トイレの話。
「公衆トイレ」といったらどんなトイレを思いつくだろう。「公共のトイレ」ともいうんだろうか。
学校のトイレ、駅のトイレ、デパートのトイレ、パーキングエリアのトイレ。要は家以外で使うたいていのトイレがあてはまる。
今日ここで話題にしたいのは、トイレの入り口を入ったら、奥に向かっていくつか、あるいはズラッとここのドアが並んでいるタイプのもの。
私たちがそんなトイレに入ったとき、手前から奥までどのドアも閉まっていたらどうする?
現在の日本では、ずべてのトイレが使用中だと気づいたら、一番手前のドアの一歩手前で誰かがドアを開けて出てくるのを待つ。
でもこの風習っていったいいつから始まったの?
私の記憶では、小さなころにはこんな風に並んだりしなかった・・・気がする。
まぁ、概して小さなころの記憶なんて当てにならないものだけど、小学校のトイレでは閉じたドアの前に並んでいた、おぼろげな記憶が、頭の片隅に残っている。
じゃぁいつから今の使用方法に変わったんだろう。
大学生の時にはすでに今と同じだったように思う。じゃぁ高校生のころは・・・?残念ながらはっきりとした記憶がない。
と、いうことは、私にとって子供から大人になるちょうど中間あたりでこの風習に習い始めたようだ。
これは「私」という人間が、人として社会に融合し始めたから始めたことなのか、それとも社会全体に新しいトイレの使用方法が普及し始めたのか・・・。判然としない。
なぜこんな話になったのかというのには少々理由がある。
4日間ラオスにビザランに出掛けた。今回は知り合いが紹介してくれたビザランのツアーに参加。数十人いたツアーのメンバーが、私を入れた3人を除き全員フィリピン人だった。
彼らは皆明るく、にぎやかで、少々異色の私にもなんのてらいもなく話しかけてくれる。ひとりになりがちな私に気をつかってか、外に出掛けるときには必ず一声かけてくれる。
日本とフィリピンはこんなに近いのに、私は「陸路の国境越えが好き」というだけの理由で今までフィリピンにいったことがない。
でも今まで仲良くなったどのフィリピン人の友人もすごくいい感じだ。私の感触では、特に気を使わなければ会話の感覚についていけないということはなかった。もちろんあくまで、私も彼女たちも自分の国から出ている人ではあるけれど。
ビザランの帰り道。バスがトイレ休憩に入った際。
ツアー中彼女たちと一緒にいた空間が心地よかったせいか、少々気を抜いていたのだろうか。
全満室のトイレの一歩手前で空きを待っていた私をスルスルと追い越して、彼女たちは各ドアの前に列を作った。
タイではこれはもちろん当たり前のこと。ぼんやりしているとドアの前で待っている私すらするりとよけて先に入られてしまう。
そうか。フィリピンもきっとこのシステムなんだ。
どちらの使い方が正しいとか間違っているとかというのではない。ただ、現在の日本の風習に慣れている私にとって、その日本の方法のほうが全てのトイレ利用者に公平なのではないかと思う。
だって、同じ用を足すのにも座って居眠りでも始めたんじゃないかと思うほどすご~く時間のかかる人と、私のように「おしり拭いてきたか」と笑われるほど短時間の人といるから。
せっかく並んだドアの中にいる人が前者で、隣のドアの中にいる人が後者だったら・・・。ただでさえ我慢していることが多くすでに「快」ではないのに、不快度数の目盛りが上がろうというものだ。
あるいはそれが逆だったとする。私より前から待っている隣のドアの前の人より先に、空いたからといって自分の並んだドアに入るのも、なんだか横入りをしたみたいで落ち着かない。
かと言って「あなた私よりも前から待っているから、お先にどうぞ。」なんてことをする穂と人の言い渡しでもないし、不審者でもない。
さらに各ドアの前にたとえば二人ずつ並んでいるとする。そして手を洗うために使用後にもまだトイレ内に残っている人の動きと、新しくトイレに入ってくる人の動きを合わせると、そんなことを計算して設計されていないトイレはまさに混沌とした状態となる。
少しでも気を抜いていたら一体いつになったら私の膀胱はリラックスできるのかということになる。
ヨーロッパや北米でこのカオスを目撃したことはないので、もしかしたらアメリカに習えの日本が80年代くらいにアメリカから仕入れてきたシステムかもしれない、なんて思う。
あとひとつ。
トイレの使い方で、これは日本独特なことがある。
家以外のトイレを使うとき、ほとんどの女性がおしっこをし始める前に水を流す。これは同じトイレ内にいるほかの女性に、用を足している音を聞かれないためだと思う。
最近、流水音が流れるボタンがあるのをよく見かけるというのは節水のためだろうか。きっとこれは外国人が見ても何のためのものなのかわからないに違いない。
ちなみに日本以外の国でこの習慣を見たこと・・・もとい、聞いたことはない。
トイレ内に女性しかいないのをいいことに、シャーシャー、ジャージャー、ぶぅぶぅ、ぶりぶり・・・だ。そこまで聞きたくないぞ、なんてつい思ってしまうような力む息まで聞こえたりする。
もちろんトイレの使用後は何もなかったようにスッキリした顔でお化粧を直したりしてる。
この習慣が日本で始まったのは水洗トイレが普及してからに決まってる。私は中学校の1年のときに始めて知った。
そのときのことを今でもはっきり覚えているということは、よほどショウゲキ的だったに違いない。
当時のクラスメイトとトイレに行き、彼女が先に入ったドアの前にいると、ようを足す音より先に水を流す音がした。流すものがないトイレを流すとは何事か、である。
姉を二人持つ彼女は第一子である私が知らないさまざまなことを、当たり前のようにかっこよくしていた。
日常なくてはならないトイレの話。
1回で書くにはネタが多すぎる。ほかのネタはまた今度。
0 件のコメント:
コメントを投稿