2011/12/28

ファンファンダイブ

元々はピピ島に来ていた旅行者のIkuちゃん。
最近は毎年年末年始にはピピ島にいる顔のひとつになってる。でも、今まで私が忙しすぎて、一緒にダイビングに行ったことはなかった。

ところが今日、とうとうその日が。
これは1本目の深場でのアカエイ。
最近数が復活してきたカクレクマノミ。
この子達は写真を撮るのがすごく難しい。最近は私自身が自分のカメラになれてきて、1度できれいに撮れるようになってきた。
中層で小魚の群れを追うカイワリ。私たちの目の前で、まるで私たちなんか気にも留めていないかのように群れでハンティング。
このウミウシ、はじめてみる種類。
海に漬かりきっていて10年も経つのにいまだに新しいものがてんこ盛り。
生物よりも、地形の好きなIkuちゃんのリクエストで、2本目はスイム・スルー(トンネル上の地形)の多いダイブサイトへ。
ピピ島ではなぜか1シーズン1匹くらいしかいないモンガラカワハギ。この子はまだ若魚。
このウミウシもはじめてみる種類。
たいていウミウシというと数センチのものが多いんだけど、この子は私の手のひらくらいの大きさがあった。よく見ると写真の右手にちゃんと触覚らしきものがある。
カバーン(常に入り口が見えている状態の洞窟状のもの)の中からIkuちゃんの写真。
オーバー・ハング(壁がくびれこんでいるところ)や、カバーンの中は暗い。したがって、中から外を見ると水が光って見えてとてもきれい。
まるでアクアラング(器材のメーカー)の広告みたいだけど、二人で潜った証拠に・・・。
生徒を持つのはかわいいし、初めてダイビングに行く人と一緒に行っても楽しい。
だけど、中のいい人と一緒に行くのはそれに輪をかけて楽しい。

2011/12/26

クリスマス2011年

スマトラ島沖地震の津波から7年目

12月26日。 今日でスマトラ島沖地震によって発生した津波の日から7年。 今年もメモリアルセレモニーに行ってきた。 今年は去年よりもさらに人数が減ってた。あの日のことを悲しみながら生きている人が減ったっていうことだと思って、毎年人数が減っていくのを見ている。 それでもやっぱり、まだ毎年見る顔がある。 当日はイスラム教、仏教、キリスト教とテントが分かれていて、それぞれのテントでお祈りをする。何度見ても少し異様な光景。 いまだにこのセレモニーに来ている外国人は、この島に住んで長い人が多い。しかも、連れ立ってくるんじゃなくて、私みたいに一人で来ている。 テントには参加せず、それぞれにあの日のことを思いながら、佇んでいる知っている顔たち。 もう普段はそれほど考えることのなくなったあの日のことを、この12月26日だけは、少しだけ涙がこぼれそうになる。何に涙しているのかはわからないけれど。 この日は、1年中で忙しい時期の真っ只中だというのに、いくつものレストランや店が閉まってる。閉まったレストランでは仲間内で集まったりもする。 仲のいい友達は、家族を亡くしたこの日に「悲しむんじゃなくて、ハッピーに生きよう」という理由で、レストランを閉めてパーティーを開く。今年も私はそのパーティに参加です。

2011/12/21

庭の酔っ払い

今朝起きたら、うちの庭で・・・勝手にバンガローの脇を庭にしてるんだけど・・・知らない人が寝てた。 昨日からWolleはペナンに出かけていて、その代わりに昨日島に着いた日本人スタッフをうちに泊めてた。だから一人ではなかったけど、ちょっとびっくり。 時々真夜中に酔っ払った人がうちのバンガローまで来る。たいていの人はバルコニーまで上がってくるから、Wolleがいないときにはしっかり鍵はかけてる。 Wolleの考察によると、うちは寝るときも洗面所の電気をつけたままだから、人が寄ってくるんじゃないかという話。 でも今日の訪問者はバルコニーまで上がっては来ず、庭で寝ることに決めた様子。

ちゃんと自分のバスタオルを引いて寝てるところに思わず笑ってしまった。 私たちが朝ごはんを食べてると、彼は起きだして「水が買えるのはどこ??」ってガラガラの、今にも倒れそうな声で聞くので水を1本おすそ分け。 ところが、目を覚ましてもまだ半分酔っ払ってる様子の彼は、その後丸々半時間はしゃべりっぱなし。 自己紹介から始まり、昨日どこで何をしたのかを延々話す。 結局私たちが店に下りていかなくちゃいけない時間まで、話し、私たちが出かけるとき、彼はずうずうしくもバルコニーまで上がってきて横になった。結局そのまま放置して出かけてきたけど、いつまで寝ていたことだろう。 今晩帰ったら、まだいた、なんてことのないといいけど・・・。いやいや、彼は今日パーティクルーズに参加するって言ってたからたぶん大丈夫・・・。 昨晩ビーチで飲んでいて、自分の宿がわからなくなり、迷子になって120段もある階段を上ってきたらしい。 この人だけじゃなくて、ほかに迷ってくる人もそうだけど、どうして自分の宿が登ったこともない階段を120段も上ったところにあるなんて思うんだろう。酔っ払っていたらあがってくるのに時間もかかるだろうに、その間に、どうして「引き返す」という選択肢が浮かばないのか不思議。 でも、それが酔っ払いなんだよね。

2011/12/11

Self-Reliant Diver Course ~ソロ・ダイバーコース~

普段私たちがしているダイビングは、レクリエーショナル・ダイビングと呼ばれる。
このタイプのダイビングだけではなく、基本的にはどのダイビングも「バディ・チーム」というシステムをとり、必ず誰かしらと一緒にダイビングをすることになってる。

ただ、数年前から私がしているように、水中でデイトリップのビデオを撮ったりしていると、自然水中で一人になる時間が出てくる。
あるいは、ダイビングを仕事にし始めてしばらくすると、一人でファンダイブに行きたくなるダイバーも出てくる。

そんなダイバーのために、ひとりで潜る資格を取るコースがある。
PADIの名前で新しくできたのが「Self-Reliant Diver course」。
ちょっと特別なスペシャリティコースだ。

このコース、元々はテクニカルダイビングのコース。
名前がPADIではあるけれど、コース自体はテクニカル・レクリエーションダイバーのものと同じ・・・らしい。ちなみに私はテクニカルダイバーではないので、細かいことはよく知らない。

PADI、あるいは他の団体も、なぜ「バディ・システム」をとっているのか。
理由はごく単純。
安全性のため。誰か説いたほうが楽しいから。などなど。
何か特別な魚を見たときなんか、一緒にいる誰かに見せたくなるものだ。あるいは、なにか事故につながるような事態が起こったとき、誰かがそばにいてくれれば、何とかなることが多い。

それを、あえて一人で潜るダイビング。
もちろん、リスクは確実にあがる。
ただ、ビデオグラファー、フォトグラファーのように、常に誰かと一緒にいるのが難しいダイビングをするときには、リスクを回避する方法を知っておくに越したことはない。

と、いうことで。 今回このコースを取ってみました。

ホンジュラスで働いていたとき以来の仲良しで、今はモスキートダイビングのマネージャーをしているフィルは、コースディレクターというインストラクターとしては最高峰のインストラクター、さらにテクニカルダイビングのインストラクターでもある。
最近どんなコースを取るときもフィルに教えてもらってる。
そして今回ももちろん。


マニュアルはないコースなので、手っ取り早くインストラクターマニュアル(どういう風にコースを教えるのかという、概要が書いてある)を読んで、学科を終える。

翌日フィルと一緒に海へ。
器材はいつもの器材に、スペアタンクをつける。そして、予備の器材をいくつか。

普段のタンクにもうひとつタンクがつくと、水中での微妙なバランスが変わる。
水中で予備タンクの位置を変えることもできるからいいんだけど、バランスのコツをつかむまで浮力が少しふらつく。

コースだから、もちろん水中でのスキルの練習もある。

レギュレーターが壊れた、エア切れ、とういう想定でスペアタンクからの呼吸に切り替える練習。
10分ごと、あるいは20気圧ごとにどれくらい空気を吸うか、どれくらい時間がかかるかメモしていく。
マスクなしで2分間泳ぐ。
一定深度で10分間泳ぎ、数式を使って、海抜0mで1分間にどれくらい空気を使うのか計算。
普段は5mから上げるセーフティバルーンを深度下から上げる練習、等々。

水中で、誰かに「これをしなさい」って指示することは多くても、指示されることの少ない今では、こんな小さな練習でもなんだか楽しい。

ここ何年か、確かにすでに一人で潜ってきてはいたけれど、今回のコースでは改めて一人で水中にいるということを考えた。

たった1時間しか潜ってないんだから、エア切れになることは基本的にはないはず。でも、万が一起こってしまったときの事を考えたら、コース中に習ったことは絶対に無駄じゃない。

ちなみに普段自分の残圧(現在タンクに残っている空気の量)をチェックすることなんてほとんどない。周りのダイバーに残圧を聞くときさえ、自分のをチェックするのは最初の1度くらい。
それがこのコース中、20気圧ごとにメモを取らないといけないので、ものすごく頻繁に残圧をチェック。
この習慣だけでも安全性を高めるのに十分だ。
頻繁にチェックしている自分に、ちょっと笑ってしまったけど。

2011/12/09

カクレクマノミ

このシーズンに気がついたこと。

ずいぶん前の話になるけれど、アニメーション映画で「Finding Nimo」という映画があった。子供から大人まで楽しめるアニメーションで人気を博した。
主人公はカクレクマノミの親子。子供のNimoがダイバーに連れ去られたのを、パパが探しに行くというストーリー。
いまでも、体験ダイバーや初めてダイビングする人たちはこのカクレクマノミを「ニモ」って呼ぶくらい。

ところがこの映画の後、カクレクマノミのかわいさのあまり、自分の部屋の水槽に飼いたいと思う人が急増したらしい。
そして何が起こったかというと、カクレクマノミの乱獲・・・。
映画が喚起しているメッセージに「自然から生き物をむやみに持ち帰っちゃいけない」っていうのが含まれてはいなかっただろうか。
実際にはまったく逆の効果を生んだ。

それまでピピ島の海ではこれでもか、っていうくらい、そこら中にカクレクマノミを見ることができた。それが映画の後数年間、探さないと見られないもののひとつになってしまった。

それが!
今年急増。
やっと「カクレクマノミを水槽で飼う」人気が下がったんだろうか。
元々カクレクマノミが生息しやすい環境だからたくさんいたわけだ。だから、捕獲さえしなければ前のようにどこでもカクレクマノミが見られるようになるはず。

この発見。私にとってはすごくうれしいもの。

上の写真は近日のもの。自然の中にいるときは彼らはとても八色のいいオレンジ色をしている。でも、水槽に飼うようになるとこのオレンジ色はどんどん色が薄れていく。
魚にとって大海から水槽に移されることがどれくらいストレスになるのかわかる。

もっともっと増えて、映画の前くらいの数に戻るといいな。

2011/12/05

オープンウォーターコース

このシーズン、ビデオを持って水中にいるよりも、ダイバーを連れていることが多い。

先月末から、突然リバボート(クルーズ船)のトリップに駆り出され、5日間ボートにいた。ビデオグラファーとしてではなく、ボートリーダーとして。だから水中ではファンダイバーのガイド。
船から下りたと思ったら、店のスタッフの誰かがドイツ語でのオープンウォーターをブッキングしていて、翌日からコーススタート。
その3日が終わったと思ったら、店のオーナーの息子が「Yaskoとコースを取りたい」といいだしてまたスタート。彼は週末しか島にいないので、コースは途中まで。また来週続ける。

この立て続けの3つ。
普段とはかなり違う。
大体、私がリバボートに乗ること自体珍しい。オーナーのOiがキッチンスタッフとして乗ることになったので、Oiが店からのスタッフをリクエストしたらしい。彼女の料理はレストランを開くほどおいしいから、オーナーなのに時々ボートに乗っている。
このトリップのお客さんたち、パリから来た男の子7人組。みんなテレビ、映像関係の仕事をしていて、念のため持っていった私のビデオはお呼びでなかった。
7人のうち2組はカップル・・・。どたばたと予期せぬ出来事も起こりながらも、それなりに楽しいトリップだった。

その後のドイツ語のコース。
今までドイツ語でコースを全部したことはない。体験ダイビングを1回。オープンウォーターコースの学科の前半と限定水域のみを1回。
もちろん水中では言葉が通じないから何語でもいいんだけど、学科はもちろん言葉が必要だ。私のたどたどしいドイツ語を生徒さんは一生懸命聞いてくれた。
生徒さんは、いくらそれがつたなくても、自分の言語で説明してくれる以上、インストラクターの言うことを一生懸命聞いてくれる。言葉のつたなさが申し訳ないと同時に、とてもありがたい。
私自身は話すのに一生懸命だから感じなかったけど、どうも、他の人から見て、彼女はすごく変わった人だったらしい。確かに一人でしゃべって一人で笑ってることとかあったけど・・・。もしかしたら、だからこんな私のドイツ語でもよかったのかな、なんても思う。最終的に彼女は超ハッピーでコースを終えた。

さて、オーナーの息子、Dino。
11歳。甘えん坊でシャイ。ただ、私にとっては小さいころから知っているチビスケなので、とてもかわいい。ちょっと前まですぐ泣いて、私しか近くにいないときには私にでも抱っこしてもらいにきてた。
オープンウォーターのコースを取れるのは10歳から。去年からみんなに押されていたんだけど、テキストを読みたくないために伸ばし伸ばしになっていた。
ただ、実際にはPADIの規定では、文盲の人のために、口頭で学科を勧めることが許可されている。インストラクターが面倒くさがりさえしなければ、口頭で授業ができる。
確かに11歳の坊主には内容も使われる言葉も難しい。
DVDを見る以外、結局は全部口頭で進めた。

ちなみに彼はインターナショナルスクールに通っているので、こと読み書きに関してはタイ語よりも英語のほうが得意である。
私が「英語とタイ語とどっちでコースとる?」って聞いたら、「英語でしょ。だってタイ語じゃYasko、わかんないじゃん。」だって・・・。ふん、生意気な・・・。でも確かに・・・。

集中力も体力も11歳。大人のコースとはまったく違うと思わないといけない。
「密度って何?」「浮力って何?」「気管って何?」
彼にとっては新しいことばかり。ただ、さすが生まれたときからダイビングを身近にしていただけあって、器材のことや、大事なルールはよく知ってる。
学科中はゾンビになりかけていた彼は、水に入るとなったとたん元気になり、まったく体に合ってないマスクや器材もなんのその。大事なポイントだけうまくつかんで、面白いほど彼流のスキルを見せてくれた。
マスクが大きすぎて常に水が入ってくる状態。それってすごくストレスで、そのストレスをコントロールしながら初めてのスキルをするのは大人でも大変なこと。「マスクが・・・、マスクが・・・」なんていいながらも、全スキルを大人と同じくらいの短時間で済ませた。

普段は照れてあんまりよってこないくせに、コースが始まってからの週末は、私の尻尾になってしまったかのようにくっついて歩いてた。こういうところはジュニア・ダイバーはすごくかわいい。

今シーズン。実はたくさん映像を撮ろうと思っていたんだけど、どうもそうもいかなさそう。でも、カメラの代わりにダイバーを連れているということは、仕事をする時間が短くてすむ。それはそれで、いいかな。
映像を撮っていると一人だけど、誰かと一緒にダイビングするのはすごく楽しいから。

2011/11/14

私の主治医

タイのピピ島にいるとき、そんなときだってやっぱり調子が悪くなったりする。
風邪をこじらせたり、おなかを壊したり・・・。

ちょっとおなかが壊れるくらいなら、ちょっと辛いものを控えるとか冷たいものを飲まないとか、どうにかしようがある。
でも、これは絶対に菌だ、って言うときなんか、症状に合わせた薬がほしい。

ピピ島にも「Phi Phi Hospital」という立派な病院はある。
が、あまり信用できる病院ではない。何でもかんでも抗生物質を出してみたり、痛み止めしかくれなかったり・・・。
ここに長いこといる人たちの間では、「握手するのに500バーツ」とジョークになるほど。長いことよくわからないまま待たされた末、診察室に入ると、まず握手。簡単に話を聞いてくれて、いつももらえるのは痛み止めと抗生物質。薬代を除いた診察料金が500バーツ。

それでもありがたいことに、こんな病院にいくよりも信用もできる薬剤師さんがいる。

記憶では2000年くらいの時にはもうすでにこの小さな島で1軒目か2軒目くらいの薬局だった。
彼の名はドクター・モトキ。日本人みたいな名前だから覚えやすい。今では街中に「One stop pharmacy」という名で店を出している。・・・そういえば昔は薬局に名前なんてなかった。

彼のほかに奥さんなのか、家族なのかもう一人薬に詳しい女性もいる。アシスタントみたいな人もいる。

困ったときにはいつも駆けつけている。
症状と経過を話すと、最適なもの、あるいは値段に違いのある同種の薬を出してくれる。
私にとってうれしいのは、必要ないギリギリのところまで抗生物質を出さないでくれること。私は抗生物質をとるとちょっと調子が悪くなるから特にうれしい。
薬が必要ないときには、薬なしでどうすればいいのか、までちゃんと教えてくれる。
島のマイ・ドクターだ。

タイの薬は強い。しかも日本では認可の下りていないような薬もある。だから、一概に痛み止めといっても強いものからマイルドなものまで様々。
そんなところにいて、こういう人がいてくれるのは本当に助かるのだ。

2011/11/13

タイのビザ申請手順

タイのビザをビエンチャンで申請。
ここ数年タイの周辺国ではビザの取得が厳しくなってきている。
ピピ島から出かけて、ビザを取得するのに一番近いのはマレーシアのペナン島だ。ここが私にとって問題なのは、ダブルエントリービザがおりないこと。
この「ダブルエントリービザ」を取るためにわざわざラオスのビエンチャンまで出かける。
ただしダブルエントリーを申請したからといって、必ずおりるとは限らない。あくまでも大使館の判断だ。・・・なにで判断しているのかは不明だけど。

さて申請。
大使館は朝9時から開いている。午前9時から正午の間に申請をする。すると、翌日の午後1時から3時の間にパスポートを受け取ることができる。
必要なものは、パスポート、写真2枚、申請書、パスポートのコピー(写真のページと、入国スタンプのページ)。
パスポートのコピーは大使館で10バーツで取れる。申請書もカウンターの脇にある。

二つあるカウンターには列ができてる。その行列に目を奪われてそのまま並んじゃいけない。
銀行なんかにある番号札みたいなのを持ってないと、列に並んでカウンターまで行ってもフリダシニモドル、だ。・・・ちなみに私はしっかり戻りました。

どうして列も札もあるのかわからない。おそらく大使館としては札だけで行きたいところを旅行者が勝手に列を作る。カウンターのスタッフも差し出された申請書類を受け取らなければ番号札だけで整理できるものを出された書類を番号の順番を無視して受け取ってしまう。
この妙なシステム・・・。
番号札を持って列に並べば、番号が早かろうが遅かろうが関係ない。
ただひとつ。大切なのは番号札を持っていること。
これが申請料を払うときに使われるからだと思う。

カウンターでどのビザがほしいのか言うと番号札に書き込んでくれ、それを隣の建物の中で払う。
ここではさすがに順番があるらしく、列になってはいない。
ただのんびりと働くカウンター内のスタッフを眺めながら待つ。

シングルエントリーは1000バーツ、ダブルエントリーは2000バーツ。
ダブルを申請しても、パスポートを受け取ったらシングルしか下りてなかった、なんてこともままある。ダブルはおりなかったということだけど、もちろんその差額は返ってこない。
申請するカウンターの近くにはっきりとNO REFUNDABLE-返金しませんと書いてある。

していることはシンプルなことだけど、これだけするのに1時間半。

翌日、パスポートを受け取る。
1時になる前から大使館の門の前には長蛇の列。よく見ると前日に申請するときに一緒に並んでいた顔がたくさんある。

門に入ったら、申請書を出すときに取った番号札を取りにまた列。それを支払いしたカウンターで番号を呼ばれるのを待つ。

ビザの申請。
書類を提出して受け取るだけが、何も知らないで行くと余計に時間がかかる。公の書類は概して時間のかかるもの。特に海外で何か申請するのは要領がわからないとどきどきもする。
でも、それもまた旅の一部として考えたら、楽しいことのひとつかもしれない。

ビエンチャン

今年もまたビザランのシーズン。
現在タイの周辺でダブルエントリービザがおりるのはビエンチャンのみ。と、いうことで、今年もラオスへ行くことになった。

数週間前から続いて、一向に水の引かないバンコクを経由するのを避けて、プーケットからタイ北部のウドンターニへ飛ぶ。
いづれにしてもバンコクから夜行バスでラオスへ入るのは疲れて面倒だな、と思っていたのでむしろ好都合。
おそらくプーケット、ウドンターニ間はAir Asiaの新しい路線なんだろうと思う。去年まではバンコク経由でウドンターニへ飛んでいる人もいたから。

おととし、去年とバンコクまで飛んで、そこからバスでビエンチャンへ。もちろん一般論でバスのほうが安いから。
でもよく考えたら、空港ーバスターミナル間のタクシー代。乗り継ぎの悪い時間に到着するためのホテル代等を考えると飛行機に乗ってしまって短時間で済ませたほうが安上がりに近い。しかも楽。


ラオスの国境を越えるころは暗くなっていた。
そういえば去年はフィリピン人のビザランツアーに便乗していたので、何も考えずにバスを乗り降りしていた。今回は自分で探さないと。

私はコンタクトをしていても暗いところだとものが見にくい。英語で言っても通じないことはわかっているので「ビエンチャンに行きたい。バスはどこ?」などと片言のタイ語。エントリーフィー(入国料)を集めているおばちゃんに聞いてみる。
おばちゃんは私の顔を見もせずにあさっての方向を指差す。毎日何十回も同じ質問をされるんだろうな、なんて勝手に想像する。
「あっち」っていう方向はわかるけど、あっちの10m先なのか100m先なのかまったく不明。でも「あっち」なんだよね。
とにかく「あっち」へ向かう。
迎えの車、ツアーバス、トゥクトゥクの待つ群れの向こうに、なにやら看板と建物に明かりが。
もしかしたらツアーオフィスかもなんて都合のいいことを考えながら近寄っていくと・・・。なんだ、食堂だ。
でも旅行者にバス乗り場を聞くよりもましだと思い、掃除をしているお姉さんに聞いてみる。「ビエンチャンに行きたいの。バスはどこ?」すると後ろからチケットの束らしきものをみぎったおじさんが出てくる。
もう一度同じことを言うと、店の前から出発しかけていたバス・・・幼稚園バスくらいの大きさの・・・を大声で呼び止めてくれた。
え?そんなにいいタイミングでバスあり??
むしろ胡散臭いぞ。
「「本当にビエンチャン?」「ビエンチャンのどこ?」
いくつか言ってみたけれど、いいから乗っていけという感じ。
ま、ビエンチャンのどこに着いても、そこからまた移動すれば言いと思い、25バーツだということに喜んでバスに乗る。

バスの中を見渡すと・・・どうやら完全にローカルのバスらしい。きっとビエンチャンの中心街か、拠点になるところにつくだろう。と思っていると案の定バスターミナルに到着。
その辺にいたモーターバイクタクシーのドライバーに「タイ大使館あたりの宿に連れてって」といってみる。
こんな複雑なことまでタイ語で言えないからもちろん英語。ドライバーには通じないみたいだけど、野次馬のおじさんの一人が訳してくれる。

バイクで大使館へ。
ところが大使館の前まで来ると、一番近く、いや目の前にある大きなホテルを指差すではないか。
いやいやおじさん。私こんなにいいホテル泊まれないよ。今手前にあったゲストハウスの看板まで戻ろうよ。
あれこれ言っていると道路の反対側にいた警官がやってくる。
どこから来たの?
お!英語ではないか
日本。
どこに行きたいの?
・・・・今探してるんですけど・・・。
ホテルの名前は?
・・・・だから今・・・。

あれ?なんだか話が食い違ってないかい?
あ、この人たち、私がホテルに帰れなくなって迷ってると思ってる。
違う違う。私迷子じゃないよ。
なんて言ったって通じない。
困った末、近くにあったラオス・シンガポールビジネスカレッジという看板の下がった建物にいた人に訳してもらう。
英語はまったく通じないけど人のよさそうなおじさんは、手を振って歩き出す私を不安そうにしばらく見つめていた。


こういうハチャメチャは久しぶりだ。英語ほとんどなしでバックパッカーをしていたころを思い出す。
今となってはこういうの、たまにで十分だけど。
そんなこんなだったけど、その日はちゃんとベッドの上で寝ました。

2011/11/08

バンコクの洪水

バンコクで大きな被害が出ている洪水。
すでに町に水が入ってから2週間は経とうというのに、一向に水の引く気配がない。
毎日テレビのニュースでひっきりなしにバンコクの様子を放映している。でもそろそろ、「いったいどうなってるの」ってみんなが思い始めてるはず。
どうして水が引かないんでしょう。

ところで、私がいるピピ島。タイの南部にある。どちらかというまでもなく、バンコクよりもマレーシアに近い。
10日ほど前、プーケットに買い物に出かけた。
仕事に必要なDVDを買いに行くのが主な目的だったんだけど、もちろんそれと一緒に生活雑貨なんかもまとめ買い。
ピピ島では必要最低限よりちょっとプラスくらいのものはいつでも手に入る。値段は島という環境もあり、本土よりも少しだけ高い・・・と、言っても数バーツくらい。

だけど、日本米はプーケットまで行かないとない。せっかく家で炊くんなら、タイ米よりも日本米、と思って、いつも用意しておく。
のだけれど。
今回はどこのスーパーマーケットにも「お米」というものがまったくなかった。小さなローカルマーケットでタイ米は見つけたけれど、大きな店にはない。
もちろん日本米だけじゃなくてタイ米もない。

そういえば、その数日前からピピ島にミネラルウォーターがなくなった。
普段料理に使ったりお茶を飲んだりするのにはミネラルウォーターじゃなくて、もっと割安の何も入ってない水を使ってる。
その安い普通の水はあるんだけど、ミネラルウォーターがない。欧米人の人はミネラルウォーターをこだわって飲んだりしてるから、きっと困ってるだろうなぁ、なんて思う。私も普段ダイビングに行くときにはそれを買っていたんだけど、最近はポラリス(タイの代表的なドリンクウォーター。ミネラルは入ってない)だ。


周りの話を聞くと、どうやら野菜や卵の値段も少し上がってるらしい。
私は毎回野菜も卵も1食分くらいしか買わないから、どれくらい値上がりしてるのかちょっとわからない。

とにかく、バンコクに送れるものはびっしとして送ってしまっているし、バンコクから来るはずのものはこない、ということらしい。

それにしてもいつになったら水が引くんだろう。
この暑い気候で汚水の中で暮らすのは、想像以上のものだと思う。

雨が降ってもこうして困ることがあり、雨が降らなくても水不足で困り。
適度、がどれくらい大事なのか、こういうときに改めて思う。

2011/11/06

ピピ島に戻ってます。

またしてもずいぶんとブログを書くのをサボってしまいました。
3週間くらい前からタイのピピ島に戻ってきています。

時々ダイビング。時々パーティ。そして、時々何もしない。
そんな風に毎日過ごしています。
今はまだ、シーズンが始まったばかり。こうしていられるのもあと少しと思えば、毎日のんびりするのも楽しいです。

ここにいない間に増えた体重も、少しは取り戻さねば・・・。

2011/10/05

映画 「親愛なるきみへ」

今日は水曜日。
パパと映画デートの日だ。

今日も時間表を見ずに劇場へ出かけたら「あ!今始まったんじゃない?」っていう1本があった。

「親愛なるきみへ」
今回は・・・お~っと、なぜ隣に座っているのがパパ?なんて思わず言いたくなりそうなコテコテのラブ・ストーリーでした。
選んでないんだから仕方ないんだけどね。

若手の役者二人が主人公で、その脇を締めているのが父親役のベテラン。

チャニング・テイタムという男優さん、初めて見たんだけど・・・と言うか、今まで注目したことなかったんだけど・・・すごくセクシーでよかった~。
 ・・・きっとこれも私の好みなだけだと思うけど・・・。いや、言ってしまいましょう・・・この人の顔のつくり、私が昔大好きだった人とよく似てる。
なにが、って。いわゆる整った顔なわけではないんだけど・・・おっと、失礼。この人元々モデルだから、きっと一般受けをする顔の範疇なんだと思う・・・。だけど、顔の大きさの割りに、パーツが小作りというか・・・。しかも体がすごく大きいというところも・・・。
だから、とにかく、表情がよく似てるんだよね~~。

と、いうことで、もしかしたら、他の人が見たら、私ほどこの映画の印象はよくないのかもしれない。まぁ、このブログ自体がどこまでも主観をのべているだけだということは他のページを見てもらえればわかることなので・・・ま、いいか。


で、映画の話に戻りますが。
前半、人物の描写も背景もストーリーもうまくすすんでいくんですが、後半、ちょっとはしょりすぎなんじゃないかと思う。
あるいは最初に「出会いの2週間」でラブストーリーの映像をとりすぎて、後半時間がなくなってしまったのかな。私自身は二人が一緒にいないシーンの方がこういう恋愛のよさをうまく表現しているように見えたけど、実際は二人同時にスクリーンに映ってないと絵になりにくいのかなぁ。


ラスト・シーンですが。
予告には「衝撃のラスト」なんて書いてあるけど、ちょっと無理があったように思う。これは映画や小説だから成り立つ、他人が見た場合の理想のラストシーンです。
これが現実に起こったら、この後の二人の人生はそれほど楽しいものではないんじゃないかと思う。特に主人公たちの性格を考えれば。
しかも、おそらく実際にはこんなラストを自分の人生の中には選ばないんじゃないかと思う。
まぁ、こういうのは人それぞれですが・・・。主観です。

作品としては、山も谷もありラブストーリーが特に嫌いと言う人ではなければ、楽しめると思います。あ、ちなみに原作者が「きみに読む物語」のニコラス・スパークスです。

興味がある方は下記へ。
「親愛なるきみへ」公式サイト


小説 「のぼうの城」 和田竜

今回の階段文庫。いつもと比べて本の数も種類も多い。

和田竜という、聞いたことのない名前の文庫本が数冊あった。
「のぼうの城」
「忍びの国」
「小太郎の左腕」

「のぼうの城」という作品が最初の作品らしいが、129万部以上の売り上げ!・・・「小太郎の左腕」の帯に書いてあった・・・。これはすごい。
装丁は、文庫本なのにまるで単行本のような凝りよう。これは表紙で勝負がついたな、と思わせるに十分なインパクトのあるデザイン。そしてなぜか各ページの紙が異常に厚い。文庫本としては薄めの上下巻だけど、紙を一般の文庫本に使う用紙にしたら、1冊に収まるんじゃないかと思う。
だけど、それをあえて2巻に分けているところ、表紙のデザインに関係があるのかな。興味のある方は本屋さんで平積みで並んでいるところを見てほしい。

さて、本の装丁にここまで勝手なことを書いておいてなんだ、と言われそうだが、中身は「なるほど。これは129万部突破」と思わせるもの。
実際の歴史上の事実と多少のフィクションを交えてあるらしい。
舞台は現在の埼玉県。さきたま古墳群がある辺り。
実は私の母の実家がこの古墳群等からそれほど遠くないところにあり、地名なども多少身近な分面白く感じたのではないかとも思う。

登場人物は誰でも名前を知っているような人物から、実在人物にもかかわらず名前を聞いたこともない人までさまざま。
その登場人物一人ひとりのパーソナリティを、それぞれかっこよく設定してある。
戦国時代の人間の気風も風習も、戦国物を読んだことのない人にもわかりやすい書き方で説明してある。

どの人物をとっても、惚れ込んでしまいそうなほどかっこいい。これだけで十分なところを、あらすじも、実話だったとは思えないほどこれまたかっこいい。

この小説、映画化される予定だったのが、東日本大震災があったため延期されていた。
戦の攻め方が「水攻め」だ、と言う理由。たしかに津波に被災した人々がいる中で、それがいくら歴史上の事実であれ、映画であれ、水攻めはちょっと・・・。

史上に残る石田光成の負け戦。忍城(おしじょう)の水攻め。
戦国物をそれほど好まない私が「ちょっと他の戦国小説も読んでみようかな」なんて思ってしまった。

最初に挙げたほかの2冊。「のぼうの城」ほどのインパクトはない。が、もちろんそれなりに面白かった。

「忍びの国」は昔から小説には取り上げにくいテーマの忍者もの。
私にとって忍者とは、司馬遼太郎「梟の城」の重さまと忍者ハットリくんくらいしか知らないので、何の比較にもならないけど、古い書物などもたくさん参考文献として使用しているようで、細かいところが面白い。

3冊挙げておいて、2冊のことしか書かないのも気持ち悪いので、もう1冊「小太郎の左腕」についても触れておこうかな。
これは先の2冊と比べるとフィクション性がかなりあがっている作品・・・って、あとがきに書いてあった。
江戸時代を舞台にした町人などが主人公の小説を「江戸もの」と言うとしたら、これはまさに「戦国もの」なんじゃないかと思う。


この人の作品。どれをとっても主人公、あるいは脇役であっても、登場人物がかっこよすぎる。と、いうか、私の好みなだけかな。
強くて潔かったら、小説なんて顔は自由に想像してるわけだから、かっこよく見えて当たり前だ。
こういう小説が映画になったのは、見ない方がいいのかなぁ。
ちなみに「のぼうの城」。野村萬斎、佐藤浩市は私のキャスティングとはだ~いぶずれてます。

興味のある方は下記へ。
ウィキペディア「のぼうの城」

映画「のぼうの城」公式サイト



2011/10/02

小説 「私を離さないで」 カズオ・イシグロ

この本もうちの階段文庫で見つけました。

少し前に映画にもなった作品です。
作者はカズオ・イシグロ。
名前の通り日本人ですが、小さなころから英国に住んでいて、小説は英語で書かれています。
この本以外にもたくさん書いているんですが、特に有名なのはブッカー賞を取っている「日の名残り」。この作品も映画化されていて、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンが演じています。

今回の「私を離さないで」。
母曰く「ちょっと重い作品よ。」
確かに根底に流れているものはとても重たい課題だと思う。ただ、読者にはその課題がなかなか明確に明かされない。

主人公たちが成長過程で自分たちの運命を少しずつ受け入れていく。そのスピードと同じスピードで読者も彼らの運命を把握していく、そんな書き方がしてある。
「そんな書き方がしてある」なんて、簡単な言葉で言ってしまったいるけれど、これを故意的に表現したイシグロさんの筆の力に感嘆する。
ちょっと間違えれば、読者には何を言っているのか通じなくなってしまう。きわどい線上をたどっているような書き方だ。

そしてこの課題、あるいは運命。最後まで一言も明確には書かれていない。
もしかして、私が読みすごしてしまったのかと思い、何度もページを戻った。でも、どこにも書いてない。

「クローン」「臓器提供」「人権」等々。
これらの言葉を聞いただけで興味深い内容だ。
でも小説の中ではこれらの言葉が使われることはない。これらの言葉を使わずして、これらを主題にしている。
そして、作者自身が一体どういう意見を持っているのかすら、よくわからない。
小説という形で、ある仮定を定義し、差し出されている。

そんな小難しいことを考えずに読み進めるだけでもいい作品だ。翻訳された作品だから、この小説の日本語の中には土屋さんという翻訳家の言葉がたくさん入っていると思う。
でも、語りかけるような口調と、包み込まれるような優しさと同時に悲しみがとてもよく伝わってくる。

時間があれば映画も見てみたいとは思っている。ただ日本で映画をレンタルするときには「笑えるもの」とう条件付なので、ちょっと難しいかなぁ。

 映画に興味のある方へ。
映画「私を離さないで」公式サイト


ポテトサラダ

夏の間ドイツに住むようになってから、Wolleママや周りの人にちょこちょこ聞きながら、ドイツの家庭料理も作るようになってきている。

ドイツの料理といえばみんな、一番最初に想像するのがソーセージなんじゃないかと思う。
確かに。バーベキューの時には必ずソーセージが出てくるし、料理としてもザワークラウト(すっぱいキャベツの付け合せ)と一緒に出てくることもある。

ソーセージ以外で、ドイツ人たち自身も笑いながら冗談で言い合うほどよく登場するのが「ポテトサラダ」。
日本でつけ合わせなんかにも出てくるポテトサラダの原型はおそらくドイツのサラダだと思う。

このポテトサラダ・・・ドイツ語ではカトフェルン・サラダ。日本で言うならおみおつけや肉じゃがのように、各家庭あるいは料理をする人によって味が違う。
あれやこれや混ぜてあるものから、ジャガイモとベーコンのみ、というシンプルなものまで。

すべてのカトフェルン・サラダに共通していることを強いてあげるとすれば、ジャガイモが入っていること、酸味が少々効いていること・・・くらいだろうか。ジャガイモが入っていなければポテトサラダではないのだから、当たり前のことを言っているように聞こえると思うけれど、要するに、それくらい各家庭でまちまちだ、っていうこと。

Wolleがうちのママのよりおいしい、と賞賛するのはイスカという友だちのカトフェルン・サラダ。ごくごくシンプルなので、作り方も説明しておこう。

イスカのカトフェルンサラダ
材料:ジャガイモ
    厚切りベーコン・・・多少脂が入っていた方がおいしい
   酢
   砂糖

①ジャガイモを皮をむかずに串が通るまでゆでる。
②厚切りのベーコンをさいころ状に切り、多目の油でかりかりになるまでいためる。
③茹で上がったジャガイモの皮をむき、5mmほどの輪切りにする。
④ベーコンを炒めた油ごと混ぜ、酢、砂糖を少々混ぜる。この酢と砂糖は好みによって調節。

たったのこれだけですごくおいしい。ジャガイモをゆですぎない方がこのポテトサラダには合うと思う。


私にとってはどのカトフェルン・サラダもおいしい。ケイパー、きゅうりのピクルス、ねぎなんかも入ってたり・・・。
日本のポテトサラダと決定的に違うところは、ジャガイモの形状を崩していないこと。混ぜる際に角が少し、位で、つぶす、というのは聞かない。


ところで、うちの父はポテトサラダが好物である。
ところが、私がドイツに通うようになり、今までとはちっと違ったポテトサラダを作るようになってから、以前のようにお皿に山盛り食べなくなった気がする。翌日まで残っていたりするし・・・。

私としてはドイツ風に少し変えてみて、おいしくしようとしていたんだけど・・・結果的に、父にとっては「好物のポテトサラダ」ではなくなってしまったのかもしれないなぁ、なんて最近気がついた。

と、いうことで、今日の夕食には「父のポテトサラダ」を作ります。

2011/09/15

ゲーテと私

この前の私の誕生日。
Wolleの家族とお昼を食べているときに、家族の誰かが「Yaskoはゲーテと誕生日が一緒なのよね」。

ドイツ語で「ゲーテ」というと、もちろんカタカナで「ゲーテ」というのとは違って聞こえる。「え??ゲーテって誰?」ってWolleに聞くと、「君が知ってるゲーテだよ。」・・・たまたまちょっと前にWolleとゲーテの話をしたことがあったのです。

え。そうなの??私の誕生日ゲーテと一緒なの??はぁ、38年間知らなかった。

だからって、ゲーテの恩恵が受けられるわけでもないのに、ちょっぴり誇らしく思ったりして・・・。

ああ、でも、ちょっと待って。
私ゲーテの作品なんて、ここ20年以上読んでませ~ん。
確かファウストは途中で挫折した記憶すらある。
唯一ページを最後まで繰ることができたのは「若きウェルテルの悩み」のみ。それはきっと本の薄さのおかげ・・・。しかも、今思えばどこまで理解していたのかなんて、怪しいなんてもんじゃない。いや、怪しいというより字面を追っていただけではないのか・・・?
確か、「おぉロッテ、ロッテ!」ってやつだよね、位です・・・ごめんなさい。

ところで、最近ドイツ語に関することに敏感になっているせいか気がついたことがある。
「若きウェルテルの悩み」って言ったらたいていの人は同じ小説を想像すると思う。
じゃぁ、「若きヴェールタの悩み」って聞いたらどうだろう。
同じ小説を想像するだろうか。なんだかパロディ映画のタイトルみたいだ。

これ、私の辞書に載ってた・・・なんていうと辞書を熟読しているように聞こえそうだけど、そんなわけない。たまたま開いたページに・・・しかも表紙の裏・・・格変化の例として使われてた。

「Die Leiden des jungen Werther」というのがこの小説のドイツ語の原題。
このWertherというのが一般のウェルテルという名前の部分。

どうやら、日本でこの小説が最初に訳されたときに「ウェルテル」と訳されたので、日本ではそれが通常の読み方になっているらしい。が、実際ドイツ語では「ヴェーテァー」みたいに聞こえる。
それが最近訳す人によってウェルテルじゃない読み方に変られている、というわけだ。
どうしてドイツ語のWの発音を本来の「ヴ」じゃなくて英語読みのように訳したのかはなぞだけど。

最近富みに外国文学を訳しなおして再出版するということがある。私はまだ手にしていないけど、ロシア文学が顕著らしい、って事を聞いた。
そんな影響のせいか「若きウェルテルの悩み」も一見タイトルが違うものになってることがあるみたい。


そんなこんながきっかけで、今回日本に戻ってから、本棚を漁ってみた。
数年前家中の本棚を整理したときに、外国文学、日本文学、しかも作者が同じものを並べてみたりした記憶がある。
あった、あった。「ファウスト」と一緒に。あ、でも「ファウスト」は一部しかない・・・一部の時点ですでに挫折していた模様。

時間もあることだし、読んでみることに。
書簡の形態をとってるこの小説。ウェルテルの心の動きが友人ウィルヘルム・・・この名前だって最近の訳だったら違うのかも・・・に延々とつづられている。

20年も年をとったんだから、ちゃんと読めば前よりは少しは理解できるかも・・・なんて思いながらゆっくり読みました。
でも、時代の差というか、国の違いというか・・・。
日本文学を時間がたってから読み直すのとはやっぱり少し違う。結局小説の後ろについている解説の部分を読むまで、よくわからなかった。
この小説、この時代に書かれたから意味があったのかなぁ。当時は小説というのは娯楽として楽しむためにのみ書かれていたらしい。それが「苦悩」を題材にしたところが斬新だった、と。
そういわれたからって、理解できたとは言えないんだけど。
でも最終的に自殺したウェルテルに習って、自殺まで流行したっていうんだから、当時は相当センセーショナルなものだったに違いない。


私が今習ってるドイツ語のレベルとは程遠い話で、まさに気の遠くなるほど先の話だけど、いつか原文でこの小説が読めたらいいなぁ、なんても思う。
そうしたらもう少し、ほんのちょっとはウェルテルの悩みも理解できるようになるかもしれないなぁ、なんて思ったり・・・。
あ、それは別の話かな・・・。

ウィキペディア ゲーテ
ウェキペディア 「若きウェルテルの悩み」

2011/09/14

ビデオ 「南極料理人」

今回の映画は劇場で見たものではありません。
2009年公開の「南極料理人」。DVDのレンタルです。

相変わらず、映画を見て笑いたい私と母の真夜中の映画鑑賞会。

南極の観測所で越冬する8人の隊員。主人公は彼らの食事を作る料理人。
この料理人が主人公ではあるんだけど、8人が8人ともユニークなキャラクターで、どのシーンを取り上げても必ず笑える。
これはすごいこと。しかも「くすっ」と笑えるんじゃなくて、「どっ」と笑える。

どこまでがエッセイにある事実で、どこからが脚本のオリジナルなのかわかりませんが、これだけ笑わせてくれるなら・・・しかも気分よく・・・全部フィクションでもまったく問題ありませ~ん。

キャストもしっかりそろってる。実はDVDを借りるとき、キャストに注目することが多いんだけどね。

DVDのカバーにも書かれていたことだけど、この料理人・西村さんが作る料理、どれも本当においしそう。夜中に空腹を我慢して見ているからなおさらのこと。
伊勢えびのエビフライ・・・おいしいんだろうか・・・?食べたことある人いますか??

南極で越冬、しかも少人数で暮らしていること 。
これって、一般に人が住む条件とかけ離れてる。
私にとっては「南極で越冬」なんてすごくかっこよく聞こえる。でも私自身の経験上「少人数で暮らす」というのは耐え難いほどのストレス。この二つがもしかしたら私のポイントをうまくついたのかもしれない。

ここ最近の一番のおススメです。
詳しいことは下記ウェブサイトをご覧ください。

ウィキペディア 南極料理人






創造力

昨日友だちと飲みに出かけた。

うちに毎日襲撃に来る弟の子供たち。彼らにとって私は時々いるけど時々しかいないおばちゃん。
6歳、3歳、1歳という、聞いただけで思わず身震いしてしまいそうな組み合わせの彼らは、それ相応に激しい。

昨晩帰ってきたときには気づかなかったのだけれど、今朝になって気づいた。
居間の飾り棚に、おもちゃのブロックが置かれている。

昨晩「ぼん(私のこと)に見せたいから、帰ってくるのを待つ!」と言い張る彼らをなだめ、ブロックで作ったもの・・・失礼、作品を壊さないように並べたらしい。
これは3歳ののちちの作品。
3歳のわりにはまともなものを作っているように見える・・・が、この動物・・・恐竜かと思われる・・・には足が6本ある・・・・。
3歳という年齢で、何をどれくらい知っているのかわからない。
ただ、動物に足が6本という時点で、芸術なのか、それ以外のなにかなのか混乱させるものではある。
これは6歳のお姉ちゃんの作品。
・・・・。
彼女に創造性のセンスがかけらもないことは明らかである。普段から星マークやハートマークが好きな彼女のことを考えると、もしかしたら筆のタッチの芸術ではなく、幾何学的なデザインならいけるのかもしれない。・・・もしかしたらCG系の・・・・。
いや、これは妄想です。
兄と姉が何かを並べているのを見て、自分も何か、ぼんに見せるものを・・・そこまでわかっていたかどうかは定かではないけれど・・・置かねば、と持ってきたのがこれ。
上の二人に遅れをとるまいとするところが、年齢も重ね合わせるとかわいらしい・・・。気分はお姉ちゃんとお兄ちゃんと一緒なんだろうなぁ、と思う。
ものが3つ並ぶと3人3様で面白おかしい。
自分には子供がいないせいもあるのかもしれないけれど、 自分が3人兄弟のせいもあるのかもしれない。

2011/09/10

小説「私の男」 桜庭一樹

日本にいる間は、私の少ない読書の時間でもある。
実家の階段を上がったところに乱雑につまれている本。うちの階段文庫だ。


今回こんな小説を見つけた。
桜庭一樹著「私の男」 。

この作家の名前、私は聞いたことがなかった。でも、帯に「直木賞受賞」という文字をみつけ、手にしてみた。

表現法に凝ったのだろうか。物語が現在から過去へとさかのぼっていく。よって、「これから先どうなっちゃうのかな。」というドキドキはない。その代わり「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」という疑問には答えてくれる。

文体というか、内容というか。全体の雰囲気が桐野夏生の小説に似ている。一般常識を少々逸脱しているようなところとか、それを女性の主人公が淡々と受け入れているところとか。
どちらの作家も女性という共通点はある。女性が女性らしくない作風にしようと心がけると、こういう作品が生まれやすいのだろうか。

どちらの作家も筆に勢いはあるが、ちょっと他と違ったものを好む傾向にあるような気がする。・・・それなのに似ていると言ったら彼女たちは心外かもしれないけれど。

直木賞を取っているだけあって、・・・なんていう言い方をしたら失礼かもしれないけれど、人間の深いところにある「俗」をくすぐるような作品だ。
主人公たちの純粋さと俗悪をマーブルのように混ぜ合わせて、しかもそれが見え隠れするように表現してある。

この作家のほかの作品を読んでいないのでなんともいえないけれど、もしも違った作風も書くことができる作家だったら、これからどんどん売れていくんじゃないかと思う。
ただ、もしも、桐野夏生みたいに、このタイプの作風しか描けないようなら、この作家も同じ道をたどるんだろうなぁ、なんて勝手なことを思う。






映画「ツリー・オブ・ライフ」

今日は水曜日。母が仕事で出かけている日、恒例の、父とランチ・映画デート。

今日もランチの後、予定も見ずに劇場へ。今どんな映画を上映しているのかも知らない。
予定表を見ると・・・1時間半ほど待てば「ツリー・オブ・ライフ」なる映画が始まるとのこと。なになに?カンヌでパルムドール受賞?
よさそうじゃない?

前回同様、内容も知らないまま映画が始まる。

結論から言ってしまおう。
私は生粋の日本人で、宗教概念、神という概念を持ち合わせていない。そのせいなのかもしれないが、映画全体を構成している「神」を理解できなかったんじゃないかと思う。

特に前半に出てくる、宇宙と自然を表現したシーンは、果たしてこの映像をここまで長時間流す必要があるのだろうか、と思った。
人間の魂を神と絡めて、宇宙と自然、あるいは太古を思わせる映像で表現したものだと思われる。人ひとりの魂の深さ、それと他とのつながりを、そこまで大きなスケールで捉えたことには、映画全体を壮大にしているとは思う。しかし、神の存在すらよく理解していない私には少し不可解だった。

ただ、神とか魂とか小難しいことをいわず、映像を楽しむにはいい映画ではないかと思う。
自然の、人間のあるいは家族の「これでもか」といわんばかりの美しい瞬間が映像になってランダムに目の前に差し出される。

回想シーンが多いせいもあるけれど、ある1点を2時間半かけて説明している。そんな映画だったように思う。

詳しい内容を知りたい方はこちらの公式ページへ。
http://www.movies.co.jp/tree-life/








2011/09/06

日本に帰ってきました

3ヶ月ぶり、日本に帰ってきました。
9月1日、成田到着。

成田から埼玉の祖母の家に1泊してから実家に帰ってきました。1日は台風12号が日本に近づいてきた日だったのかな。
もう1泊余分に泊まっていこうかなぁ、なんて思ってたら、「明日は台風がひどくなるから今日のうちに帰れ。」と祖母に言われ、重い腰を持ち上げて実家へ。

帰ってきてから3,4日。今日になってやっと晴れました。

10月中旬まで日本にいます。
みなさん、時間があったらご飯でも食べに行きましょう。

荷造り

とうとう日本に帰る日が迫ってきた。

フライトが午前中なので、ベルリンに住んでいるダイビング仲間のところに前日とまらせてもらうことになってる。
この友だち、2年ほど前にピピ島でダイブマスターのコースを取った。それから会ってないけど、最近仕事柄ベルリンに住むことになったようで、スペイン人の彼とはドイツ語のレベルも同じくらい。

というわけで、明日の午後ここを発ってベルリンへ。
それまでに荷造りしなくちゃいけない。

荷物とはいっても、それほどたくさんあるわけじゃない。ここで必要なものはほとんど置きっぱなし。
ただ、9ヶ月使わずにおくものを少し整理しなくちゃいけない。
こういう整理整頓の類・・・苦手なんだよねぇ。

昨日のパーティの二日酔いが残る体を、がんばってのろのろと動かし、少しは片付いたかな。

あとはバックパックに詰めるだけ・・・。

誕生日パーティ 2011


私の誕生日。
毎年取ったチケットによって、日本にいるかドイツにいるのかばらばら。今年はドイツでした。

しかも日曜日。
「誕生日には何をするの」って1ヶ月以上も前からWolleママに聞かれていたんだけど、さっぱり予定はなかった。
毎週待つどこかしらに出かけているんだけど、この週末は最後の週末でしかも誕生日が重なっていることもあり、どうしようか、なんていっているうちにその週末になってしまった。

土曜日にWolleの姪の入学式のお祝いもあることだし、思い切ってこの週末はうちでゆっくりしよう。ということになった。
天気もそれほどよくなさそうだし、どこかに出かけて当たりと出るかはずれと出るかわからないよりも、たまにはうちでくつろぐのもいい。

誕生日の日曜日にうちにいると知ったWolleママは、お昼をみんなで一緒に食べましょう!好きなものを作るから!。
彼女の料理はどれもたいていおいしくて、好きなものといわれてもすごく困る。インゲンのスープ・・・は、彼女にとって特別料理じゃないので却下されました。グラタン・・・もだめ・・・でした。トマトスープ・・・は、もうメニューに入ってる。
何でもおいしいから任せます、ということでお昼。

私が部屋に入ったら、ハッピーバースデーの歌を家族で歌ってくれた!
なんだかすごくくすぐったいように恥ずかしくて、うれしかった。
日本って文化として、あまり誕生日を重視しないけど、誕生日っていうのは、みんなのお祝いじゃなくて、自分だけの特別な日だからちょっとスペシャルな気分になる。誕生日をもっとお祝いして、1日だけでもスペシャルな気分になるのは悪くないなぁ、と思う。

しかも見て!
私のお皿の周りには、庭から取ってきたバラの花が置かれてる!!

mmmm・・・うちで食べるご飯だからって、せっかくの素敵なお昼に私は乱暴な格好をしている気がするけど。


さて、おなかもいっぱいで、ごろりんとしてテレビでも見ようか。世界陸上ファイナルだし、F1も見なくちゃいけないし。

で、F1が始まったころ。ドアのベルが鳴った。
テレビを見てるのは3階。ドアまで走っていかなくちゃいけないことを面倒くさがって「Wolle行ってよ。」「いや、Yaskoが行け。」なんて言い合いながら結局「誕生日なんだから」という意味不明の言葉に理由もなく納得して私がどたばたと階段を降りる。

ドアを開けると。
友だちが二人。
おぉ!なんというタイミング。近所に住んでるからって、F1でも見に来たのかな。
でも、てっきり宅配便を・・・日曜日にもかかわらず!・・・受け取るのだと思っていた私はびっくりした顔をしたのだろう。
あがって、あがって。って言う私に、あれ?知らなかったの?

知りませんでした。
どうやらWolleが日曜日の2時からYaskoの誕生日パーティーをすると電話したらしい。そして夕方に予定していたバーベキューも。
どうして3本もワインを買うのか。どうして何キロにもなるようなお肉を買うのか。何も考えずに見ていたことの理由がわかった。

夕方までワインを飲みながらおしゃべりをし、その後はバーベキュー。
準備を始めるころから、一人、また一人と私が特に仲がいい友だちがやってくる。
最初の二人だけではなくて、私が話しのできる友達を招待していたらしい。
ちょびっとずつのサプライズパーティだ。

残念なことにバーベキューの写真がない。
慌ててどこかにカメラを置き忘れ、いくら探しても見つからなかった・・・。

しっかりおなかも膨れたころに部屋に上がる。
いや、もう写真を見てくださればわかると思うけど、とにかく飲んで飲んでというパーティだった。

私なんか途中で寝て、また起きてる・・・。




















パーティは結局夜中の3時まで続いた。みんな翌日仕事だっていうのに・・・いや、ありがたいことです。