2016/05/11

勝手にフィンランド人面相

数日前ドイツに帰るためにヘルシンキで乗り換え。
ここはすでに何度か利用している空港。そして、乗り換えをするたびに思うことがある。

思うことの前に少々前置きを。
私には仲の良いフィンランド人が二人いる。二人とも男性。
一人は昔見たベトナムの水上人形劇の人形に見たことがあるような下膨れの赤いほっぺの赤ちゃんのような顔のJ。もう一人はヨーロッパ人の男の子が男性になりきる前のような優しい顔立ちで、これもまたかわいらしいN。

ヘルシンキの空港で見るフィンランド人男性の8割以上はこのふたりの顔のどちらかをしている。
どこを向いてもJかNがいるように見える。

フィンランド人ってみんな同じ顔をしてるよな~。
これが毎回ヘルシンキに降り立つたびに思うことだ。

ちなみにフィンランド語のアクセントは独特。英語を話していてもフィンランド語を話しているように聞こえる・・・・あ、私の英語も日本語に聞こえるかもしれないけど・・・。妙に抑揚のある間延びしたアクセントだ。これはフィンランド語にやたらと連続した母音が多いためかと思われる。私なんかには絶対に発音できない、子音の連続するウェールズ語なんかとは真逆だ。
もちろんJやNも同じようなアクセントで話すものだから、なおさら誰を見ても彼らを想像してしまう。

当たり前のことだけど、なんとなくみんな似ているだけであってみんな違う顔はしている。だけど・・・・どう見ても2種類の顔だけにしか見えない・・・のは私だけ?

ちなみにNの顔は私の好みにぴったり。
優しそうで、かわいらしくて、ものすごく純粋そうに見える・・・・実際にそうでないことはNを近くで見ているからわかってるんだけど・・・。そして、その顔のせいでどうしても年下に見える。何とも言えずかわいいのだ。
実際数年前にヘルシンキで罰金を食らったときにも、Nの顔で突き付けられたフィンランド語のわけのわからない書類を見ても腹が立たなかった。

じゃぁどうしてフィンランド人を彼に選ばなかったのかと問われると…。外見とは裏腹に・・・いや、裏腹と言っては語弊があるのかな…フィンランド人で「この人普通の人だね」と思えるような人に会ったことがないから。何がと聞かれても困るけど、とにかくおもしろい。
Jはところかまわずオペラを高らかに歌いながらストリップを始めるような人だし。
Nは常に若い男の子をそばに侍らせているゲイだし。
あ、フィンランド人と婚約中のEちゃん、ごめん。

そんな人ばっかりじゃないことはわかってるけど、フィンランド人と聞くとどうしても「この人おもしろいんじゃないか」と期待してしまう。そして実際におもしろいことが多い。

じゃぁ、女性は、と言えば…。あまり知らない。
私が一緒に働いたことがあるフィンランド人女性は二人。二人とも男装が似合いそうなくらい端正な顔立ちをしている。そしてその顔の原型は美人かと思われる。

ああ、そういえば、一人は結構普通の人だった気がする・・・ちょっとの間しか一緒に働かなかったから実際はどうなのかよくわからないけど。
もう一人は。この人は確かに面白かった。
そのころ一緒に働いていた体つきはものすごくがっちりしていて、無茶を平気でするタイプのマリオがこんなことを言っていた。「彼女さー、俺のこと好きなのはわかるし、いいんだけど・・・。目を合わせちゃったらそのまま押し倒されて犯されそうな気がしてちょっと怖いんだよな」
これを聞いたとき、まさにその通りになるだろうと大笑いした覚えがある。

そんなこんなのフィンランド人観。当たっているのか違っているのかはわからないけれど、国籍で人を分けることが嫌いな私がとても好感を持っている人たちである。

楽々フライト

さてさて、6か月ぶりにドイツに帰ってきました。

この「帰ってきました」。すでに友達に冷やかされた。「初めてドイツのことを『home』って呼んだね~」。そう。いつの間にか「ドイツに帰る」という感覚になってきた。
去年 、今までになく長くドイツにいたせいか、ドイツの生活にかなり慣れた気がする。
実際におととい「帰ってきた」時にも「うちに着いた~」という気分になった。結婚生活に慣れたせいもあるのか、あるいは去年ドイツのIDカードを手に入れたせいか。

今回のフライト。Finnairでヘルシンキ経由ベルリン行き。以前にも使ったことのある経路。ヘルシンキの空港をざっとわかっているだけに気も楽だ。

日本を出発する際のチェックインカウンターで搭乗券を受け取る。
すでにウェブサイトでチェックインしていたけれど、プリンターのご機嫌が悪く搭乗券をプリントアウトできなかったから。だから、ウェブサイトですでに通路側の座席は確保してある。これだけでも少しは気が楽。ああ、楽々続き。

と、毎度のことながら、ドイツに帰るときには「日本に戻ってくる」チケットを持っていない。そうすると、ドイツを出国する保証がないことになる。これは特にヨーロッパで厳しいのかもしれないけれど、ドイツに違法滞在しない保証を見せろ、ということになる。毎回ここでひと悶着ある。私はドイツ人のパートナーのところに行くのだ、と言っても、当たり前だが信じてはくれない。その証拠を見せろ、ということだ。
ところが今回、すでに私のパスポートの名前が鵜飼からWollweberに変更してあるせいか、一言「IDカードはお持ちですか」。はいはい、ありますよ~。ここでやっと、そういえばいつも引っ掛かるんだったことに気づく。
でも、今回はIDカードというドイツ在住の証明を持っているのだー。
そういえば、6か月前にヘルシンキからEUを出るときにも、これ一つ見せただけで何の質問もなく短時間でイミグレーションを通り抜けた。

空港までわざわざ両親が送りに来てくれていたこともあって、イミグレーションの混み具合を何気なく聞いてみた。「今日の混み具合ってどれくらいですか」
ところがカウンターのお姉さんはこれを飛行機内の混み具合を勘違いしたらしい・・・というか、私の質問はここでするものじゃなかった。

 「そうですね、ほぼ満席なんですが…。お客様のお座りになる座席の隣はすでに埋まっています。でも、2席空いているところが1か所ありますね。もしかしたらあとから埋まるかもしれませんが、こちらの通路側のお席に変更しましょうか」

なに?
もうすでに搭乗券は私の手に握られているというのに、さらに変更可能なんですか。あ、そりゃそうか、できるよね。でも、何に驚くかといえば、なんというサービス。

その時は「いや~、ありがとうございます~。お願いします~」なんて、当たり前のように受け取ったけれど、よく考えたらこれはとてもうれしいオファー。
もしかしたらこの10時間フライトで2席使えるかもしれない。隣に小山のような人が座るかもしれない可能性を考えると2席確保はベッドに近い。・・・実際私は2席で横になれる。

そして、実際、私の隣は空いていて、ほかのみなさんぎゅうぎゅうで座っている中、横にならせていただきました。


横になりながらつらつら考える。
どうしてこんなオファーを「私に」くれたんだろう、と。
ああ!IDカードだ。

IDカードをもって住んでいる国と母国を往復するということは、これからも同じフライト経路を使うかもしれない可能性大。一生に1度しかこのフライト経路を使う可能性のないかもしれない旅行者にサービスをするよりも、私のような者にサービスをしておいた方が これから先の売り上げにつながるというもの。
な~るほど。

IDカードさまさま、だ。

そんなこんなで、今回のフライト、気も体もずいぶん楽だった。
これからもこんなサービスが毎回あるとは期待できないけれど、IDカードの偉大さを思い知る。大事にしなければ。

Finnairさん、次回も使いますよ~。



2016/04/26

ジドリボー

「最近日本ではジドリボーが問題になっててさー」

これは先月まだタイにいるときにお客さんの口から出た言葉。
もちろん、私には返答不可。
ジドリボー・・・。

英語やドイツ語に知らない言葉が入っているなら、流すなり、わかっているふりをするなり、なんとなく対処のしようがある。が、これが日本語になると、どういうわけか流しにくい。
そして、上記のような、会話の突破口になるような一言の中に初めて聞く単語・・・ああ、日本語にもこんな言い回しが頻発するようになってきてる・・・が入っていると、その言葉がわからないことを白状するしかなくなる。

さぁ、思い切って!
そして、さりげなく!

「・・・ジドリボーってなに」

もう!恥ずかしいよ、こんな風に聞くのは、私だって…。
でも実際になんのことやらさっぱりわからない。
地鶏・・・坊・・・?なんのことやら・・・。地取・・・・坊・・・?こっちの方が悪いやつに聞こえる。どんな悪さをするのかね、こやつは。

会話を始めた彼女もちょっと止まる。
そして、明るい彼女はからからと笑う。
「なに~?Yaskoちゃんジドリボーわかんないの~」
わかんないよー。
「ジドリするときに使う棒だよ、棒、スティック!!」

あぁ、棒ね。なるほど。ジドリ棒ですか!
・・・・で、ジドリってなに。
「ええ~、Yaskoちゃん、ジドリもわかんないの~~」
わかんないよー。
「英語でもあるじゃん。自分で自分の写真撮ること。」
ああ!! Selfeeね!
「え、じゃぁ、ジドリ棒ってSelfee stickのことなの」

なんと、ばかばかしい。Selfee stick ならSelfee stickと最初から言ってくれればわかるのに。


さて、日本に戻って2週間、3匹のドイツ人を連れて国内旅行。普段よりも大きな駅を使ったり、新幹線にたくさん乗ったり、観光地に出かけたり…。
すると、ここそこに「ジドリ棒」禁止なる、張り紙、看板が目に付く。
そして、ここまで来てやっと、「ジドリ棒」が「自撮り棒」であることに気づく。

さらに、さらに、このページを書いていて初めて、日本語変換機能の中に「自撮り」が一発で出てくることに気づく。

なんと、なんと。
私がいないちょっとの間に、日本語はどんどん進化していく。
学生のころ、若者の言葉が乱れているという学者に対して、言語は進化するものだから、これは乱れではなく進化あるいは変化だ、という説に同調していた。実際に今でもそう思う。
ドイツ語のクラスで「ドイツ人は正しいドイツ語を話していない」と居丈高にものをいうドイツ語学習者にこの説をぶったこともある。
でもさー、たった10数年でこんなに新しい言葉が増えるなんてねー。まぁ、現代の10年は数百年前の百年だと思ってもいいくらいなのかもしれないけど。それにしても進化が速い。私が1年に2回日本に戻ってくるという今のサイクルを続けていたとしても、60歳になるころには甥や姪の話していることがわからなくなるんじゃないかと思う。

まあでも、これは日本語に限ったことではなく・・・。もちろん英語だって、ドイツ語だって進化しているから、若い子たちに紛れていると教科書には載っていない進化形言語を話すようになってくる。
That sounds!! Whazat? 初めて聞いた時には何のことやら、である。

さて、自撮り棒が引き起こす問題は、自撮り棒の意味が分かった時点でどうでもよくなり、何が問題なのか日本に来るまでよくわからなかった。
ピピで車や電車のない生活をしているとどうでもいいことだけど、自力で走るよりも速く移動するものと混在して生活している場合には、マイペースで自撮り棒を使って自撮りなどしていると危ない、ということらしい。

ま、私はスマートフォンでさえ目新しいものなので、自撮り棒を使う日はまだまだ先かと思われる。が、日本で気を付けなければいけないことがまた一つ増えた、と。

2016/04/21

日本のお土産にキティちゃん

3月の終わりから2週間、ドイツの地元の友達が日本に遊びに来た。
2週間日本国内を一緒に旅行することに・・・。

去年の夏から予定していたこのホリデー。もちろん、ドイツの仲間内には知れ渡っている。
そこで、ある人から頼まれたのが「ハローキティの携帯カバー」。機種はExperia Z5。カバーは手帳型のものではなく、保護カバー。

スマートフォンを持ち始めて日の浅い私には、なんだかピンと来ない。
ああ、そういえば、手帳型のカバーを携帯電話につけてる人もいるわねー、そうじゃないのがいいのねー。ってな、軽い感想だった。

告白すると、私のいま使っているスマートフォンはWolleのお兄ちゃんからもらったお古。カバーも最初からついていたし、おそらくMajaが貼ったと思われるタツノオトシゴのシールまでついてる・・・目印にちょうどいい。

まぁ、要は、私にとってスマートフォンとは、生活上それほど重視されていないものの部類に入っている。使用頻度を考えると、もっと重要視してもよさそうなものだと、いまこれを書きながら思うけれど、とにかく私にとって「必要不可欠」なもの、あるいは、「装うもの」の部類に入っていない。


はじめにこの注文を聞いたとき、そんなものは簡単に手に入ると高をくくってしまった。
そして、これが間違い。

ドイツでは諸事情あり、iPhoneが日本ほど人気がない。でも、日本ってiPhoneを使っている人がすごく多いんじゃないかと思う。例えばうちの家族。
こんなことに気が付いたのはカバーを探し始めて数日後。
店頭に並んでいるものも、インターネットで購入可能なものも、やたらとiPhone用のものが多い。

iPhone用のキティちゃんカバーならどこに行ってもそれほど苦も無く手に入る。
が、Experiaとなるとその数は激減・・・というより、皆無。
インターネット上をAmazonだ、楽天だと探し回ってみても、とにかく今すぐに手に入るものが、ない。

手帳型のケースはある。
でも、背面だけのカバーというのがとにかくみつからない。

携帯電話なんて、みんなが使っているものだし、キティちゃんは日本中どこに行ったって見かけるものだし、ちょちょいと簡単に手に入るお土産だと思っていた。

Heiniよ、なんていうものを気軽に引き受けてきたのだ。
そして、私よ、自分の基準が世の基準でないことにいい加減気付け!

ここ2週間、出かけるたびにカバーを探し、時間があればオンラインショッピングのページをクリックし続けるも、未だに収穫なし。
ちなみにサンリオショップでは、「家電屋さんならあると思いますよ~」とのこと。そして、家電屋さんでは、「ここに並んでいる商品だけですね~」とのこと。

もう仕方がないから、万が一見つからなかった時のために、これこそもらった外国人にとっては意味不明以外の何物でもない「キティちゃんのお守り」をとりあえずHeiniに持たせた。

ドイツに戻るまでにさらにあと2週間。
みつかんないんだろうな~、なんて思いながら、今日もオンラインショップをのぞく・・・。

ブログ再出発宣言

毎回このブログの記事を書くときに、お久しぶりです、とか、ご無沙汰しております、とか、はたまた山のような言い訳を書かなくてはいけないということに、少々疲れてきております。

が、ご無沙汰しております。

もう、こんなに時間があいてしまって、しかもそれを何度も続けているうちに、新しい記事を書くという習慣が全く生活の中に抜け落ちてしまっているみたい。
近々新しいPCを買う予定もたったところで、「ブログを更新する」という習慣も復活させたいな、と思っております。

まぁ、なぜこんな気分になったかというと・・・。
2通のメール。

いま現在日本にいる。・・・なんていうと、しばらく居ついているかのような言い方だけど、今回も毎度のごとくあと2週間くらいでドイツに戻ります。
でも、2週間あれば結構友達に会う時間もあり、家族と出かける時間、絡む時間もある。

そこで、数日前、高校のころから仲良しだった二人の友達にメールを送った。
時間があったら飲みにでも行こうよ、と。

その二人からの返信は、メッセージの長さに違いはあれ、実によく似たものだった。
「ずっとブログが更新されてないから、どうしてるのかと思ったよ」

そうだ。この二人はフェイスブックなどのSNSも使わずに、私の近況をこのブログでチェックしていてくれる友達。
まさに、このブログを立ち上げたときの目的通りに読んでいてくれていたのだ。
まさに、「Yaskoはどこに行ったの?」だ。

この2通のメールがなんだかすごくうれしくて、さっそく更新することに。

この更新決心が変わらないように、いくつか記事を一度に書こうと思う。

これを読んでくれているはずの二人。ありがとね。


※PCが新しいものに変わるまで、引き続き写真はアップできません。

「何者」 朝井リョウ

6ヶ月ぶりに日本の実家に戻った。・・・というのに、今回の階段文庫にはあまり魅力的な本がない。


も~~~~。ここ4ヶ月、日本語の本を読まないで我慢してきたのに~~。どうしてここに読む本がないの~~??次の半年間の宿題としてドイツから持ち帰ったドイツ語の本を読めってこと~~~?
でも日本にいる間くらいは日本語の本読んでもいいよね、いいよね。
あ、そうだ。ドイツで日本語を教えてた生徒さんに必要な教材を買うために本屋さんに行かなくちゃいけないんじゃない?ワタシ?

と、いうことで、早速大型書店へ。


平積みになっている文庫本の中からざざっと数冊。
その中に入った1冊がこれ。
「何者」
帯に直木賞受賞作って入っていたから。


朝井リョウ・・・知らないなー。
作者紹介を読んでみると。・・・あ、読んだことはないけどタイトル知ってるっていうのが何冊かある。へー、若いんだ。平成生まれだー。ちょっと若すぎるかしら。なんせ「蛇にピアス」は私には若すぎた気がするから・・・。


作家が若いというのがマイナスなのかどうかわからない複雑な気分と、帯の直木賞受賞作という触れ込みの期待と、ひとつずつ片手に持っているような気分で表紙をめくる。


最初の数十分。
この本を読み進めるべきかどうか、少々迷いながら読み進む。
正直に言ってしまうと、わからない内容があるのだ。

私はフェイスブックは使っているけれど、ツイッターを使ったことがない。そして、この作品にはツイッターの書き込み・・・あれは書き込みというんでしたでしょうか・・・と思われるものがたびたびはさまれる。
その書き込みに使われる言葉は、作品の地の文とは文体が違う、いうなればインターネット上の書き込み用の言葉が使われている。
自分がそういう言葉が使えないせいなのか、ツイッターを使わないせいで読み慣れないせいなのか、ひじょうううううに読みにくい。
ああっ、なんなの、これ、もう!
って、気分だ。

告白。
ツイッター書き込み部分の数行、初めのうちは飛ばして読みました。

が、読み進んでいくうちになんとも言えない学生の頃の気分がよみがえる。
友達のうちに・・・というか、友達の「巣」に近いようなワンルームに溜まり、泊まり込みで飲む。一緒に時間を過ごしているはずなのに、いつの間にか各人の間にあるような、ないようなわだかまり。
こんな狭い人間関係を、私たちは表も裏も自分の中に収めながら数年間過ごした。
そして、それらすべてが今となっては二度と手に入ることのない、苦笑を交えながらの思い出となっている。

この作品の登場人物たちと私自身の「あの頃」と決定的に違うこと。
私たちの時代・・・こんな言葉を使って私の学生時代を表現するときが来るとは・・・・には、人が人に表現できるのは「表」しかなかった。
言い方を変えると、想いの「裏」部分を発散させる場所がなかった。
自分ではない人のふりをして、どこか違う場所で裏の気持ちを発散させるなんてことはしたことがなかった。
これは、当たり前のことなんじゃないのかな。
それとも、こんな風に思うのは私がおばちゃんになっている証拠になってしまうんだろうか。

いやいや、それでも、言わせてもらおうか。
裏の気持ち、言い換えるならば「負の感情」を自分自身の中でどう折り合いをつけていけるかというのは、年を重ねた人だけでなく、若いころにも同じだけ大切なこと。
自分自身の「負」をこっそりどこかで好き放題に発散して、自分の目の前にいない誰かを不快にさせたり、傷つけたりするなんて、醜いという言葉でしか表現のしようがない。

な~んて、偉そうなことを書いているけれど、私自身、この負の感情をうまくコントロールできずに人を不快にしていることが頻繁にある。
自分で気づくだけでままあることなのだから、気づかずに傷つけていることなんてしょっちゅうだろうと思う。
気をつけねば・・・。でも、どうやって??いやいや、それがわかれば私は聖人ではないか。
とつこうつ悩みながら生きているから、 生きていることに意味があるのだと・・・・思いたい。


ところで、この作品に出てくるような登場人物のような若者ばかりなわけはないと当たり前のようにも思う。
この作品が私の心に引っ掛かったのは、読者である私自身も持っている負を、うまく作品としてまとめてあるなぁ、というところだ。

さらに、人間の醜い部分を取り上げて書き上げてあるのに、なぜか読み終わった後にいやな気持にならないのも不思議だった。

若い作家だ、といって敬遠したりしないで、これからは喜んで手に取りたいなぁ、なんても思う。

2015/09/08

自転車通学 2015


いやはや。あっという間に最後のブログを書いてからどれくらいたつのやら。
こんなに時間があいてしまうのなら、ブログ再開なんて大旗を揚げなければよかったと何度思ったことか。

ここ2ヶ月ちょっと、またしてもドイツ語の学校に通っている。
「懲りずにまた」と思うなら思ってください。泣きながら、時にはぐずりながら、はたまた荒れ狂いながら、毎度毎度まったく懲りていません。
なぜならば。
それほど大変な学校に行くほうが、ドイツ語がわからずにドイツで暮らすよりも、ずっと楽だから。
「いつになったらすらすらとドイツ語が口に上るのか」と待っているよりも、こっちからアタックする方が私の性に合っているみたい。

さて、今回も自転車での通学。
3
年前のVolks Hoch Schuleはたったの15分ほどの距離だったところが、今回の学校は片道25分。15分と25分なんてそれほど変わらないでしょ、と思う方、毎日50分 自転車に乗ってみてください。あるいは、毎日50分、ジムの移動しない自転車・・・私にとっては無意味に見えるんだけど・・・に乗ってみて。結構な運動に なる。

まぁ、半日座りっぱなしで、家に帰って宿題やらなんやらでまたしても座りっぱなしの生活には、どこかにエクセサイズが必要なので、ジョギングという非生産的な行為を考えると・・・これは去年凝っていたけど・・・自転車通学というのは非常に非非生産的。

だが。
この町の通りは石畳が多い。ことに、町の雰囲気作りのためにDDR(旧東ドイツ)時代にいったんアスファルトにした通りまで、今になって石畳に舗装しなおしたりしてる。
確かに日本でもあるように、修理に修理を重ねたアスファルトよりも、石畳の通りのほうが格段に雰囲気はいい。
が。
これは自転車で走るとなんとも言えず走りにくい。でこぼこ、でこぼこと、小さな段差がひとつひとつ頭に響く。
こんなに行き帰りに頭をシェイクされたら、せっかく覚えた単語も全部混ざってしまうんじゃないかと思う。

しかも。
家と学校の間に高架がある。ちょうど中間にあたる辺りに駅があるので、線路を越えるための高架。
鉄道なだけに、回避するわけにもいかず、毎日えっちらほっちらと上っては降りている。朝、高架を上りきると、はぁ~、今日の一番の大仕事が終わった、と、真剣に思ってしまう。あ、ちなみに、行きののぼりの方が少しだけきついのです。

最初の1ヶ月。まだ授業に慣れないこともあって、この25分のせいでちょっとした登校拒否を起こしていた。
毎朝思う。
あぁ、あぁ、25分!

ところが最近、この25分が結構気持ちいい。
まぁ、夏だということもあって、寒くない。ここの夏は朝夕は冷えるのだけれど、自転車で10分も走れば体が温まって、学校に着くころには汗ばむほど。
もちろんこれからは徐々に寒くなっていくので、そうも言ってはいられないのだけれど。

そして、2ヶ月もたった今。
どこをどう走ればでこぼこが少ないのか、少しずつ把握してきている。
どこをどう走れば、自転車を止めずにすむのか。どこで自転車のギアを切り替えると楽なのか。
そして、なんと気持ちのいいことに、上手に車道を走れるようになってきた。

日本でも、小学校のころに習う。
自転車に乗るときの交通ルール。
ここドイツでは、車は右側通行。日本とは反対側だ。だから、自転車も基本的には道路全体の右側を走らないといけない。歩道に自転車用の通路があっても、道路全体の右側の歩道の自転車用通路を走る。もちろん左側しか走れないところもあるので、それは例外だけど。
 


そして、日本人の大人はほとんど忘れているかもしれないルール。
右に曲がるときには右腕を、左に曲がるときには左腕を水平とはいわないまでも横に差し出す。・・・あれ、右に曲がるときには左腕をひじを折って上にあげるんだっけ???・・・?

これまでは、どこかに一緒に出かけるときにWolleの後ろを走っているときにのみ、かっ飛ぶことのできた車道を一人でもかっ飛ばせるようになってきた。
そして、曲がるときには腕を差し出して。

これがなんとも気持ちいい。私今から曲がるわよ~~、ってなことだ。
もちろん左に曲がるときには、対向車線に注意しなくちゃいけないのだけれど、そのタイミングもうまくなってきてる。
そして、前までは後ろに車が付くことが気になってしまって車道がいやだったのだけど、いまや、後ろに車が並んでも平気で道路の真ん中で止まることができるほどのずうずうしさ振りを発揮している。
自転車は車ですからね。

さて。気持ちがいいの、なんのと言っていられるのも夏の間だけ。
ここでは9月にはいると急に朝夕がぐっと冷え込む。すでに数日前は、学校に向かいながら、て~ぶ~く~ろ~、と口の中でぶつぶつとつぶやいたほど。
これからあとほぼ3ヶ月。毎日自転車通学ができるのか。

ちなみに雨の日は近くに住んでいて、車で通っている友達に乗せていってもらっている。
10
月に書くこのページに、「えへへ。今は毎日自動車の後部座席通学です」なんて言っているかもしれない。

エクセサイズも含め、環境考慮も含め、できたら自転車通学を続けたいとは思うけれど、体が気温に対応しない可能性もあるので、今は何か豪語するとこは控える。

もうひとつ付け加えると、自転車通学しているのは14人のうち、私ともう一人だけ。そして、彼は私より確実に10分は学校に近いところに住んでいる。みんな、送り迎えつきか、自家用車を持っているか・・・。
うちの主人は厳しいんです・・・。