2014/01/07

2014年 明けましておめでとう

いやいや、あけましておめでとう、というには随分と日がたってしまったけれど・・・。


今回の年末年始は、普段と違う仕事の仕方をしたせいか、なんだかちょっと疲れた。
普段自分ひとりで好き勝手にスケジュールを立て、好き勝手に海に入っている私としては、誰か他の人と協力、あるいは手伝いをする、というのは困難を極める。


と、しょっぱなから愚痴のようなことを書いてしまったけれど、2014年、明けてみれば、最初からうれしいことだって、すでにいくつもある。


私にとって2013年は体力、気力ともに少し低迷気味の1年だった気がする。
なにをしようとしてもうまくいかなかったり、できるはずのことができなかったり・・・。


でも、そんな年やそんな時期って誰にだってあるはず。たまたま2013年は私がそんな風に感じてしまっただけ。


2014年、一体どんな年になるのか、まだまだ見当もつかないけれど、楽しい年になりますように。


みなさん今年もよろしくお願いします。

遠くても大切な友達

先月の話になる。


仕事の契約をしている店から電話があった。
「Yasko、日本人が来て君を探してる」
あれ、今日は看板も出してないはずなのにどうしてだろう。
そんなことを思いながら電話を代わる。



すると、「あの~」なんて、むしろおずおずとした話し方。「覚えてないかもしれないんですけど・・・10年以上前に・・・」
なんて話を聞いているうちに声で気がついた。



17年前中国の南寧のドミトリーで知り合い、一緒にベトナムまで行き、さらにその後バンコクで会い、その後に一緒にピピ島に来た友達。





そのころはまだ、Eメールですらそれほど普及しておらず、連絡先も現住所とか実家の住所のやり取りだった。


でも、極々、本当に極々たまに連絡を取り合っていた。でも、最後に連絡したのはすでに4,5年前。
その彼女が13年ぶりにピピ島に遊びに来た。
・・・というよりも、私に会うのが目的で来てくれた。





彼女は未だに時々バックパックを背負って出かけているらしい。初めて会ったころとほとんど変わらない格好。
私のようなバックパッカーを中退してしまったような者からは、なんだかまぶしく見える。







人と旅行をするのがそれほど好きではない私は、旅行中に他の人と数日以上一緒にいることがないのに、彼女とは一緒にいても楽しかった。




南寧のドミトリーにナイフ忘れてきた、とか、ベトナムの列車をホームで20時間くらい待ったよね、とか、私がおなかを壊して高熱が出る直前に、二人でエビを食べたんだ、そのエビ、1匹だけお皿に乗って出てきた、とか・・・そのときの話に尽きることはない。





数えてみると、そのころ私たちは23歳!!!
なんということだろう。もうあれから17年も経ってしまった。



23歳。
周りのみんながおしゃれにこだわって、お化粧に時間をかけて、ボーイフレンドに夢中になっていたころ、私たち二人は異臭を放つ直前のTシャツを着、20Kgもあるバックパックを背負い、そのころ自由旅行が解禁になって数年しかたっていなかったベトナムの片田舎のホームで、来るのか来ないのかさえ怪しい列車を20時間も待っていた。


バックパックの中に入っているのは、数枚の着替えと大量のカメラのフィルム、英語の辞書、ビキニとトレッキングシューズ、寝袋、黒い大型のゴミ袋、強力な、ダックテープと呼ばれるガムテープに蚊取り線香などなど。そして、ちょこっとの現金とパスポート。最後に、旅のすべてが書き込んである雑記帳。





今の私にとって、23歳のころの私がとてもうらやましい。
ベトナムの駅のホームの記憶はこんなに鮮明なのに、気がついたら10年単位で数えられそうな年月が経ってる。




彼女はすでに結婚して12年。
私はダイビングの仕事を始めて12年。


その間に、どちらも大変な思いをし、泣きながら、怒りながら、それでも笑いながら一生懸命生きてきた。


こんなに久しぶりに、なにも飾らずに話をし、旅行の「自慢話」ではなく「思い出話」ができたのはいつ以来なんだろう。


次に彼女に会えるのはいつになるんだろう。
今回は彼女が、いるかいないかわからない私をピピ島まで訪ねてきてくれた。次回は私が北海道の北端まで彼女に会いに行く番だろうか。
あるいは、また一緒にどこかの知らない街を一緒に歩けることがあるんだろうか。


私たち二人は、とても似ているとは言いがたい。しいて言えば、おそらくどちらも比較的人見知りをする・・・かな。
物理的にも、性格もぜんぜん違っている私たちだけど、私にとって彼女は大切に思い、折々に思い出す友達。


こういう友達はきっと23歳のころにはいなかった。
23歳だった私たち、記憶の中ですらきらきらしているけれど、もしかしたら、17年経った今のほうが、お互いにずっとステキになっているのかもしれない。少なくとも、今回会った彼女はすごくステキだった。


時々このブログを読んでくれているという彼女へ。
あんまり連絡を取らなくてごめんね。これからはたまにメッセージを送るようにします。



 

2013/12/19

ピピ島の日本人ダイビングインストラクター ~モスキートダイビング・ヒッポダイバーズ~

ピピ島でダイバーとして働き始めてから12年。
津波の後島にもどって来てからそろそろ8年目。

2011年までモスキートダイビングで働いていたものの、理由あってヒッポダイバーズへ移動。そして、今年はフリーランスのインストラクターとして働いている。

モスキートダイビングは以前から日本人が多く集まる店だった。
でも私がやめた年から日本人スタッフはいない。
日本人マーケットが小さくなったことが主な理由らしい。

が。
それなのに未だにモスキートやヒッポに日本人の方から予約の連絡が入る。
もちろんフリーランスだからどこの店にでも働きに行くんだけど、年末年始なんかの忙しい時期には、どこかの店に一人のダイバーのために仕事を引き受けるということはしてない・・・・というよりも、できない。
すでに予約を入れてくださっている方と、ピピ島の日本人ショップのすべての日本人ダイバーを2人のインストラクターで連れて行くのだから、ショップやボートがばらばらでは無理なのは当然。

連絡を下さる方にはもうしわけないなぁ、と思うんだけれど、連絡をもらった店は店で、あっちにYaskoがいるから直接連絡しろ、なんて親切なことを言ってはくれない。
結局そんな形でうやむやに予約を入れられなかったダイバーの人たちは一体どうするんだろう。

日本人スタッフ希望ということは、英語でのブリーフィングや説明を聞き取る自信のない方だと思うのに・・・。

だいたい、すでに日本人もいないし、これから日本人スタッフを入れる気もないのに、どうしてにほん語のウェブサイトを削除しないのかも不思議だけれど。

もしも、ピピ島のダイビング情報を探していてこのブログにぶつかった方。
今ピピ島にいる日本人スタッフは二人です。
もし直前ではあっても、予約はできます。Eメールをください。
yasukoukai@gmail.com
確実に返信します。・・・が、島のインターネット状況によっては数日かかることもあります。下記のウェブサイトから連絡も可能です。
http://phiphilife.jimdo.com/

なお、お急ぎの方はお電話でどうぞ。
+66 (0)822886780

まぁ、私が店を移動しなければこういう問題は起きないんですけどね。

 

2013/12/13

そろそろ年末

今年もタイに戻って早1ヶ月。
毎年のことながら12月の上旬にはラオスにビザランにも行って来た。

今年のピピ島。
去年よりもさらに若い人が増えてる気がする。・・・・それとも私が去年より1年分年を取ったからそう感じるのかな・・・?
11月はハイシーズンとは言いながら雨が多かった。1日はしっかり嵐だったし・・・。
でも12月に入ってからお天気続き。雨が降ったとしてもスコール。


そして、毎年のことながら12月は島が混み過ぎていなくてすごしやすい。
クリスマスを家で過ごしたい人たちはすでにホリデーを終えていて、クリスマスにホリデーに出る人たちはまだ出かけてきていない、というポカッと穴が開いたような時期が2週間ほどある。

こういうときはやっぱり仲間内で楽しむ時間になる。


私は今年フリーランスで仕事をしているので、どこかの店に所属しているわけでもなく、仕事の話を全く抜きにしたような友達ばかり。
この辺に友達がいそうだな、なんて思われる「いつもの」バーに行けば、いつでも誰かしらいる。


さて水中。
シーズン始まって早々、ダイバーに人気のエビなんかも見つかったり、見ることの難しいカジキを見た人なんかもいて盛り上がっている。


拠点にする店がないせいもあって、このブログの更新が遅れ気味にもなってしまうけれど、フリーランサーで働いていると、自分の所属する店以外の人たちとも仲良くなって、これはこれで楽しい。

クリスマス近くなったらWolleの幼馴染や仲良しが島に遊びに来る。
年末近くなったら毎年島に遊びに来るお客さんたちも帰ってくる。

さ、みんなが来る前に少し休憩して、その後のクリスマス、年末に備えようかな。

2013/11/28

なぜここにいるの?

最近の私の旅行は、友人を訪ねる、という目的のことが多い。よって、観光を目的にした旅行とは少し違うことが時々起こる。

久しぶりにバリに来たのも、モルディブで一緒に働いていたMarioに会うため。
でも、今回はバリの伝統的なダンス、ケチャックダンスなんかも見に行ったし、比較的観光地にもいってみた。

Marioは、私が遊びに来たとはいっても、自分の仕事もしなくちゃいけないし、夜はくたくただし、と毎日遊んでくれるわけではない。
私だって、誰かがピピ島に遊びに来ても、彼らの滞在期間中一緒にいてホリデーを楽しむわけにはいかないから、それと同じこと。
でも、それでも、せっかくYaskoが来てるんだから、と、ちょこちょこと連れ出してくれる。

ちょこちょこと連れ出してくれるのはいいんだが、時々とんでもないところで、一体私はどんな顔をしてここにいればいいんだろう、なんて思ってしまうときもある。

その際たるもの。
インドネシア・ポーランド ビジネス振興交流会・・・・のようなもの。
参加者は、バリで自分のビジネスを持っているポーランド人、バリの政府の経済担当者、そして普段はジャカルタに滞在しているポーランド大使館の経済担当の大使。
そして、私。

数日前からMarioがこの交流会のことで他のポーランド人たちと連絡を取り合っていたのは知ってる。だから、その日の昼、私はなにをしようかなぁ、なんて思っていた。
それが、前日Marioの店のお客さんと待ち合わせをしたレストランに大使が食事をしていた。
お客さんとの話も終わり、Marioと私は、その大使が食事をしているテーブルに。

私たちも食事をしながら、なんやかんやと話をしていると、いつの間にか私も翌日の交流会に出席することになってしまった。
「君もMarioと一緒に来るといい。みんなでランチを食べるんだよ。もう今日ここで一緒に食事をしてるんだから、友達じゃないか。」
という、大使の一言で・・・。
でも、友達・・・・・って・・・。

はたして。
末席ながら交流会とランチに参加させていただいた。

まずはじめに、これはこういうミーティングの場を持つ以上しなければならにことなんだろうが、何人もの人が挨拶。ちなみにMarioまでバリで最大のポーランド人ビジネスオーナーとして挨拶・・・。

そして、インドネシアとポーランドを世界規模で比較、検証したプレゼンテーション。

このプレゼンテーション。
スクリーンに出す画像に出てくるのはポーランド語だが、英語でのプレゼンテーションだったので、私にとっては大いに興味深かった。
正直に言って、今までインドネシアとポーランドをつなぎ合わせて考えたことはほとんどない。まぁ、国旗の柄が正反対だなぁ、と、わかんなくならないのかなぁ、と、そんなことくらいしか考えたことがない。
知ってましたか?ポーランドでは学生さんたちの87%が外国語を話すことができるんです。・・・インドネシアの割合については言ってなかったけど。

挨拶とプレゼンテーションの後はまさに交流会。
名刺を交換し合ったり、テーブルを移動したり。
新しく作った名刺を私も持っていたけど、渡す意味はなさそうなので、私の名刺の出番はない。


・・・というか、こんなとき。
私は一体何をしているんだろう、とちょっとだけ笑い出したくなる。
なぜ日本人の私がこの交流会に出席してるんだ。
数年前にモルドヴァという国でテレビに生放送で出たときにもそうだったけど、一体私は何をしてるんだ。

こういうのを「後学のため」と言うのかしら。
こういうことが後から役に立ったという記憶はほとんどないけど。


でも、今回大使の人とその秘書の人と接して思ったことがある。
仕事柄なのか、立場柄なのかわからないけれど、大きな仕事をするタイプの人って言うのは、他の人に分け隔てをしないもんだ、と。
モルディブにいたときのお客さんたちの中にも時々こういう人たちがいたけど、最初から和やかにフレンドリーで、逆に言うと、後ろに背負っているものの大きさを感じさせる。
こういうのを器が大きいとか言うのかしら。



どうして私、こんなところにいるんだろう。
って、くすくす笑ってしまうようなとき、こういうときを私はちょっと楽しんでる。
次にこんなことがあるのはいつかな。


 

2013/11/27

Where are you from??

5年ぶりのバリ島、ギリトラワンガン島。
こう何度も訪れているのにこんな風に言うのも少々心苦しいのだが、相変わらずここは男性がうっとうしい。
道を50mも歩けば、必ず片言の日本語で話しかけられる。

「コンニチハ」とか「ニホンジン、ニホンジン」位なら笑って許せる。
「カワイイネー」、「キレイ、キレイ」ほどになると彼らのではなく、私の歯が浮きそうになる。
さらに上級者で「コンバン、ヒトリ?」、「ヤラセテ」などになると、ここに訪れている日本人女性の品性に情けなくさえなる。

以前このブログにも書いたことがあるけれど、日本人女性にやたらと話しかけてくるバリ人男性の目的は、たいてい私たちの財布。これは数人のバリ人男性の口からはっきりと聞いたことがある。
ただ、面白いことに彼らは英語を話さない日本人がお好みらしく、こっちから英語でドスドス話すと、むしろ申し訳なさそうに去っていく。
「英語が達者な日本人女性の財布はカラに近い」という闇情報でもあるんだろうか。この情報、私に限って言えば外れてなくもない。

さて、ギリ・トラワンガン。バリ島よりも日本語の達者な男性が少ないらしい。頻度は同程度にしても、ありきたりの「コンニチハ」、「アナタ、ナマエ」くらいしか話しかけられない。

長年培った旅行経験で、ぼやっと歩いているときに日本語で話しかけられても、私自身が興味のないものには、それを完全に無視することができる私にとっては大して苦にもならない。

このスキル・・・これはなんと言おうと「スキル」です・・・・身につけるのに英語と同程度の時間がかかった。
誰とでも話ができれば、一人で旅行していてもそれほど会話不足を感じず、「誰かと話す」ということに飢えていない。・・・よって、不要で無用な「コンニチハアナタゲンキ攻撃」を知らんぷりできる。
が、旅行に必要な最低限英語で一人旅行をしていると、日本語以外でそれほどいらぬおしゃべりができず、隣でかたまって楽しそうに騒いでいる非日本人グループにはさまれ、一人でいることになる。・・・・・・すると、何かしら自分に理解可能な言語で話しかけてくる人に反応してしまう・・・というわけだ。これは私の経験を省みていえること。
だから、このスキルは英語と同程度のスキルといえる。


おっと、前置きが長くなりました。

さて、一人でフラフラしていると、ちょっとしたことで人と話す機会が頻繁にある。
この場所の情報だったり、ゲストハウスの隣の部屋の人だったり・・・。

そして気がつくこと。
現地の人の二言目は必ず「Where are you from?」だということ。
一方旅行者同士では、よほど話が進まない限りこの質問は出てこない、ということ。

一体この違いはなんだろうか。
観光業に携わっている人は、どこの国から来る人が多いのか興味があるんだろうか。
あるいは私も仕事をしているときにはそんな風なんだろうか・・・・いやいや、私は個人のことを必要以上に聞かないことにしているから、それはしてないはず。
まぁ、話の取っ掛かりを作るにはちょうどいい質問で、それほど踏み込んだものでもないし、しかも絶対にみんなが答えを持っているし。・・・と、悪いことは何もなく、誰も傷つかないのは確か。


だが。
1日に20回この質問をされてみるといい。しかも、道端ですれ違うだけの人から・・・。


その人から聞かれるのが初めてだとわかっていてもげんなりする。そして、それを通り越すと「Nowehere」とか「インドネシア」とでも答えたくなる。

そしてそしてそれをさらに超えると・・・・その質問を無視して会話を進めるという、我ながらひどい行為に出てしまう。

別に自分が日本人だということを隠したいわけではない。相手だって私が何人であろうが構わないはず。

ただ、私が日本人だと言ったときに始まる、日本語クラス・ゼロ初級の会話がたまらなくつまらないのだ。

――コンニチハ。

――こんにちは。

――ナマエナニ。

――やすこです。

――ヤスコデス。ワタシノナマエハ○○チャンデス。ドコニホン。

――愛知県です。

――・・・・・・。シラナイ。ハジメテバリ。

――5回目です。

――Aaa??・・・ワカラナイ。

 

そして、こちらは、あちらに全くもって興味がない。
英語で話せば進んでいく会話も、相手に合わせた日本語では当然進まない。3回往復がいいとこだ。

 
もうひとつ面白いこと。
本当にちゃんと日本語を話す人は、得てしてむやみに話しかけてこない。誰かに紹介されて初めて一言、二言。日本人どうディの初対面の間の取り方を心得ている、とでも言おうか。そしてそういう人は、他の人にわからない日本語での会話を輪の中で無理に進めようとはしない。

 
言語によってテンポというものがある。他の言語のテンポでその言語の会話をするというのは意外と難しいもの。

 
日本人である私にとって、日本語を外国語テンポで話すというのは非常に疲れる・・・というよりも無理な話だ。

 
・・・なんて話をここインドネシアで力説したって所詮それこそ無駄な話。

この国に遊びに来させてもらっていることを感謝して、「日本です」という答えを1日何度も口にするとしよう。

2013/11/25

Bali Sanur (バリ・サヌール)のナイトマーケット

久しぶりにインドネシアはバリに来ております。
今回のバリ行きの名目は、久しぶりに友達に会いに行く、というもの。
・・・だけれど、その会いに来た友達のMarioは、相変わらずバタバタと忙しそう。その仕事の合間を縫って一緒に出かけたり、飲みに行ったりしている。

5年前に数ヶ月バリに滞在したときにもSanur(サヌール)というダイブショップが集まっているエリアに泊まっていた。そして今回も。


Sanurの旅行者がウロウロする通りの一角にナイトマーケットがある。
夕方6時過ぎくらいから・・・・一体何時まであいているのか知らないけれど、要は夕食を食べるような時間帯にマーケットがぞろりと出る。

昼間は屋内のモーニングマーケット用の駐車場のようになっている場所に、転がして歩くような屋台が並ぶ。

5年前に宿泊していた宿からはちょっと離れていたけれど、今回の宿からは歩いても3分程度。自転車を手に入れていない今回の短い滞在には、こういうマーケットがとてもうれしく、ありがたい。

Marioの電話なんか待っていると、2時間でも3時間でも、間違えると半日でも待っていなくてはいけないこともあるから、ご飯も勝手に好きなものを食べている。
もちろん、ナイトマーケットには毎晩のように通っている。


インドネシアのサテといえば、思い出す人もいるだろう。とても有名な料理。
鶏肉、豚肉、たまには魚など、竹串に刺して炭で焼いてある。それをピーナッツをすりつぶして作ったソースで食べる。
1本のサテは、日本の一般の焼き鳥の大きさよりも小ぶりで、一瞬「なにか違うぞ」って思ってしまうけど、味はピーナッツソースとあいまってなんとも言えずおいしい。
これをご飯と一緒に食べる。


ご飯がてんこ盛りだけど、これ、日本米とは違うので、思った以上におなかに入ってしまう。
サテ自体にも味があるし、さらにピーナッツソースをつけているので、これだけでご飯がどんどん進む。


他にも私のお気に入りの店が・・・。

これは麺。日本語でいうなれば中華麺。
ラーメンか、って言われると少し違う気もするけど、麺は太い中華麺、という感じかな。

麺の上に乗っているのは小松菜のような青菜と、ワンタンを素上げにしたようなもの、そして、鶏肉をかなりじっくり煮込んだであろうと思われるもの。

この鶏肉が大きく味を左右しているような気がする。
この料理の名前もMie Ayamといい、Mieは麺を指し、Ayamは鶏肉を指す。
この鶏肉の煮物。
一体いくつくらいの香辛料を使っているんだろうと思わせるほど複雑な味をしている。ただ、日本の香辛料だけでは絶対に出ないであろうと思われる、エキゾチックな味付け。

どうしてこの店を最初に選んだかという理由がある。
バリでMie(麺)というと、インスタント麺で作る焼きそば、ミーゴレンが有名。他の焼きそばやスープに入った麺もインスタントをよく見かける。
ところが、ここの麺は生。
インスタントものに弱い私の胃にもぴったりだった。


 屋台の裏側に、たいていはこんなテーブルが並んでいる。
飲み物は、勝手にテーブルの上のものを選ぶ。すると、どこからか誰かが凍り入りのグラスを持ってきてくれる。


さて、もちろん飲み物専門の屋台だってある。
果物が並び、カラフルなゼリー類も並ぶ。

 
 
アボカドがあったのでシェイクを注文してみた。アボカドって、甘くないし、しかも水っぽくないけどどんなシェイクになるの?
試しに、位の気持ちで注文すると、きれいな緑色のシェイクが出てきた。
ストローが小さすぎるんじゃない?って思うくらい水気の少ないシェイクだけど、すごくおいしい。これはむしろ小さなカップかなんかに入れたらスプーンで食べるいいデザートになりそう。おまけにチョコレートもかかってる。
私の友達は「ここの人はアボカドを甘くして食べるんだ。変だよな」なんて言ってたけど、変でもおいしければいいような気もする。
 
 
私が毎日通っていたのがナシ・チャンプルのあるレストラン。
ナシ・チャンプルのある、といっても、たいていそういうレストランはそれしかない。店頭のショウケースに作り置きの料理が並び、ご飯の上に自分の選んだおかずをかけてもらう。

おかずの中にはとんでもなく辛いものもあるので、いちいち「これは辛い?」って聞きながら選んだりする。
インドネシア人の友達が「インドネシアの料理はおいしくないでしょ」って時々聞いてたけど、私にとってはこのナシ・チャンプル、毎日おいしくおいしくいただきました。
 
 

さて、最後の写真。
5年前に数ヶ月泊り込んでいた宿のすぐ近くに、チキンスープを売りにしている屋台があった。おばちゃんとも話をするようになって、毎日通っていた。
安いしおいしい。
この屋台がまだあるかどうかすごく気になって行ってみた。
なんと、店は屋台ではなくなり、小さいけれど食堂になっていた。ちょっとうれしい。

このスープ。食べてみても一体どんな香辛料が入っているのかわからない。日本食には絶対に使わないような香辛料であることは確かなんだけど、その味がなんとも言えずおいしい。

 
 
毎日食事が楽しみっていうのはいいことのような気がする。まぁ、体重の増減は別問題だけど・・・。