2014/09/29

ベジタリアン考

こんな言い方をしていいのかどうかわからないけれど、「ベジタリアン」という種類の人たちがいる。
日本語で言えば一般に「菜食主義」とでも言うのだろうか。


ベジタリアンという言葉だけ聞くと、単に「肉類を食べない」というイメージがわく。
ところがこれが実にさまざまで、単に「肉を食べない」「魚介類も食べない」「乳製品も食べない」などなど、個人個人によって異なる。
これが、宗教が理由のベジタリアンなら、どこが線引きの理由なのかはっきりする。
が、個人の主義でベジタリアンな場合、「なぜ?」というのが私の頭にいつもわく疑問。


「私は肉類の味が嫌いだから、肉を食べない」
というのなら極自然に理解できる。
これは「主義」の問題ではなく「好み」の問題。


私の友達にも何人もベジタリアンがいる。
いくつか例を挙げてみよう。


ベアントの場合:
肉類、卵を食べない。魚介類、乳製品は食べる。
彼は単に肉類を食べないことを主義にしている。卵を食べないのは単に「味が嫌い」だから。
ロッククライマーの彼は常に「よい食品」を求めている。少量でかつ即エネルギーになるものを好む。たとえばドライフルーツ、ナッツ、はちみつ等。
ドイツ人の彼は、バーベキューのパーティなどには比較的顔を出さないが、出かけてくるときには必ず自分で必要な食料を持参してくる。・・・そしてなぜか残りはおいていくので、うちにはベアントが残していった、誰も食べないドライフルーツのパックなどが転がっていることがある。


ドイツ人でベジタリアンという人は比較的少ない。こんなにお肉がおいしい国で、しかも、これだけお肉を食べる国でベジタリアンというのはなかなか難しいものがあるんじゃないかと思う。




ステファンの場合:
肉類を食べない。魚介類は食べる。卵、乳製品に関しては時期によって自分で調節しているらしい。
彼は動物性の肉食品に関しては徹底して口に入れない。
例えばお菓子のグミ。実はこの製品の材料に動物性のものが入っていることが多い。ゼラチン質のようなものだ。こういう材料にも徹底してこだわるから、何が入っているかよくわからないものを目の前にすると、まず材料を疑う。
彼がベジタリアンになったゆえんは、「昔大好きだった彼女がベジタリアンで、少しでも彼女と同じになりたかったから。」
いかつい顔をして「好きになった人と同化したいっていうのは、誰でも思うことだろう?」なんて真顔で言われると、さすがラテンの熱い血が流れている、と、こっちも真顔で思ってしまう。


彼曰く、動物性のものを徹底して口に入れないでいると、血の気が多い人も落ち着く。
彼がその大好きだった彼女と別れて後もそのままベジタリアンでいる理由もそこにあるという。
・・・が。ベジタリアンでいても、十分血の気がある・・・というか、興奮しやすい彼が、お肉を食べたらどうなってしまうんだろう、と、ひそかに彼がベジタリアンであることをうれしく思った。






この二人は私が知っているベジタリアンでも顕著なひとたち。しかも友達としても近しい・・・あるいは近しかった。


このほかに「お肉が嫌いだから」という理由で肉類のみ食べないベジタリアンがドイツのご近所さんのマヌ。
でも、彼女がバーベキューパーティを開くときにはちゃんとお肉も用意されている。でもその他に、ドイツでは比較的高価な魚も、あるいはチーズの固まりもアルミニウムフォイルに包まれて火にかけられる。・・・マヌはとてもフレンドリーなのだ。
彼女の影響か、血か、お嬢さんもお肉を食べない。まだ14歳くらいだというのに、体がしっかり育つんだろうか、などといらぬ心配をしてしまう。


Wolleの姪っ子のマヤが私に一言漏らしたことがある。
「マヌもね、○○(お嬢さんの名前、忘れちゃった)もね、お肉を食べないんだよ。おかしいね。
おいしいのにね」と。
バーベキューでは、子供がいればソーセージを必ず用意し、それしか食べない10歳のマヤにとって、お肉を食べないということは「不思議なこと」以外の何ものでもないのかもしれない。




もう一人。かわいいベジタリアン。
ズーレンの場合:
彼は13歳。男の子の割りに、比較的やんちゃなことをしない彼。なぜかキッチンが大好き。
最近「ベジタリアン」なるものに興味を持ち、自分も試してみることに・・・。
去年まではバーベキューをするときなんかに、自分の手料理の肉料理を用意したりしていたのに、今年はなぜかケーキを用意してきた。
「どうしてケーキなの」って聞いたら、「僕はベジタリアンになったんだ」とのこと。


私たちの結婚ーパーティにも素敵なケーキを焼いてきてくれた。その彼がお手伝いに頼まれたのが夕食のブュッフェの豚肉を切り分ける係り・・・。
彼のベジタリアン転向を聞いていた私たちはみんなで大笑いした。
彼とて肉類が嫌いでベジタリアンになったわけじゃないのに、食べられないおいしそうなお肉を他の人のために切り分けるのは、さぞかしつらかろう、と。






ところで、日本人でベジタリアンという人はほとんど知らない。
私が知っているのはたった一人。彼女はお肉を噛む感触が嫌いで肉を食べない。


ただ、例えばここドイツと比べると、日本人は一般的な日本食の生活をしていれば、お肉の摂取量は極端に少ない。
特にステーキなんかをわざわざ食べに行かなければ、口いっぱいにお肉をほおばる、なんていうことはめったにないはず。
焼肉なんかでも、必ず食事の数割は野菜を食べていると思う。


ちなみにドイツでよくするバーベキュー。
ステーキと、ソーセージと、ハンバーグ。
・・・え?それだけ?
なんて事もある。
私が用意するときにはあれこれみんなも食べそうな野菜を一生懸命用意したりもする。でも、たいていは残る。
これこれ、食事にはバランスってものがあるでしょ。とか、なんとか言いたくもなるけど、それ以前に、お肉ばっかり口に入れてたら逆に満足しないんじゃないかとも思うけど。


こうしてみると、日本人ってずいぶんたくさん「肉以外の食品」を食べるものだな、なんて思う。
大豆の加工品、魚介類、これだけでも食事の何割かを占めるんじゃないかと思う。




さて、ベジタリアンの話に戻ろう。
私が知っているベジタリアンの人たち。
正直に言うと癖のある人が多いように感じる。
自分の食生活にまで主義を取り入れるくらいだから、他のことだってこだわるに決まってる。
自分の意思や意見がはっきりしていて、概して周囲の人の意見を受け入れることが少ない。
まさに、わが道をゆくタイプだ。
まぁ、わが道をひたすら歩いてでもいない限り、世にある肉類を無視する、などということは起こらないと思うけれど・・・。


が。
今ひとつ気づいたことがある。私の知っているベジタリアンたち、まだ少年のズーレンを除いて、ほぼ全員喫煙者だ。アルコールもしっかり摂取する。
彼ら。健康に留意してベジタリアンでいるわけではなさそう・・・。






最後にもう一人。
自称ベジタリアンの、なんちゃってベジタリアン・・・だと私は思うんだけど。
ホンジュラスで同じダイブショップで働いていた女性。


あるとき、当時最近できたおいしいバーガー屋さんのハンバーガーを私がほおばっていると、隣に彼女。
「バーガーなんて食べてるの。ああ、気持ち悪い。そんな不健康な食べ物はないのよ。私はベジタリアンなの。あなたも私みたいに、少しは健康に留意したらどう?」


かくいう彼女がすすっていたものは、インスタントのカップヌードル・・・。
ベジタリアンを誇る彼女は、インスタントのヌードルにどれくらい動物性のものが入っているのか知らなかったんだろうか。私のおなかに入っていくバーガーのほうが、彼女がすすっているものよりもはるかに健康的だと思うけど・・・。

なんだか、それを聞いて彼女のことがちょっとかわいそうになったけど、かわいそうすぎて「でも、おいしいよ」って言うだけにしておいた。
彼女はいまだにベジタリアンで、インスタントヌードルをすすっているんだろうか・・・。






各人考え方もあるし、主義もあるだろうし、好みだってある。
でも、例えば食材のうち数%を自分の世界から排除する、という行為は、食事だけにとどまらないんじゃないだろうか。
そういう好み、あるいは趣向を取り入れる人は、気づかないうちに自分の周囲にいる人の数%を排除して生きてはいないだろうか。自分のできること、するべきこと、すべてにおいて数%排除、あるいは見ない振りをして生きていたら、自分の可能性や世界を自ら狭めることになりはしないんだろうか。
私のような欲張りは、その数%を「試してみなくちゃもったいないでしょ」なんて思ってしまう。






肉、肉、と野菜よりも肉のほうが好きなように聞こえるかもしれない。
確かに私はお肉が大好き。
でも先週末、少し離れたところに住む友達の家へ泊りがけで遊びに行ったときのこと。


彼らは大量のビーフステーキとソーセージを用意して待っていてくれた。
やっぱりステーキはポークよりビーフよね、なんて、大喜びで食べていたのだけれど。翌日も、その翌日も、ステーキとポテトだけの食事。


気がついたら、お肉に飽きていた。もういいよ、お肉。なんか、野菜ないの、ポテト以外の・・・。普段大好物のチーズも、朝食の卵も食欲が出ない。これだって動物性のもの。


ああ、お肉ってお野菜と一緒に食べるからおいしいのよね。
お野菜だって、お肉と一緒に食べるからおいしい。


おいしければ、お肉だってお野菜だっていいのだ!・・・というのは主義にはならないでしょうか。



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