先月の話になる。
仕事の契約をしている店から電話があった。
「Yasko、日本人が来て君を探してる」
あれ、今日は看板も出してないはずなのにどうしてだろう。
そんなことを思いながら電話を代わる。
すると、「あの~」なんて、むしろおずおずとした話し方。「覚えてないかもしれないんですけど・・・10年以上前に・・・」
なんて話を聞いているうちに声で気がついた。
17年前中国の南寧のドミトリーで知り合い、一緒にベトナムまで行き、さらにその後バンコクで会い、その後に一緒にピピ島に来た友達。
そのころはまだ、Eメールですらそれほど普及しておらず、連絡先も現住所とか実家の住所のやり取りだった。
でも、極々、本当に極々たまに連絡を取り合っていた。でも、最後に連絡したのはすでに4,5年前。
その彼女が13年ぶりにピピ島に遊びに来た。
・・・というよりも、私に会うのが目的で来てくれた。
彼女は未だに時々バックパックを背負って出かけているらしい。初めて会ったころとほとんど変わらない格好。
私のようなバックパッカーを中退してしまったような者からは、なんだかまぶしく見える。
人と旅行をするのがそれほど好きではない私は、旅行中に他の人と数日以上一緒にいることがないのに、彼女とは一緒にいても楽しかった。
南寧のドミトリーにナイフ忘れてきた、とか、ベトナムの列車をホームで20時間くらい待ったよね、とか、私がおなかを壊して高熱が出る直前に、二人でエビを食べたんだ、そのエビ、1匹だけお皿に乗って出てきた、とか・・・そのときの話に尽きることはない。
数えてみると、そのころ私たちは23歳!!!
なんということだろう。もうあれから17年も経ってしまった。
23歳。
周りのみんながおしゃれにこだわって、お化粧に時間をかけて、ボーイフレンドに夢中になっていたころ、私たち二人は異臭を放つ直前のTシャツを着、20Kgもあるバックパックを背負い、そのころ自由旅行が解禁になって数年しかたっていなかったベトナムの片田舎のホームで、来るのか来ないのかさえ怪しい列車を20時間も待っていた。
バックパックの中に入っているのは、数枚の着替えと大量のカメラのフィルム、英語の辞書、ビキニとトレッキングシューズ、寝袋、黒い大型のゴミ袋、強力な、ダックテープと呼ばれるガムテープに蚊取り線香などなど。そして、ちょこっとの現金とパスポート。最後に、旅のすべてが書き込んである雑記帳。
今の私にとって、23歳のころの私がとてもうらやましい。
ベトナムの駅のホームの記憶はこんなに鮮明なのに、気がついたら10年単位で数えられそうな年月が経ってる。
彼女はすでに結婚して12年。
私はダイビングの仕事を始めて12年。
その間に、どちらも大変な思いをし、泣きながら、怒りながら、それでも笑いながら一生懸命生きてきた。
こんなに久しぶりに、なにも飾らずに話をし、旅行の「自慢話」ではなく「思い出話」ができたのはいつ以来なんだろう。
次に彼女に会えるのはいつになるんだろう。
今回は彼女が、いるかいないかわからない私をピピ島まで訪ねてきてくれた。次回は私が北海道の北端まで彼女に会いに行く番だろうか。
あるいは、また一緒にどこかの知らない街を一緒に歩けることがあるんだろうか。
私たち二人は、とても似ているとは言いがたい。しいて言えば、おそらくどちらも比較的人見知りをする・・・かな。
物理的にも、性格もぜんぜん違っている私たちだけど、私にとって彼女は大切に思い、折々に思い出す友達。
こういう友達はきっと23歳のころにはいなかった。
23歳だった私たち、記憶の中ですらきらきらしているけれど、もしかしたら、17年経った今のほうが、お互いにずっとステキになっているのかもしれない。少なくとも、今回会った彼女はすごくステキだった。
時々このブログを読んでくれているという彼女へ。
あんまり連絡を取らなくてごめんね。これからはたまにメッセージを送るようにします。
仕事の契約をしている店から電話があった。
「Yasko、日本人が来て君を探してる」
あれ、今日は看板も出してないはずなのにどうしてだろう。
そんなことを思いながら電話を代わる。
すると、「あの~」なんて、むしろおずおずとした話し方。「覚えてないかもしれないんですけど・・・10年以上前に・・・」
なんて話を聞いているうちに声で気がついた。
17年前中国の南寧のドミトリーで知り合い、一緒にベトナムまで行き、さらにその後バンコクで会い、その後に一緒にピピ島に来た友達。
そのころはまだ、Eメールですらそれほど普及しておらず、連絡先も現住所とか実家の住所のやり取りだった。
でも、極々、本当に極々たまに連絡を取り合っていた。でも、最後に連絡したのはすでに4,5年前。
その彼女が13年ぶりにピピ島に遊びに来た。
・・・というよりも、私に会うのが目的で来てくれた。
彼女は未だに時々バックパックを背負って出かけているらしい。初めて会ったころとほとんど変わらない格好。
私のようなバックパッカーを中退してしまったような者からは、なんだかまぶしく見える。
人と旅行をするのがそれほど好きではない私は、旅行中に他の人と数日以上一緒にいることがないのに、彼女とは一緒にいても楽しかった。
南寧のドミトリーにナイフ忘れてきた、とか、ベトナムの列車をホームで20時間くらい待ったよね、とか、私がおなかを壊して高熱が出る直前に、二人でエビを食べたんだ、そのエビ、1匹だけお皿に乗って出てきた、とか・・・そのときの話に尽きることはない。
数えてみると、そのころ私たちは23歳!!!
なんということだろう。もうあれから17年も経ってしまった。
23歳。
周りのみんながおしゃれにこだわって、お化粧に時間をかけて、ボーイフレンドに夢中になっていたころ、私たち二人は異臭を放つ直前のTシャツを着、20Kgもあるバックパックを背負い、そのころ自由旅行が解禁になって数年しかたっていなかったベトナムの片田舎のホームで、来るのか来ないのかさえ怪しい列車を20時間も待っていた。
バックパックの中に入っているのは、数枚の着替えと大量のカメラのフィルム、英語の辞書、ビキニとトレッキングシューズ、寝袋、黒い大型のゴミ袋、強力な、ダックテープと呼ばれるガムテープに蚊取り線香などなど。そして、ちょこっとの現金とパスポート。最後に、旅のすべてが書き込んである雑記帳。
今の私にとって、23歳のころの私がとてもうらやましい。
ベトナムの駅のホームの記憶はこんなに鮮明なのに、気がついたら10年単位で数えられそうな年月が経ってる。
彼女はすでに結婚して12年。
私はダイビングの仕事を始めて12年。
その間に、どちらも大変な思いをし、泣きながら、怒りながら、それでも笑いながら一生懸命生きてきた。
こんなに久しぶりに、なにも飾らずに話をし、旅行の「自慢話」ではなく「思い出話」ができたのはいつ以来なんだろう。
次に彼女に会えるのはいつになるんだろう。
今回は彼女が、いるかいないかわからない私をピピ島まで訪ねてきてくれた。次回は私が北海道の北端まで彼女に会いに行く番だろうか。
あるいは、また一緒にどこかの知らない街を一緒に歩けることがあるんだろうか。
私たち二人は、とても似ているとは言いがたい。しいて言えば、おそらくどちらも比較的人見知りをする・・・かな。
物理的にも、性格もぜんぜん違っている私たちだけど、私にとって彼女は大切に思い、折々に思い出す友達。
こういう友達はきっと23歳のころにはいなかった。
23歳だった私たち、記憶の中ですらきらきらしているけれど、もしかしたら、17年経った今のほうが、お互いにずっとステキになっているのかもしれない。少なくとも、今回会った彼女はすごくステキだった。
時々このブログを読んでくれているという彼女へ。
あんまり連絡を取らなくてごめんね。これからはたまにメッセージを送るようにします。
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