2017/01/11

2016年12月26日



今年私は12月中旬からWolleと一緒に旅行をしている。
今いるのはフィリピン。
 20161226日、私はPalawan(パラワン)島のEl Nido(エルニド)からBusuanga(ブスアンガ)島のCoron(コロン)に移動するために半日海の上で過ごした。

20041226日にピピ島で津波が起こってから12年。

12年後のその時間、近くを通り過ぎた台風の影響で少々荒れ気味の波にもまれながら、私の内は静かだった。


12年経ったからといってあの日の記憶が薄れているわけではない。ただ、思い出した時の心拍の変化は減った気がする。そして少しずつ、ほかの記憶と色合いが同化し始めている気がする。
言い方がおかしいだろうか。今でも体内にアドレナリンが高まると、心拍と呼吸の変化で自動的に恐怖を感じる。まるで、あの瞬間に感じるはずだった恐怖が小分けに出てくるみたいに。
その理由が楽しいことであっても、実際に怖いことであっても起こる。実はこれには困っているのだが、自動的に反応してしまうものはどうしようもない。


去年までは、1226日にピピ島にいないでいることが少々不安でもあった。旅行に出るということを決めた時、その気持ちを振り切るように決めた。今でも少し1226日にピピ島にいなかったことを後ろめたく思う気持ちはある。

あの日に消えてしまったあまりにもたくさんの命。あの日を境になくなってしまった数々の美しいものたち。
心の中以外のどこを探してももうみつからない。

それでも、心の中で見つけられれば十分じゃないかという気もする。この世界で不変でいるものなんて何もないのだから。


来年のあの日、私はどこにいるだろう。10年後のあの日には。

ただ、どこにいても、1226日、私はあの日のことを思い、ピピ島のことを思うだろう。
それは痛みだけではない。

あの日に消えずに残った命。そして消えそうだった命のために奔走した人々。そしてその消えずにすんだ命のために流れた喜びの涙。


12年という時間の長さと短さを感じる。

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