2016/04/21

「何者」 朝井リョウ

6ヶ月ぶりに日本の実家に戻った。・・・というのに、今回の階段文庫にはあまり魅力的な本がない。


も~~~~。ここ4ヶ月、日本語の本を読まないで我慢してきたのに~~。どうしてここに読む本がないの~~??次の半年間の宿題としてドイツから持ち帰ったドイツ語の本を読めってこと~~~?
でも日本にいる間くらいは日本語の本読んでもいいよね、いいよね。
あ、そうだ。ドイツで日本語を教えてた生徒さんに必要な教材を買うために本屋さんに行かなくちゃいけないんじゃない?ワタシ?

と、いうことで、早速大型書店へ。


平積みになっている文庫本の中からざざっと数冊。
その中に入った1冊がこれ。
「何者」
帯に直木賞受賞作って入っていたから。


朝井リョウ・・・知らないなー。
作者紹介を読んでみると。・・・あ、読んだことはないけどタイトル知ってるっていうのが何冊かある。へー、若いんだ。平成生まれだー。ちょっと若すぎるかしら。なんせ「蛇にピアス」は私には若すぎた気がするから・・・。


作家が若いというのがマイナスなのかどうかわからない複雑な気分と、帯の直木賞受賞作という触れ込みの期待と、ひとつずつ片手に持っているような気分で表紙をめくる。


最初の数十分。
この本を読み進めるべきかどうか、少々迷いながら読み進む。
正直に言ってしまうと、わからない内容があるのだ。

私はフェイスブックは使っているけれど、ツイッターを使ったことがない。そして、この作品にはツイッターの書き込み・・・あれは書き込みというんでしたでしょうか・・・と思われるものがたびたびはさまれる。
その書き込みに使われる言葉は、作品の地の文とは文体が違う、いうなればインターネット上の書き込み用の言葉が使われている。
自分がそういう言葉が使えないせいなのか、ツイッターを使わないせいで読み慣れないせいなのか、ひじょうううううに読みにくい。
ああっ、なんなの、これ、もう!
って、気分だ。

告白。
ツイッター書き込み部分の数行、初めのうちは飛ばして読みました。

が、読み進んでいくうちになんとも言えない学生の頃の気分がよみがえる。
友達のうちに・・・というか、友達の「巣」に近いようなワンルームに溜まり、泊まり込みで飲む。一緒に時間を過ごしているはずなのに、いつの間にか各人の間にあるような、ないようなわだかまり。
こんな狭い人間関係を、私たちは表も裏も自分の中に収めながら数年間過ごした。
そして、それらすべてが今となっては二度と手に入ることのない、苦笑を交えながらの思い出となっている。

この作品の登場人物たちと私自身の「あの頃」と決定的に違うこと。
私たちの時代・・・こんな言葉を使って私の学生時代を表現するときが来るとは・・・・には、人が人に表現できるのは「表」しかなかった。
言い方を変えると、想いの「裏」部分を発散させる場所がなかった。
自分ではない人のふりをして、どこか違う場所で裏の気持ちを発散させるなんてことはしたことがなかった。
これは、当たり前のことなんじゃないのかな。
それとも、こんな風に思うのは私がおばちゃんになっている証拠になってしまうんだろうか。

いやいや、それでも、言わせてもらおうか。
裏の気持ち、言い換えるならば「負の感情」を自分自身の中でどう折り合いをつけていけるかというのは、年を重ねた人だけでなく、若いころにも同じだけ大切なこと。
自分自身の「負」をこっそりどこかで好き放題に発散して、自分の目の前にいない誰かを不快にさせたり、傷つけたりするなんて、醜いという言葉でしか表現のしようがない。

な~んて、偉そうなことを書いているけれど、私自身、この負の感情をうまくコントロールできずに人を不快にしていることが頻繁にある。
自分で気づくだけでままあることなのだから、気づかずに傷つけていることなんてしょっちゅうだろうと思う。
気をつけねば・・・。でも、どうやって??いやいや、それがわかれば私は聖人ではないか。
とつこうつ悩みながら生きているから、 生きていることに意味があるのだと・・・・思いたい。


ところで、この作品に出てくるような登場人物のような若者ばかりなわけはないと当たり前のようにも思う。
この作品が私の心に引っ掛かったのは、読者である私自身も持っている負を、うまく作品としてまとめてあるなぁ、というところだ。

さらに、人間の醜い部分を取り上げて書き上げてあるのに、なぜか読み終わった後にいやな気持にならないのも不思議だった。

若い作家だ、といって敬遠したりしないで、これからは喜んで手に取りたいなぁ、なんても思う。

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