2013/09/03

ヒツジの準備

先日の誕生日パーティのためにヒツジを用意したときの話。

大体、ドイツだったって、豚の丸焼きは時々目にするけど、ヒツジの丸焼きというのはあんまりお目にかからない。
丸焼き用の豚は・・・・子豚が多いかな・・・そのまま焼けるように売っているのも見たことがある。


変わった物好きのWolleとしては、自分たち主催のパーティに、誰でもできる豚の丸焼きでは気がすまない。

去年両親が日本から来たときにもヒツジの丸焼きをしたけれど、今回私の誕生日にも・・・
「夏にはヒツジの丸焼きだな」
という、根拠はない確信を持って、ヒツジに決定。


とはいえ、子豚と違って丸焼き用のヒツジがどこかに売っているわけじゃない。
農家のヒツジを飼っているところに行って、譲ってもらう。

こういうと、簡単にヒツジたちが手に入りそうに聞こえると思う。
それが実は結構手間がかかる。
その手間を、今回自分の誕生日用のヒツジだということもあって、一通り見てきた。


さて、まずはじめにヒツジを飼っている知り合いに丸焼き用のヒツジを分けてもらうように交渉。
どのヒツジがいいか、実際に見に行く。
・・・・・ということは、選ぶ時点ではまだ生きているということ。




広い庭を走り回る子羊の群れの中から2頭選ぶ。
・・・選ぶって言ったって、私にはどれも同じように見えるし、「あれがいいかな」なんてどう選べばいいのかさっぱりわからない。
大体結局はその農家の知り合いに選んでもらう。

そして、パーティの2日前、その羊たちを引き取りに行く。




 
引き取りに・・・なんていうと聞こえはいいけど、要は捕まえにいく。
なんせ庭を走り回っているから、そんなに簡単にWolleの手には捕まらない羊たち。
一度小屋の中に追い立ててから、その中で捕まえる。
小屋の中からはどたばたと走り回る音と、羊たちの叫ぶ声、そしてWolleのわめく声・・・。
 
とうとう捕まった2頭は、果たして最初に選んだ2頭なのかどうか・・・?
最初の予定では2頭とも去年の11月に生まれたオス。オス、という観点だけなら、あってる・・・。
 
 
足を縛り、動けないようにして、車のトランクに積む。
 
Yaskoがくれば、ちょっとは羊もリラックスして、おいしいかも。
なんていわれたけど、そうだ、この羊、かわいいけど、これから私たち食べちゃうんだよね。なんとも言いようのない気分。
ただ、彼らを殺すときにリラックスしている状態のほうが食べたときにおいしいらしい。
 
 
ぶるぶる震えながら車に乗ってる羊をなでてはみるけど、複雑な・・・。
Wolleいわく、去年はベェベェ泣き叫ばれて困ったのに、今年は震えてるだけで声を立てなかったらしい。どっちのほうがいいのかわからないけど。
 

 
そしてこの羊たちをどこに連れて行くかというと。
屠殺ができる人のところへ持っていく。
前回頼んだ人は、おじいちゃんで、最近調子が悪く、入院しているとの話。慌ててほかに屠殺ができる人を探すと、知り合いの知り合いという人ができるとのこと。
と、いうことでその人のところに持っていく・・・連れて行く。
 


屠殺、って言う言葉も知ってるし、どんなことをするのかもわかっているけど、そんなのを目にしたのはもちろん初めて。
数日後に食べるから、とか、ブログに書くから、とか、珍しいから、とか、どんな理由をつけてもカメラを向けることはできませんでした。

実際、苦しませないで殺すために、一瞬で殺してしまう。
ほんの一瞬余所見をしている間に「ぱんっ」と小さな音がして、そっちを見たらもう羊は死んじゃってた。
これくらいの大きさの動物を殺すための銃じゃないけど銃のような役割をする道具があるらしい。
それを使って、眉間に一発打ち込むだけ。
そして、直後に首の動脈を切り、そして今度は睾丸を切り取る。

動脈までは想像していたけど、睾丸??
どうやら、睾丸を残して時間を置くと、肉に苦味が回るらしい。

それにしても、そのおじさんは手際よく進めていく。
もちろんこれが手際よくできるから頼みに来たんだけど、1回1回動物に何か思っているとこんなことはできないのかもしれない。

さっきまでぶるぶる振るえ、そのおなかや頭をなぜていた子羊は1分もかからないうちに血を抜かれ、足にかけたフックで逆さに吊られた。


私が勝手に想像していたほど血抜きに時間はかからなかった。動脈と睾丸を切り取るまで、一輪車の中でしてしまい、血はそこに流れた分だけ。
とはいっても、ちょっと底にたまるくらい。逆さにした後は、残りがぽたぽた落ちるくらいだった。あれ、こんなに血すくないの?って思うほど。もしかしたら羊はそれほど水をがぶがぶ飲まないのかな。

さて、逆さにしたヒツジの、今度は皮をはいでいく。
しっかりと研いだナイフで、まずはおなかの辺りの毛皮を剥いでいく。ついで前足。
そのあたりから、毛皮を引っ張りながら肉と皮の間にナイフを軽く当てていっているように見える。ナイフを当てると、皮と肉の間に薄くくっついている・・・なんていうんだろう、とにかく薄い皮状のものがするりと切れて、肉と皮が離れる。
・・・ちょっと前にねじまき鳥クロニクルという本の中で人間の皮を剥ぐという凄惨な場面を読んだばかりのせいか、なんとなくじっと見つめているのが苦しくなる。それなのに、見たことのないものだからなんとなく目が離せない。

さすが屠殺できる、と聞いていただけあって、するすると皮がはがれ、腹部が終わって背部へ。
背部はおしりのほうから首元へ向かって剥いでいく。
もうここまで来ると、肉の塊がコートを脱ぎかけているように見える。

この後、頭。
どうするんだろう、と思っていると、角を両手でつかんで「グキッ」と。
要するに首の骨を折って・・・その後にナイフで切りきれていないところを切っていく。

この頭をひねってしまう部分。
これは、やったことがなければ、なかなか思い切って力が出せないんじゃないかと思う。


さて、残りは内臓だ。
おなかの皮はすでに切ってあるので、内臓が少しはみ出している状態。
が、これが、意外と血みどろだったりはせず、大きな袋に大量の水分が入っているだけのように見える。おなかの中に手を突っ込んで、その袋をずるりと取り出す。
そして、その奥から肝臓、心臓、胆嚢・・・と、いくつかの臓器が取り出された。
おそらく最初に取り出した大きな袋は内臓の中でも消化器系なのかな。お医者さんが見たら、なんなのかわかってるのかもしれないけど、内蔵そのものを体に直結している状態で見たのが始めての私にとっては、なんなのかよくわからないものもあった。

ヒツジを絞めてくれたおじさんは、食べられる内臓をより分けて袋に入れてくれた。

豚のレバーだって普段食べるんだから、ヒツジだって食べられるに決まってる。
今日の晩ご飯かぁ、なんて思って受け取ると、ぎょっっっ!

もちろん動いた、とかじゃない。
何に驚いたかというと、その温度。

お肉やレバーを生で触ったり調理したりするのが苦手な人がいることは知ってる。
でも、私は台所でそれらを調理することはなんとも思わない。
が。
いつも触っているレバーは冷蔵庫から取り出したもの。
生で、柔らかい状態の体温と同じくらいの温度のものを想像はしていなかった。

もちろん今まで生きた羊の中にあったものなんだから、当たり前なんだけど、そのとき初めて、レバーを触るのがちょっと怖くなった。
と、いうか、気持ち悪い、というか。
丸焼きにするために絞めてもらったんだから、おじさんにも羊にも、こんな風に言ったら失礼なのかもしれないけど、「生きている状態」と「殺した後」をその体温でまざまざと感じた。


とはいえ、もちろんそのレバーは夕食に。
バターソテーと、和食のレバーの煮物になった。
 


 

煮物は不人気かな、とも思ったけど、意外と「おいしい」という声あり。

ちなみに胆嚢はあのヒツジ独特のにおいが強すぎて、いまいちでした。ちゃんとにおいを消したりすればいいのかも。
心臓はこれも調理方法によるかも。ただのバターソテーではちょっと味気なかったかな。


あっと、話がそれ気味。

さて、あっという間に2頭絞めてもらって、家に戻る。
この2頭を地下室につるす。


この状態で2日間置くと、より味がよくなるという。
この間に、Wolleは野菜を煮込んだスープとウィスキーを混ぜたものを注射器で肉に直接注入する。
もちろん肉に味をつけるためと、肉を柔らかくするため。

そして丸焼きにする前夜、オリーブオイルと香草を混ぜたものを表面に塗りこむ。


当日。
上の写真の上部に見える足は切り落とし、丸焼きをするための器材に通す。





この器材は、豚でもヒツジでも、丸焼きにするための器材。・・・一般には豚だけど。
中心でくるくる回る棒にヒツジをしっかり固定し、火にかける。


あとは、火を加減しながら6時間近く待つ。
途中、先日肉に注入したスープを表面に塗りながら、そして、最後の2時間くらいはそのスープに蜂蜜とマスタードを混ぜたものを塗りながら。

この器材。
写真の右のほうにある・・・なんていうのかな、モーター?でヒツジがずっとクルクル回っている状態になる。
6時間もすると全体がカリカリになり、おいしく焼きあがる。

今回はパーティのさなか、焼き上がりの写真を取るタイミングを逃してしまった。

焼きあがったら、ナイフでそぐようにとりわけていく。そのままヒツジはクルクルまわしておくと、次に誰かがお肉をとりに来るまでに、表面がまたカリカリになっている。


去年はこの下準備、Wolleが全部してくれたので、私は当日に食べるだけの係りだった。
正直に言うと、この下準備、特に屠殺の時は決して気持ちのいいものではない。だけど、全工程を自分で見たことに結構満足してる。
こういう工程って、いつも食べてる豚だって同じなんだよね。もちろん商業化、工業化されてるはずだから形は少し違うかもしれないけど。

こういう、ちょっぴり目を逸らしたくなることって、一度は見ておくこと悪くないんじゃないかと思う。生きていて、何もかもが美しく、おいしく、楽しいばかりではないこと、ちゃんと知っておきたい気もする。

結局はWolleが駆けずり回っているところを、くっついて歩いて見ていただけなんだけど、最初の準備から見させてもらって、ヒツジはおいしくいただきました。
羊を育てたおじさん、屠殺してくれたおじさん、ヒツジさん、ありがとう。




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