ドイツに来るようになったばっかりのころ。すでにドイツのことをよく知っていた同じ町に住む日本人女性が言っていた。「ドイツのティッシュって5回鼻かめるらしいですよ」
そんな必要ないでしょう、というのが私たちの一致した意見だった。
なぜ1枚で5回も鼻がかめるかというと、単純に分厚いから。食事の時に使う紙ナプキンを少し柔らかくした程度。これを眺めると、日本の花粉症の時なんかに使う柔らかいティッシュが、ティッシュの神様のように見える。
さて、ドイツ人を見ていると、昔日本のお年寄りが使った鼻紙を丸めてポケットに入れるのと同じ動作をする。昔のおじいちゃんおばあちゃんがポケットから丸まった鼻紙を出して再度使っている光景と同じことを目にする。
ははぁ。なるほど。これが、5回鼻をかめるティッシュの使い方か・・・。日本の鼻紙でもできるんじゃん、なんてことはさておいて。
ティッシュの使い方が・・・今の世代の話だが・・・異なるように、鼻をかむことに関する見解もこれまた違う。
これもまた同じ町に住む女性の話。
「ドイツでは鼻をすすることがすごく恥ずかしいことらしいですよ」
なに?
鼻をすすっちゃいけないの?そりゃあちょっと難しい。風邪引いたときなんかどうするのよ。
そう。すすれなければかむしかないのだ。
これが5回かめるティッシュの実の理由だ。
それが風邪であれ、花粉症であれ、鼻をすするということがどうも見苦しい、あるいは聞き苦しいことらしい。だから、ちょっと鼻が出ただけでもすぐにティッシュが登場する。
ずるずると大量の鼻をかむのでもなければ、1回使っただけのティッシュはそれほどべたべたにもならない。だから、再利用、というわけか。しかもティッシュは厚いときている。2,3度かんだところでティッシュにダメージはないのだ。
日本の感覚で言うと、人前で鼻をかむというのは少々恥ずかしい行為であるような気がする。
あるいは各家庭によるのではないかと思う。
中学校のときに友達の家に遊びに行ってちょっと驚いたことがある。それまでその仲のいい友達と学校に一緒にいるだけでは気づかなかった。
彼女はその彼女の部屋にいるときに「ちょっと鼻かんで来るね」と言って隣の部屋まで行ったのだ。ちょっと鼻かんでくるね・・・?トイレに行くんじゃあるまいし。と、そのときは思った。
我が家では、ちょっと顔を背ける程度で、人前で鼻をかむことはおかしなことではなかったように思う。が、彼女の家庭ではよそ様の面前で鼻をかむことは失礼、あるいは恥ずかしいとされていたんだろうか。
これが、私が鼻をかむことに関する礼が各家庭によって違うんじゃないかと思う理由である。
が、ここはドイツ。
鼻をすすっちゃいけないとなると、風邪を引いているときなんかは日本よりも頻繁に鼻をかむことになる。私の中学校の友達のように、いちいち部屋を出ていたんでは一緒にいる時間よりも鼻をかむために席をはずしている時間のほうが長くなってしまう。
と、そんな理由なのかどうなのかわからないけれど、ドイツ人の皆さん、平気で人に向き合ったまま鼻をかむ。
狭いところで鼻を突き合わせて座っていれば、私の鼻先で彼らは鼻をかむ。ぞぞーっだ、びびーっだ、ぶぶーっだと平気である。
こうなると鼻をすすられるほうがましな気もしないでもない。
私もドイツに通うようになってそこそこの年数が経っている。そして私は外国人。「鼻をすすっちゃだめだよ」と言われれば「私は日本人じゃい」と開き直る理由もなく鼻をかむように心がけてきた。
習慣とは恐ろしいもので、そうこうしているうちに鼻をすするよりも、かむほうが楽になってきた。そしてかんでしまえば次に鼻が出てくるまではすすり続けなくてもいい。
これはもしかしたらより快適なんではないか。そして鼻にもいいはず。
「すする」というのは日本では食事でもするし、お茶もすする。私たち日本人にとってすする音というのは一概に汚いものを想像させるだけではない。
が、ドイツ人のみならず日本人以外の人にとって、すする音というのは存外汚いものを連想させるんじゃないだろうか。
たとえばタイでもスープに入った麺をすすることは行儀が悪いとされている。これは私にとってとても食べにくい料理の一つだが。
鼻が出たらかむ。
これが習慣になってみて気づいたけれど、そんなに悪いものじゃない。ちょっとの鼻でもかんでしまえばすっきりする。
まぁ、日本だって、風邪を引いているからといって一緒にいる相手が常にずるずると鼻をすすっていたら、それほど気持ちのいいものではない。
ドイツに倣え、とは言わないけど、鼻をかむ習慣、悪くないんではないかな。
そんな必要ないでしょう、というのが私たちの一致した意見だった。
なぜ1枚で5回も鼻がかめるかというと、単純に分厚いから。食事の時に使う紙ナプキンを少し柔らかくした程度。これを眺めると、日本の花粉症の時なんかに使う柔らかいティッシュが、ティッシュの神様のように見える。
さて、ドイツ人を見ていると、昔日本のお年寄りが使った鼻紙を丸めてポケットに入れるのと同じ動作をする。昔のおじいちゃんおばあちゃんがポケットから丸まった鼻紙を出して再度使っている光景と同じことを目にする。
ははぁ。なるほど。これが、5回鼻をかめるティッシュの使い方か・・・。日本の鼻紙でもできるんじゃん、なんてことはさておいて。
ティッシュの使い方が・・・今の世代の話だが・・・異なるように、鼻をかむことに関する見解もこれまた違う。
これもまた同じ町に住む女性の話。
「ドイツでは鼻をすすることがすごく恥ずかしいことらしいですよ」
なに?
鼻をすすっちゃいけないの?そりゃあちょっと難しい。風邪引いたときなんかどうするのよ。
そう。すすれなければかむしかないのだ。
これが5回かめるティッシュの実の理由だ。
それが風邪であれ、花粉症であれ、鼻をすするということがどうも見苦しい、あるいは聞き苦しいことらしい。だから、ちょっと鼻が出ただけでもすぐにティッシュが登場する。
ずるずると大量の鼻をかむのでもなければ、1回使っただけのティッシュはそれほどべたべたにもならない。だから、再利用、というわけか。しかもティッシュは厚いときている。2,3度かんだところでティッシュにダメージはないのだ。
日本の感覚で言うと、人前で鼻をかむというのは少々恥ずかしい行為であるような気がする。
あるいは各家庭によるのではないかと思う。
中学校のときに友達の家に遊びに行ってちょっと驚いたことがある。それまでその仲のいい友達と学校に一緒にいるだけでは気づかなかった。
彼女はその彼女の部屋にいるときに「ちょっと鼻かんで来るね」と言って隣の部屋まで行ったのだ。ちょっと鼻かんでくるね・・・?トイレに行くんじゃあるまいし。と、そのときは思った。
我が家では、ちょっと顔を背ける程度で、人前で鼻をかむことはおかしなことではなかったように思う。が、彼女の家庭ではよそ様の面前で鼻をかむことは失礼、あるいは恥ずかしいとされていたんだろうか。
これが、私が鼻をかむことに関する礼が各家庭によって違うんじゃないかと思う理由である。
が、ここはドイツ。
鼻をすすっちゃいけないとなると、風邪を引いているときなんかは日本よりも頻繁に鼻をかむことになる。私の中学校の友達のように、いちいち部屋を出ていたんでは一緒にいる時間よりも鼻をかむために席をはずしている時間のほうが長くなってしまう。
と、そんな理由なのかどうなのかわからないけれど、ドイツ人の皆さん、平気で人に向き合ったまま鼻をかむ。
狭いところで鼻を突き合わせて座っていれば、私の鼻先で彼らは鼻をかむ。ぞぞーっだ、びびーっだ、ぶぶーっだと平気である。
こうなると鼻をすすられるほうがましな気もしないでもない。
私もドイツに通うようになってそこそこの年数が経っている。そして私は外国人。「鼻をすすっちゃだめだよ」と言われれば「私は日本人じゃい」と開き直る理由もなく鼻をかむように心がけてきた。
習慣とは恐ろしいもので、そうこうしているうちに鼻をすするよりも、かむほうが楽になってきた。そしてかんでしまえば次に鼻が出てくるまではすすり続けなくてもいい。
これはもしかしたらより快適なんではないか。そして鼻にもいいはず。
「すする」というのは日本では食事でもするし、お茶もすする。私たち日本人にとってすする音というのは一概に汚いものを想像させるだけではない。
が、ドイツ人のみならず日本人以外の人にとって、すする音というのは存外汚いものを連想させるんじゃないだろうか。
たとえばタイでもスープに入った麺をすすることは行儀が悪いとされている。これは私にとってとても食べにくい料理の一つだが。
鼻が出たらかむ。
これが習慣になってみて気づいたけれど、そんなに悪いものじゃない。ちょっとの鼻でもかんでしまえばすっきりする。
まぁ、日本だって、風邪を引いているからといって一緒にいる相手が常にずるずると鼻をすすっていたら、それほど気持ちのいいものではない。
ドイツに倣え、とは言わないけど、鼻をかむ習慣、悪くないんではないかな。
0 件のコメント:
コメントを投稿