今年私は12月中旬からWolleと一緒に旅行をしている。
今いるのはフィリピン。
2016年12月26日、私はPalawan(パラワン)島のEl
Nido(エルニド)からBusuanga(ブスアンガ)島のCoron(コロン)に移動するために半日海の上で過ごした。
2004年12月26日にピピ島で津波が起こってから12年。
12年後のその時間、近くを通り過ぎた台風の影響で少々荒れ気味の波にもまれながら、私の内は静かだった。
12年経ったからといってあの日の記憶が薄れているわけではない。ただ、思い出した時の心拍の変化は減った気がする。そして少しずつ、ほかの記憶と色合いが同化し始めている気がする。
言い方がおかしいだろうか。今でも体内にアドレナリンが高まると、心拍と呼吸の変化で自動的に恐怖を感じる。まるで、あの瞬間に感じるはずだった恐怖が小分けに出てくるみたいに。
その理由が楽しいことであっても、実際に怖いことであっても起こる。実はこれには困っているのだが、自動的に反応してしまうものはどうしようもない。
去年までは、12月26日にピピ島にいないでいることが少々不安でもあった。旅行に出るということを決めた時、その気持ちを振り切るように決めた。今でも少し12月26日にピピ島にいなかったことを後ろめたく思う気持ちはある。
あの日に消えてしまったあまりにもたくさんの命。あの日を境になくなってしまった数々の美しいものたち。
心の中以外のどこを探してももうみつからない。
それでも、心の中で見つけられれば十分じゃないかという気もする。この世界で不変でいるものなんて何もないのだから。
来年のあの日、私はどこにいるだろう。10年後のあの日には。
ただ、どこにいても、12月26日、私はあの日のことを思い、ピピ島のことを思うだろう。
それは痛みだけではない。
あの日に消えずに残った命。そして消えそうだった命のために奔走した人々。そしてその消えずにすんだ命のために流れた喜びの涙。
今12年という時間の長さと短さを感じる。
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