよかったけど、やっぱり普通のマッサージがいいかな・・。2handsの・・・。
同じところで4handsじゃないマッサージも受ければよかったなぁ・・・。

2009/03/09

アンコールワット


Siem Reapに到着して2日目。私たちはトゥクトゥクでアンコールワットに出かける。
一般に「アンコールワット」と呼ばれているけど、その周辺にもたくさんの寺院の遺跡がある。とても1日で回りきれるような広さじゃない。

その遺跡群のゲートで入場許可証を買う。
1日、3日、1週間とある。私たちは1週間のチケットを買う。何日もいるんだし、1週間持ってればいつでも行ける。

トゥクトゥクは多少揺れはするものの、風を感じながら快適に遺跡まで行ける。多ホコリっぽいけど・・・。しかも、ドライバーを1日雇うことになるので、好きなところに好きなだけいることができる。プライベートのツアー。

まず最初に迫ってくるのは、まさにアンコールワット。その横顔。
アンコールワットを囲む水掘りをぐるっと回って正面へ。
きたきた。写真で見るのと同じ・・・かな。とにかくアンコールワットだ。
小さなころから遺跡が好きだった私にとっては、夢だったとは言わないまでも、長いこと、見てみたいものの一つだった。
堀に渡る橋。遠くに見える3つの塔。
あれ。真ん中の大きいのが修復中だ。なんか雰囲気ずれるけど、まぁ、たいてい古くて有名なところっていうのはどこかしらを修復してることが多い。
しかもここは18世紀くらいに発見されて以来、特に最近は常にどこかしらを修復しているはず。入り口の端も半分修復が終わったところみたいで、右半分と左半分がぜんぜん違うなりをしている。

寺院の外は照りつける日差しと埃でくらくらしそうなほど。
それが一歩中に入ると、別世界への扉をくぐったかのようにひんやりとして、心地のいい風が回廊を吹き抜ける。
石の建築だ。

近くに立つと見上げる塔は今では進入禁止になっている。おととしくらいまでは塔の上まで登れたんだそうだ。
アンコールワットは18世紀に欧米人の人に発見・・・・って言う言葉はあってないと思うけど、そう言われてる、いわゆる世界的に有名になったのをきっかけに、その後この地域が安全な限り、修復作業が続いてるらしい。
まず最初に、地雷の撤去作業から始まり、それが完全に終わって間もなく修築が始まる。
その修復作業はもちろん旅行者がいる中ですすんでいくので、一度にひとつのお寺全部を閉鎖して短期間でするのもではない。
建物の一部にやぐらが組まれ、その部分を修復し、またやぐらを組む、っていう作業を延々続けてるみたい。
だから、たいていどこのお寺に行っても、どこかしらにやぐらが組まれている。

ところで、遺跡の修復っていうのはどこまでするのがいいんだろう。
完全にもとの形に戻してしまうことばっかりがいいわけでもない気がする。実際、出来立てのころの見た目が記録されているような遺跡ばっかりでもないから、どっち道不可能な話なんだろうけど。
でも、今の技術でできるだけ完全体に戻そうと思えば、かなりきれいな遺跡になるだろう。だけど、ピッカピカの遺跡じゃあ味がない。
金閣寺の金を張り替えたばっかりのときに、なんだか本物っぽく見えなかったのと同じになるんじゃないかな。
でも、タイのアユタヤの遺跡が修復を始める前まで、ただの瓦礫の塔だったように、何もしなければいずれ風化してしまう。
エジプトのスフィンクスは、少し前から修復を始めたらしい。修復に着手する前までは、あと60年くらいでただの砂の山になるって聞いていた。外にあるから、というか立地条件のせいでどうしようもないんだ、とも聞いてた。でも、現在は少しずつ修復されてるらしい。スフィンクスもピカピカだったら、あんまり味がない気がするけど、それもどこまでするんだろう。

これはまぁ、修復作業をする団体の考え方次第になるんだろうと思う。ピカピカにするのか、それともそこそこ遺跡っぽさを残すのか・・・。

いくつもの疑問がなげられつつも、アンコールワットの遺跡群はやっぱりダイナミックで、一言で感想を言えば「行ってみてよかったなぁ。」というところかな。

いつもぶらぶらしてるわりには、観光っぽいことをあまりしない私としては、今回まさに「ホリデー」って雰囲気の小旅行で楽しかった。
しかも、Siem Reapなら多少年齢の上の人たちも十分楽しめるところなきがする。きれいになってるし、遺跡めぐりもトゥクトゥクなんかがあるし。

いつか母と一緒に来たいな。

2009/03/07

Siem Reapの町

タイから移動してきた私たちにとって、Siem Reapの空気はとても乾いて感じる。
もちろんそれは今がここの乾期のせいなのだけど、初めて来た私にとっては、まるでここはいつも乾いているかのよう。
町を走るバイクもトゥクトゥクも砂埃を巻き上げている。
湿度が少ないせいで、暑さをそれほど感じないうちにしっかりと汗をかく。

私たちはバイクの後ろに乗って移動しながら、気に入るゲストハウスを探す。旅行者が入ってからまだそれほど時間のたっていない町のせいか、どのゲストハウスも似たり寄ったりで、まさにゲストハウスの典型のようなところが多い。
「もう少し緑がほしいんだけど」
「もう少し小さい規模のところは?」
そんなリクエストもなかなか難しいらしく、「緑のある静かな小さなバンガローなんてない。このスタイルのほかはとても高いリゾートだよ。」なんて言われながらも、3件目で小さめの、静か目のゲストハウスに行き着く。

そんな道なりも、タイに慣れている私たちには、とてもゆったりとした雰囲気。車も、バイクも意味もなくか飛ばしていることもない。ゆっくりとみんなで合わせて時間が動いているように感じる。

昨日は、飛行機の時間あわせで、クアラルンプールの空港に一晩分くらいいた。そのせいもあって、時差ぼけがあるはずもないのにぼんやりしてる。
しっかり遺跡を見始めるのは明日から。
今日はこのあたりでゆっくりしよう。

軽い睡眠をとった後、町に出てみる。
とまっているのはオールドマーケット周辺。歩いて数分でレストランやパブのあるとおりに出られる。
想像していた以上に心地のいいとおりがいくつもあって、ちょっと驚き。
マーケットと名のつくところに行ってみる。一般的なアジアのガチャガチャした食べ物のマーケットを想像していた私たちはちょっと驚く。オールドマーケットの半分は食べ物じゃなくてお土産やさん。Tシャツや細々したお土産が並んでいる。でもちょっと、どれもタイで見かけるものと似ている
オールドマーケットの近くの小さなとおりに入ってみる。なんだか素敵なカフェやらバーやらが並んでる。そういえばバイクタクシーのお兄さんがパブストリートもある、なんて言ってた。きっとここだ。
店ごとに違うすわり心地のよさそうな椅子、ソファ。そして、テーブルにはそれぞれテーブルクロスとお皿が並ぶ。
うぅぅぅーーーん。
こういうのはピピに確実に欠落している。こんな雰囲気の場所がピピにもあればいいのに。
なんて、思わず自分たちの住む島を思い出してしまう。
レストランはクメール料理からイタリアン、バーガーショップ、果てにはメキシカン料理までそろっている。

この通りには夜も足を運んでみた。
うるさすぎる音楽はかかっていない。年齢層は・・・私たちがちょうど真ん中くらいかな。若い人たちも見かけるけど、壮年のカップルなんかもたくさんいる。
ってことは、確実に快適な場所があるってことだ。

私の持っていたカンボジアのイメージは、10年以上前のもの。まだ、タイとの陸路の国境が開いていないころ私は東南アジアをうろうろしてた。
地雷にあたるといけないから、ちゃんとした道以外のところに足を踏み入れないほうがいいよ、そんな情報だ。
そんなこと、今この街を見ると嘘のようだ。同じ国だとはとても思えない。

空港からオールドマーケット周辺といわれる繁華街までにも、「ラクジュアリー」という言葉がつくようなリゾートがいくつもあった。中には世界的にも、アジア全体でも有名な名前も見かける。
通りで見かける日本人は若い子達のグループが多いけど、きっとリゾートには年配の日本人もたくさんいるんだろう。

町全体がしっかりコントロールされているようにみえる。政府もこの世界遺産のある観光地に力を注いでるんだろうと思う。
遺跡だけを目的にここにきたけど、ほかの部分も楽しめそう。

2009/03/03

バンガロー改装

昨日からいつもクラビにいるWolleの友達Thomasがうちのバンガローにいる。

私たちが明日からアンコールワットに出かけるのを機に、うちのバンガローの内装を塗りなおしてくれる約束。約束っていっても、どうしてそんな約束になったのかは不明だけど、きっと塗りなおそうか?あぁ、お願い、位のことだと思う。
でも、とにかくThomasはクラビから大きな袋と20Kgのペンキを持ってきた。
昨日、3人でバルコニーにいるとき、バンガローのあるリゾートの庭師さんたちがうちの前の木を大胆に剪定していた。
切り落とした、あるいは切り倒した木や枝をひとところに集めている。いつ燃やすんだろう。

そこで思いついた。
引っ越してきたときから、うちのバンガローの脇にはゴミの山がある。
ゴミの山って言ってもほとんどが椰子の実と葉で、そこに時々一般のゴミが混じってた。バンガローがリゾートの敷地の一番隅にあって、隣はジャングルだから、時々落ちてる椰子の葉なんかを持ってきたりしてるうちに山になっちゃったのかな、って思ってた。
で、時々時間を見つけては、目立つゴミを拾って捨ててたんだけど、なかなか山は小さくならない。
これ、椰子の葉をあっちの山で燃やしてもらったらいいんじゃない?

気がついたら、3人でその山に取り組んでた。椰子の実と葉を運ぶ。ビニール製のものやプラスチック類をゴミ袋に入れてゴミ捨て場に運ぶ。
しばらくすると、山はだんだん小さくなって、ゴミの下が見え始めた。ゴミの下には・・・かつてそこがゴミを燃やす場所だっただろうことを示す、燃えカスと灰の山が出てきた。
これは全部取り除けない。

でもとりあえず、山は半分以下くらいに小さくなった。残りはらいシーズンまで持ち越しかな。

ThomasとWolleはおまけに葉っぱが生え始めてる椰子のみに支えまでつけて植えた。

そして今日。
朝から二人はバスルームの網戸の張替えに夢中だった。
穴だらけで、透明のテープを張ってごまかしていたんだけど、この前大量の蜂が入ってきて以来また気になってたところ。

網戸というよりも、桟にそのまま網がつけてあって、交換するときのことを考えては作っていないよう。だから、はずすのは簡単だけど、新しい網を入れるのが大変。
周りの桟をはずして、ナイフで押し込む。
それでもしばらくして、新品の網戸になった。

明日辺りから内装を変え始めるみたい。

二人とも、自分のうちも自分でなおす位だから、きっとバンガローなんて簡単な類なんだろうな。木片なんかをうまく使って床や壁を修理するのを見てるとびっくりすることもあるけど。

明日から10日くらいホリデー。
帰ってきたら、バンガローどんなになってるんだろう。楽しみー。